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「違和感を覚える」と聞くたびに違和感を覚える、その違和感。

日本語にうるさい、もしくは日本語の用法にうるさい層というのは安定的にずーっと存在していますね。

正しい使い方が求められる場面では、それなりに襟を正してのぞめば良いのだと思いますが、平場の街場でくっちゃべっている時に、“正しい日本語”なんて考えたくもないし、お互いの関係性の中で産まれた符丁をふんだんに用いて話すのが楽しい!と思います。

僕も、人の細かなキズとか、致し方無い失敗をあげつらってギャンギャン責め立てるのが大好きなので、平場街場(加えて酒場)のノリでは、正しそうな日本語を振りかざして、ギャンギャンに行く傾向があります。
けれど、なにぶん、こんな正しくない言葉で文章書いている訳ですから、正しかろう日本語の使い手になる気概も資格あろうはずがありません。

「言葉は生きている」
という訴え、と
「生きているのだからこそオリジンを尊べ」
という訴えは、
ほとんどイコールだと思います。正しい日本語を使わなければ、通用しない、それこそ学術論文や官報などに、くだけた表現や言葉遊びや誤用めいた日本語を使うのは不適切かも知れません。
例えば、「外国語を覚えました」という状態には、フランクに平場街場(そして酒場)で最低限のコミュニケーションが取れる状態から、学術論文を完成度高く書けるという状態まで、の尺度があると思います。

「外国の言葉というのは文化なのだから、リスペクトを払って学習せねばならない」も正しかろうし、
「女の子を引っ掛けたいからとりあえず覚えた」も正しいだろうと思います。
その幅を許容するからこそ言葉は曖昧で、融通無碍で、時に無責任で、面白みがあるのだと思います。

正しき日本語利用を推し進めてくる一派の
「自国の文化に敬意を払え」
という態度に対しても、敬意の払い方も色々あらぁね。とか、
まずもって、その“自国の文化”の中には、
「“正しくない日本語”を使うことで楽しく会話する文化」
も含まれているのだろうと思うのです。

という感じで、もうかなり字数を使ってしまいましたが、本題です。
「違和感を覚える」
っていう表現は便利でいいなぁ、という話です。

「違和感がある」と断言するニュアンスをかわした上で、「覚える」という言い方にも「なんかそんな感じすんですよね〜」という曖昧さがあるので、ほぼ何も言っていないような気がします。
「違和感を覚える」って。
だから、好きだ。という話です。
言葉って面白いですよね。

ずいぶん前になりますが、映画監督の周防正行が、『それでもボクはやってない』の公開時に、NHK の『スタジオパークからこんにちは』に出演した際、同映画を紹介するアナウンサーが思わず

「それでもボクはやって『』ない」

と、“正しい日本語”でタイトルを紹介してしまって

「それは、日本語的には正しいのかも知れないけれど、この映画のタイトルは『それでもボクはやってない』なんです!」

と応じていました。


言葉って奥深いよね。
という、つまらない締め。

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