タイムマシンにお願い

 読経が続いている。ここは愛媛県、今治市。多島美を誇る瀬戸内海の中でも、ひときわ大きい島の中の小高い丘の中腹にある寺である。そこに百人ほどの人々が集まり、神妙な面持ちで和尚の背中を見つめていた。
 戦後まもない1945年11月6日、ここ今治沖で復員軍人や一般人580人を乗せた船、第10東予丸が転覆し、死者・行方不明者397名を出す一大海難事故となった。そして毎年11月に遺族が集まり、犠牲者の鎮魂のための法要を行なっているのであった。
 その後、希望者のみが漁船に乗り込み、事故の現場付近で慰霊を行う。和尚は慣れた足取りで、ひょいと船に飛び乗った。一方、海に恐怖すら覚える私は、足元を確認しつつ、おそるおそる乗り込む。漁船はまもなく現場に到着。和尚が読経を始め、ある者は花束を投げ、ある者は静かに故人を偲びながら、海を見つめていた。私は用意した花束を、海に投げようとした瞬間、船が揺れ、足元がふらついた。あっと思った瞬間、私は深い海の中に落ちてしまった。


 ここはどこだ?海の中ではない。油の匂いが鼻につく。船の上?周りを見回すとたくさんの人が、船べりに座り込んでいる。皆、大きな荷物をかかえ、疲れ切った表情で虚空を眺めている。その中には軍服姿の者もいた。見覚えのある軍服だ。そう私の祖父の遺影、軍服に身を固めた祖父の、あの軍服だった。ここはどこだ、ふと見上げると船体に消えかかった文字が見える。10、東、予、第10東予丸?第10東予丸だ!私は今、第10東予丸の船の上にいる!私の祖父は船底にいるはずだ。急いで船底に降りる階段を見つけ、祖父の名を呼んだ。
「わしのことか。」
見覚えのある顔が言った。
「私は、私はあなたの孫です。」「何を馬鹿なことを、わしには子供はいるが、まだまだ幼な子だ。」
確かに、私の母はまだ小学六年生だ。私は祖父にまつわる、あらゆることを喋り始めた。祖母とは製糸工場で知り合ったこと、造り酒屋で修行をし、酒屋を営んでいたこと、祖母のお腹の中にいた子供の名前を戦地から手紙で伝えていたこと、、、。
「なんでそんなことまで知っている。お前は本当にわしの孫なのか?」
祖父は怪訝な顔をして、私を見つめた。その時だ。
「今治が見えたぞー!」
一人の男の声が聞こえた。まずい、この船はまもなく転覆する。火事場の馬鹿力とはこのことだろう。私は無理やり祖父を船底から引きずり出し、外に出た。祖父は泳ぎは上手かったという。海に落ちさえすれば、きっと命は助かるに違いない。だが、私はどうなるのだ。祖父が生きていれば、もっと早く結婚させられていたと母は言っていた。私という存在が消えてしまうかもしれない。
 今治の街を見るため、人々が一斉に片側の船べりに集まった。その瞬間、船はぐらんと傾き、転覆した。私は再び深い海の中に落ちていった。
 

 ここはどこだ?周りを見回して気がついた。母の実家だ。仏壇には、白髪頭の年老いた祖父の遺影があった。
 そして私は、私は確かに存在していた。

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