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初期衝動

最近観た映画の中で、もしかしたら人生を左右してしまうような曲に出会った時の感動を、ちょっといい感じに表現している作品がいくつかあった。

ひとつは「グッド・バイブレーションズ」というアイルランドを舞台にした、あるレコードショップの人の話。この主人公はいい歳をしたおじさんなんだけど、ふとしたことでパンクに出会って激しく感動してしまい、ついにはレーベルを立ち上げたりするという実話に基づいてつくられている。そしてそのパンクを初めて聴いたシーンがとても良くて、彼の表情が「なんだこれは…」から「すげーっ!」となって「良すぎる…」と涙ぐむまでが一連のセットになっていて、感動している心の推移が手にとるようにわかる。観ていてとても気持ち良い。ほんとこんな感じだよなあ、と思う。とてもわかりやすい。

もうひとつは「リンダ リンダ リンダ」。これは日本の映画で、題名にもあるザ・ブルーハーツの曲が劇中で使われている。ひょんなことでバンドのボーカルをすることになった韓国からの留学生が、初めてブルーハーツの「リンダリンダ」を聴いた時のシーン。彼女が部室でリンダリンダをヘッドフォンで聴いていると、メンバーがなんで泣いてんの?と集まってくる。そして当の本人は自分が泣いているのに気づいていない。結局、彼女の泣き顔は映されないままだった。

自分自身もこういう衝動に襲われたことはあって、初めてボブ・ディランを聴いた時がそうだったし、「リンダ リンダ リンダ」の彼女と同じようにブルーハーツを聴いた時はそうだった。そしてそういう衝撃を受けることは高校生くらいの頃が多かったように思う。最近ではあんまりそういう機会もなくて、なんかいいなと感じたり、一時的に憑かれたように聴き続けるというのはある。でも、とてもシンプルに音楽に感動し、それこそ涙を流しながら曲を聴く、というのはなくなっている。
それは感受性の問題かもしれないし、年齢のせいかもしれない。もし、多感な年代・時期にしかこういう初期衝動を感じることがないのだとしたら、ちょっと淋しい。
でも、ほんとのところはどうなんだろう? 自身の経験を振り返ると、だいたい音楽に感動を覚えた時は、自分自身が何か問題を抱えていた時のように思う。無意識に何かに救いのようなものを求めていて、そんな時に偶然ある音楽と出会う。その音楽によってなぜか僕は理解されたと感じる…  そう、その時に僕が求めていたのは理解されることだ。この自分の辛い思いを分かち合ってくれるようなもの、それがその時に出会った音楽だった。別に音楽と会話するわけじゃないし、なぜある曲を聴いただけで「理解された」と思うのか、その機序はよくわからない。でも事実そうなのだ。
いま、そういう衝動がないというのは、僕自身に問題がないということか、そもそもその問題に真摯に向き合ってないというか、向き合うことができていないということなのか。それとも理解してくれる人ができたのか。もしくは理解される必要を感じていないのか… そのへんの要因はよくわからない。でも、音楽を聴いてむちゃくちゃ泣くことができるのは、たとえ何か辛いことがあるのだとしても、とても貴重な経験で、とても幸せなことだと思う。もしかしたらそれは、その人の生きる姿勢みたいなものと大きく関係しているのかもしれない。日々の出来事とどれだけ真摯に向かい合うことができているか、というような。

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