枝谷しのぶ@創作

ライター、作家、ストーリークリエイター。 制作: 創作小説/挿絵・イメージフォト  …

枝谷しのぶ@創作

ライター、作家、ストーリークリエイター。 制作: 創作小説/挿絵・イメージフォト  好き: ミステリ・歴史・ファンタジー 発達障害ほかマイノリティ: https://note.mu/ddwriter

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  • 憑羽に寄す

    奇病をわずらい隠される若者は、久しぶりの外出を許される。目的は「白い怪物」の確保だった。【完結・全24話】

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憑羽に寄す:終 憑羽たちに寄す

 すぐ傍で、枝鳴りが聞こえてくる。  森の中をイスラは歩く。革靴につづいて、金属板の硬い足音が、川のほとりの岩を踏む。  廃村の広場の傍ら、木々が途切れる。イスラはようやく立ち止まり、ふたりの鴉を振り返った。  あからさまに目くばせしあう、かつての同僚たちに笑いかける。 「ここで待っていてください」 「ですが、あなたの監視が、我々の役目です」 「ここからなら広場全体が見えるでしょう。あなたがたを見張る人はいないんです、何かあってからいらっしゃればよろしい」  ふたりは顔を見合

    • 憑羽たちに寄す:二十二 幸い

       イスラの戻った廃村に、人の姿はなかった。あれだけとどろいていた、猟犬の声ひとつ聞こえない。  代わりに、静まり返る広場は、置き忘れたような人影がある。  イスラは目を瞬いた。 「ヤノシュ?」  もう長いこと会っていないような気さえする、イスラの監督官が、崩れた家の軒下に立っていた。 「ヤノシュ、じゃねえだろうよ」  ヤノシュは長銃をかけた肩を怒らせて歩み寄ってくる。  イスラは頭を振る。ヤノシュの態度は、最後に言葉を交わしたときと、なにひとつ変わらない。 「知ってるんだぞ。

      • 憑羽に寄す:二十一 誰も殺さないために

         イスラは目を開けた。  若葉に覆われた藪の中は草いきれに満ちている。枝の間を縫って折りたたんだ足を動かして、藪の切れ目へと体を寄せる。すぐ隣で丸くなっていたルチアが顔を上げる。  イスラは手のひらを向けて、とどまっているよう合図を送った。  外套をかぶり直し、目の下まで襟元を引き上げて、肌色の白を押し隠す。満に茂った藪と木々の梢を透かして空を見上げる。  水で溶いたような薄青のさなかに、黒く切り抜いたような影が浮かんでいる。  鴉だった。手指を広げたような形の翼を伸ばして、

        • 憑羽に寄す:二十 狩場の準備

           一夜が明けて、ほとりの町にも日が昇る。  刷毛で引いたような雲を抜け、白金の光が差すにつれ、街にもたらされた被害のほどが次第にあらわになっていく。  北門と南門、街の中央を結ぶ通りを、巨人がその手に見合った鉈でもって一直線に叩き割ったような、一本の痕が結んでいる。通りに面した建物は、ことごとく正面部をえぐり取られている。見えるのはふぞろいな断面と部屋の中身、割れ砕けた瓦礫を撒いた地面ばかりだ。人の姿こそまばらだが、焦燥にも目に見えない何かが、埃の匂いの風に混じって街のいたる

        憑羽に寄す:終 憑羽たちに寄す

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        • 憑羽に寄す
          24本

        記事

          憑羽に寄す:十九 開演間近

           それから、星が少しだけ動いたころ、ネストレは靴を整え終えた。  イスラは井戸の縁石のそばに座っていた。縁石の上で、外套の裂き端に、短剣の背で刻み目を並べていく。切り込みで綴られた文字の羅列を内側に、紙片のように畳んでネストレに差し出す。  受け取った裂き端を、ネストレは外套の内側、表の生地と裏地の隙間に差し入れた。 「鴉の者が先行している可能性があります。お気をつけて」  次いでイスラが差し出した携行灯は、同じくらいの大きな手の甲で押し戻される。 「これは持っていてくれ。ど

