ベルサイユへ行きました。③

やっぱり振り回される

「ようちゃん、おはよ!」
 夜明け過ぎにようやく寝落ちたため、予定より遅く起きてしまった。慌て気味にロビーに降りて行くと、エリは先に来ていた。
「寝られた? ごめんねー、無理言って。何したい? 買い物? 朝ご飯は食べたの?」
午前の光の中で見るエリは、昔より皺が増え、頬もこけていた。だが微笑むとふわっと華やかになるところは変わらない。白いシャツにジーンズと言うカジュアルな装いだったが、じゃらじゃらと付けた幾つものブレスレットや、私も知らないブランドのバッグからは金持ち臭が漂う。年にあわないロングヘアは明るい色のメッシュが入っていて、それが海外生活の長さを象徴していた。
「えーっ、ホテルのカフェだなんて、ツマンナイじゃない」
エリは、さっさとこの会合を終えたいと思っている私の思惑に気づくことなく、折角だから「いいところ」に行こうと、カフェの名を幾つかあげた。
それを聞きながら、ふとガラスドアに映った自分の姿に目が行った。晩夏とはいえ、日射しが強い季節なのに、なぜ黒い服ばかり持ってきてしまったのだろう。ペタンコ・パンプスを履き、ゴム・ウエストのゆったりパンツスカートにTシャツという部屋着のようなスタイルに日除け用のコットン帽、全て黒だ。だが何が悪い。日本ではそこら中で見かける格好だし、私は日本で暮らしているんだから。
「そうだ、少しベタだけど、ドゥマゴにする?」
エリはそう思いつくと、早速行き方を調べ始める。
 カフェ・レ・ドゥマゴ。
サンジェルマン・デ・プレのメトロからすぐのところにある老舗カフェだ。その昔、フライトでパリに来る度に通った。ジローと出会ったのもドゥマゴだった。エリはそのことを忘れているのだろう。あの時以来、ドゥマゴも、サンジェルマン・デ・プレも訪れていない。避けていたわけではないが、行く気がしなかった。
「今日はデモがあって動いていないメトロも多いから、エールーエール(RER)にしようか」
エリは、勝手にドゥマゴに行くと決めているようだった。
「何それ」
「RERよ、パリと郊外を繋ぐ電車」
エリは、そんなことも知らないの? という顔で笑う。こちらは仕事でたまに来るだけの身だ、知らなくて当然だろう。
「ま、取り敢えず、デ・プレに行って、他のところがよければそっち行っても良いし」
気づくと完全にエリのペースに呑まれていた。昔からそうだった。普段はしっかり者の私なのに、エリと一緒にいると、何か引き摺られてしまうところがあった。
「メトロのカルネ(回数券)持ってる? うん、じゃそれで乗れるよ、行こ行こ」
切符売り場でおろおろしている私を、エリは改札へと促した。エリはSuicaのようなプリペイドカードを持っていた。やはりパリに住んでいるらしい。
 ホームに降りて行くと構内放送が騒がしく流れていた。
「ハウリングしていて全然聞き取れないけど、黄ベスト運動のことだと思う。コロナが落ち着いたと思ったら、今度はデモって言うの、呆れるよね」
 電車がさびついた音を立てながら、構内に入ってきた。こんな古い車両は日本では走っていないだろう。エリによると、案の定、しょっちゅう故障するらしい。
だが、車内に入った途端、目が丸くなった。何なのだ、このきらびやかさは。
「お、当たり車両だ」
とエリは喜んだ。
「このC線は、終点が『ベルサイユ宮殿駅』なのよ。だから、四本に一本くらいかな、電車丸ごと宮殿仕様の電車が走っているの」
なるほど、ベルサイユ宮殿内を模倣しているのか。
「ここは『鏡の間』ね。車両毎に、『ルイ十六世の書斎』、『宮殿庭園』っていう風に内装が異なるのよ」
車内の天井と側面に、宮殿の内装の画像を上手い具合に貼っただけの、安上がりなトリックだ。それでも、味気ない単色の壁に囲まれるより、シャンデリアや金縁の鏡が映る壁に囲まれている方が楽しい。まるで「動く鏡の間」に乗っているようだった。次のサンミシェル駅で降りるのが残念に感じられた。そういえば、ずいぶん走っているようだが。
「大丈夫だって。ようちゃんは相変わらず心配性ね。メトロと比べると、RERは駅と駅の間隔が広いの」
とエリは子どもを諭すように言った。
電車は駅を飛ばして走り続けた。急行のようなものなのだろうか。また「大丈夫だってば!」と笑われるのは癪なので聞かずに黙っていた。すると、周りの乗客が少しざわつき始めた。
「あれ? 何で停まらないの?」
とエリも顔色を変えた。そこに車内アナウンスが入った。エリは,真顔でアナウンスに耳を傾けたあと、スマホを取り出して何やら操作に勤しむ。そして意を決したように、私に向き直ると、
「ようちゃん、ゴメン。私がドゥマゴを提案しなければ」
と謝った。
「でも、驚かないでね、大丈夫だから」
「え、何?」
「ようちゃん、こういう不測の事態、苦手だもんね」
「え、だから何なの?」
嫌な予感がして仕方なかった。エリは、再度、「大丈夫だからね」、と私の目を見つめ、
「あのね、この電車、パリ市内は停まらないんだって」
と言う。
「えっ!」
「黄ベストの抗議運動がパリで激化しているらしいの。それで駅を閉鎖したんだって」
茫然とする私に、エリは「でも大丈夫よ」と繰り返し、グーグルマップを開いて位置関係を説明してくれた。
「どうする? 郊外の何にもないところで降りるより、ベルサイユまで行こっか」
とエリは提案した。
「え、ダメダメ、そんなのダメ。遠出はダメなのよ。まだコロナ規制が解除されたばかりだし、会社にバレたら大変なの」
と反射的に断った。
「ようちゃん、遠出だなんて大袈裟な。ここからベルサイユなんて、車だったら二十分くらいよ」
そんな距離なのか。
「知らないところで降りるより、ベルサイユの方がいいと思う。ベルサイユは観光名所だから、電車も幾つか通るし、いざとなれば、タクシーも、UBERも、ほら」
エリはマップアプリを見せた。確かに交通網は充実しているようだ。私も、事の展開に気が動転していたが、エリに説得されて終点のベルサイユまで行くことに合意した。まあいい、今日は特に予定もなかった。エリはパリが長いし言葉もできる。くっついていれば大丈夫だろう。
それにしても、こんな豪華電車に乗っていきなりベルサイユとは、運命は奇なるものだ。そんなことを考えていると、エリが、
「昔、こういうことあったね」
と思い出すように呟いた。何のことかピンときていない私の表情に、「ほらーー」とエリが説明し出すと、あの日のことが蘇ってきた。

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