翼をひらくとき⑥

本当のトラウマ

 その午後、慶子は久しぶりに佳子とお茶をした。母子英語教室に隣接するティールームなので、子ども達は遊具エリアに突進する。親の「気をつけて。大きな声出さない!」という声も聞こえているのかどうか。そんな子ども達を見守りながら、親同士もおしゃべりが止まらない。お互いの近況報告が終わり一息ついたところで、慶子は佳子に自分の夢について話してみた。

「ふーん、どんな夢みるの?」
「カート飛び出し事故の夢。まだ引きずっているなんて、バカみたいでしょう。一時期は忘れたかな、と思ったんだけど最近またよく夢にみるの」
 そこまで言うと不意に涙が湧き上がり、慶子は慌てて誤魔化そうとしたが顔が歪んでしまう。
「本当にどうかしているわ、わたし」
慶子は目にハンカチを当てる。佳子は、そんなことないよ、と笑いながら、
「それはさ、脳みそがさ、トラウマを消化しようとする過程なんじゃないの? 頭に残っている記憶を、夢のなかで再生することで、『あのことはもう過去だよ、悪い夢だったと思ってページを繰るんだよ』ってリマインドしているっていうか。どこかでそんな分析を読んだ気がする。だから気にしないでさ、じゃんじゃんうなされちゃえば。隣で寝ている仲野(孝一)さんには気の毒だけど」
 と佳子はもう一度笑った。

 そのあと、佳子は再就職活動について話題を変えた。感情的なところを見せてしまった慶子が気恥ずかしそうにしていたからだろう。
「今度、面接することになったの」
 佳子は、慶子もかつて登録していた日本空輪の子会社の人材派遣会社に登録したところだった。初の派遣先が決まりつつあるようだ。
 この会社には多くの元CAが登録している。慶子は、ふと、事故を起こしたときのクルーの中でまだ現役で働いている人は何人いるのだろう、と考えた。皆、あの事件を覚えているのだろうか。きっと、あの中村なんて遠い彼方の出来事として片付けていることだろう。
 そのうち子ども達が調子に乗って悪ふざけを始めた。それをたしなめたりしているうちに、時間はあっという間に過ぎた。
「さて、そろそろ行きますか」
 と重い腰を上げティールームを出るとき、満が何かに躓いて転んだ。慶子が満の身体を抱き起すと、「ごめんね」と言う。
「やぁーね、なんで、『ごめんね』なの。大丈夫? 怪我してないね」
と返すと、また、満は「ごめんね、ママ」と繰り返す。
「さっき慶子が涙ぐんでいたから、自分が悪いことしたと思っているんじゃない?」
 と佳子はいう。慶子は、満が気にしているのはそれだけでないように思えた。もしかして、満は、慶子が孝一に対して優しくできないのも自分のせいだと思っているのではないか、慶子が何かと憂い顔なのは自分のせいだ、と。
 慶子は思わず満を抱きしめ、「ごめんね」と謝った。

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