          憑羽に寄す:十九 開演間近

          憑羽に寄す:十八 作戦

           草を踏む音が近づく。  まるく広がる灯りの中に、徐々に、大男……ネストレの姿が現れた。  ルチアは身をちぢめた。血の気の戻りかけていた頬がさっと青ざめる。 「見苦しいところを、お見せしました」  消え入りそうなルチアを見下ろして、ネストレは口元をゆるめた。灯りを囲んでルチアの向かい側、イスラの隣にどかりと腰を下ろす。 「見苦しいかはともかく、ご令嬢。ずいぶん派手にやりましたね。  あの、森の傍の街。外門がどちらとも踏みつぶされて、酷い騒ぎになっていましたよ」  言いながらネ

          憑羽に寄す:十八 作戦

          憑羽に寄す:十七 貴い血の娘

           ルチアが井戸の傍らに座り込んですぐ、イスラは腰から携行灯を外した。ごく小さく絞って火を入れる。  ゆらゆらと動く灯りから顔を上げれば、向かい側で、ルチアが膝を抱いている。金色の髪がぼやけたぬくい橙の灯りを重ね塗りされて、陰影がちらちらと細かく揺れている。  頭のかたちに沿って編み込まれた髪は、なかば解けかかって、頭の片側に房を垂らしたままになっている。金糸の房の端々に、棘めいたほつれが飛び出している様は、硬質な破片が並んで突き出しているようにも思われた。  硝子でできた宝冠

          憑羽に寄す:十七 貴い血の娘

          憑羽に寄す:十六 常ならぬ者

           目的の場所はすぐに見つかった。イスラは屋根をつたって、南棟の突き当りを中庭へと滑り降りた。簡易牢に繋がる廊下へ滑り込んだところで、内心首をかしげる。見張りらしき人の姿がいない。  暗い廊下の壁に紛れて、小さな格子窓のはめ込まれた扉が均等に並んでいる。つきあたりの格子窓から、細く光の帯が伸びて、かすかな音が断続的に聞こえてくる。息を潜めて近づくにつれ、固いものを打ち合わせるときの音を、次第に耳がはっきりと音を拾いはじめる。  重いものを打ちつけるときの、こもった、腹に響く音。

          憑羽に寄す:十六 常ならぬ者

          憑羽に寄す:十五 決別

           足音を殺して、イスラは二階への階段を上がる。  関の脇に儲けられた宿所に入ったところで、イスラは門衛から言伝てを受けた。  ……到着次第、ご領主に報告を。  黒々とした関所の影が、街道の向こうに見えたあたりで、イスラは馬を降りていた。道中に取り決めたとおり、ネストレは馬を連れたまま、街道脇の林に潜んでいる。  関に入り込むだけなら、イスラひとりのほうがたやすい。万が一交戦する事態になったとき、自分の身とルチアを同時に守れるだろうネストレは、最後まで身を隠しているほうが都合が

          憑羽に寄す:十五 決別

          憑羽に寄す:十四 関所への道

           日が落ちていく。森の木々と屋根の境を黒々と染めていく、大きな日の夕方はなんとも不気味だ。朝の光が、のびをしたり身繕いをする間にゆっくり昇っていくのに対して、にごりのない橙赤の、巨大な光の塊が沈む夕暮れは、時間の立つのがずいぶんと早く感じられる。  街の中央にある時計台から南門へと向き直ったところで、門衛は眉をひそめた。  森のほうから、足音がふたつ。  足音はすぐに人の姿を結んだ。外套の裾をはねあげて、一心にかけてくる。  門衛のすぐ前で、身を折って立ち止まった。暗色の外套

          憑羽に寄す:十四 関所への道

          憑羽に寄す:十三 岐路

           草の擦れる音、自分の足音が、上滑って耳に届かない。  すでに馴れてしまった森の道を歩きながら、イスラの世界はひたすらに静かだった。  音がしていることはわかる。自分が歩いていることもわかる。それでも、自分の足が地面を踏んでいるとはどうしても思えない。離れた場所から、前をゆく歩く誰かの背中を、眺めているときの感覚だった。たとえば足跡の持ち主が、このまま崖の切っ先に向かっていたとしても、止められるかどうかは怪しかった。  ようやくと廃村にたどり着いたときにも、イスラの靴底は、地

          憑羽に寄す:十三 岐路

          憑羽に寄す:十二 支払った対価

           青灰色の朝霧が草のなかにまで満ちている。ひといき呼吸をするごとに、水の粒が肺の腑まで満たすような心地がする。  ほとりの南門のそばで、イスラはルチアと並んで、ほとりの門が開くのを待っていた。  朝の六つを過ぎれば、門衛が南北の外壁の門を開ける。軋みをあげて、重い丸木組みの門が上がっていく。  ルチアが外套を羽織り直して、夜露に濡れた裾をはらう。イスラは一歩を踏み出して、しかしすぐに立ち止まった。  誰かが、門の向こうに立っている。  上がりきった門が重い音を立てて止まる。霧

          憑羽に寄す:十二 支払った対価

          憑羽に寄す:十一 オノグルの関にて

           ケレスト最南端の関所、オノグルの関は、ティーア邸下街とほとりの街の、ちょうど中央あたりに位置している。街道は細く、今でこそ人通りもまばらになってきているが、立地の重要性は変わらない。南北のふたつに分かたれた棟と、物見窓や武器庫、拘束用の簡易牢をも有する関所には、今も戦時の機能の一部が残されている。  鴉の暗色の外套を着込んだまま、窓のそばからレーカは中庭を見下ろした。  黒々とした夜のなか、向かいの南棟の一階、庭に面した渡り廊下では、等間隔に火が灯されている。灯りのつくる赤

          憑羽に寄す:十一 オノグルの関にて

          憑羽に寄す:十 子どもの訊ねたかったこと

           手元を照らす橙が暗くなる。手元から顔を上げて、イスラは部屋の隅の薪へと左手を伸ばした。  楔のかたちに割られた木片を並べてくべ、ついでに木の皮を細く裂いて暖炉へと放り込む。  火の勢いが戻るにつれて、埃の焦げる臭いがする。夜半になって雨が降り始めたらしく、どこかしらおぼつかない空気は湿っていて、静かだった。  イスラは改めてひざの上に乗せた長靴を持ち上げる。  靴の底に仕込まれた薄い鉄板と、ばね仕掛けの刃が左右ひとつずつ。靴に沿う細い鞘に収まった、手先から肘ほどまでの刃渡り

          憑羽に寄す:十 子どもの訊ねたかったこと

          憑羽に寄す:九 鴉のお宿

           春先の陽はまだ落ちるのも早い。イスラがルチアを伴って、森の中を進むうち、落ちてくる光には淡い紫が混じり始めていた。  岩壁に左手をつけて歩いていたイスラは、立ち止まるとルチアに右手をかざした。素直について歩いていたルチアが、首を伸ばしてイスラの前を覗き込む。  赤茶けた岩肌を、ほの明るい緑が埋め尽くしている。  蔦の葉がびっしりと群れ集って、上も奥も見渡す限りを覆っている。崖の上のほうに根をはったものが蔓をしだれさせてるのか、岸壁を這いのぼっているのかもはっきりとしない。

          憑羽に寄す:九 鴉のお宿

          憑羽に寄す:八 正体

           青緑色に透き通った、見慣れはじめた川面を、イスラは決然と見つめている。  ことさら色濃い、流れの深い場所に、今は魚の影はない。すべて逃げ散った彼らの代わりに、丈の長い白い服が、たっぷりとられた生地をくゆらせて、悠然と流れに泳いでいる。  ルチアの服は、これでもかと叩かれはたかれた上で、川の深いところで川底の石とイスラの右手に握られた紐で固定され、ゆるやかな流れにさらされている。  折に触れて目の端にちらついていた裾の草染みも、少しばかりやわらいでくれればいい。考えるイスラが

          憑羽に寄す:八 正体