ウィーンへ行きました。①

憂いが似合う街

 気づくと早足になっていた。夕暮れ迫るシュテファン寺院界隈を、コートの衿を立てホテルへと急ぐ。オレンジ色の街灯、石づくりの建造物、音大から流れてくるバイオリンの音色。
ーー君は誰?
 耳元で誰かが囁く。足元がグラグラするような感覚に襲われ、ついに小走りになる。

 ホテルの部屋に戻ると、買ったばかりのミネラルウォーターやヨーグルトを備え付けの小さな冷蔵庫にしまい、バスルームで手を丹念に洗った。蛇口をキュッと締め、顔を上げると、鏡には疲れた女の顔が映っている。まだ濡れている指先で目元を拭うが、黒ずみはやはりアイラインの滲みではなかった。出発前夜もよく眠れなかった。ということは三十時間以上寝ていない。この顔は、三十三という実年齢よりずっと上に見えるのではないだろうか。細面で背も高いため、昔から年より上に見られた。
 ベッドの前に立つと、身体中から力が抜けていく。そのまま倒れこむと、骨ばった身体は羽毛の海に沈んだ。先ほどまで堅いシニヨンに結われていた黒髪が海草のようにベッドの上に広がる。顔を枕にうずめ「ヤダヤダヤダ」と声を出してみるが、声はベッドの底に吸い込まれていく。しばらくそのままの姿勢でいたが眠気はやってこない。息苦しくなり、寝返りを打って仰向けになる。
 密室での一人芝居。何をやっているのだろう。
「ウィーン、大っ嫌い!」
 手元にあったクッションを次から次へと投げる。
「大っ嫌い大っ嫌い」
 だが、その声も、厚い絨毯と二重カーテンに吸い込まれるだけだった。

 ウィーン線は四泊パターンだ。コロナ禍以来、減便して飛んでいるのでそうなってしまう。わたしは外地ステイが苦手だ。CAとして働き出して十年以上経った今でも、どうしても好きになれない。一人でホテルに滞在するよりも、自分の部屋で好きな本に囲まれていたい。クルー仲間と観光するよりも、自分の街で好きな人と一緒に過ごしたい。
 それなのに、ドイツ語ができるからと、四泊パターンの多いウィーン班にアサインされた。子供の頃にデュッセルドルフで五年ほど過ごした、いわゆる帰国子女だ。だが、この四字熟語が持つ、何処となくハイソなニュアンスはわたしが育った環境と皮肉なほど似合わない。
 日本に戻ったのはわたしが小学五年の時のことだ。その時からうちは没落の一途を辿った。朝、出勤前の父を捕まえ、母は生活費を貰いたい、と乞う。もう実家に金の無心はできないわ、と声を震わせている。父は、母の言葉が終わる前から苛立ちをみせ、ついに癇癪を起す。
「ないものはないっ」
 と怒鳴り、泣いている母に向かって、
「持ってけっ」
 と、財布から一万円札を何枚か取り出し、床に投げ捨てる。母に拾わせたくなくて、素早く絨毯に這いつくばり、お金を拾う制服姿のわたし。くしゃくしゃの紙幣を母のハンドバックに押し込むと、カバンを掴んで外へと飛び出す、このあとも続く父の怒鳴り声を聞かないで済むように。ーー「家族の光景」というとこんなことしか思い出せない。
 日本に帰国して割とすぐの頃に、父は株で失敗し、穴埋めするために借金した。それ以来、父はギャンプル中毒者のように、株や金融商品へ投資し、首が回らなくなると借金するというパターンを繰り返していた。何故そうなってしまったのかと考えると、父の出自や環境など、色々なところに要因があるのだろう。だが、父親のことを理解しようとするのは疾うの昔に諦めた。父が借金を抱えるようになってから、家は抵当に取られ、住まいを転々とした。今では両親は離婚し、三つ上の兄は海外転勤中だ。わたしも一人で暮らしているし、もはや家族が集まることはない。
 
 何故こんなことを考えているかというと、今日のフライトで、危うい一瞬があったからだ。
 ビジネス・クラスの担当だった。ドイツ語でオーストリア人旅客の応対をしたあと、隣の座席にいた日本人ビジネスマンに、根掘り葉掘り質問された。「キミ、どこでドイツ語学んだの? すごいねぇ」から始まり、出身、年齢、父親の職業、とまるで身元調査だった。
 よくあることだ。先方にしたら悪気はないのだろう。誰でも彼でも、自分の見識の中の、何段目、何例目かの引き出しにファイルしないと落ち着かない。日本人によくいるタイプだ。
 わたしも普段なら適当にあしらうのだが、今日はそれが出来なかった。
「帰国子女か、ラッキーだね、ご両親に感謝しないと」
といわれた時、かーっと血が昇り、気づくと、
「うっせぇな」
と吐き捨てている自分がいた。頭が真っ白になった。相手がきょとんとしている間に、
「失礼致します」
 と作り笑顔で会釈し、その場を去った。
「エンジン音に消されて、聞こえていませんように」
 こんなことでクレームになったら、折角上司から打診されている昇進の話もパーになる。バカだ、バカ。

 自分が不安定な状態であることを知っていた。高校の頃に心療内科に通っていたことがあり、それ以来自分の精神状態に注意を払っている。一週間前はこんなではなかった。もっと安定していて、誘眠剤も飲まずに過ごしていた。
 今月のフライト・スケジュールを受け取った時は、四泊のウィーン便が二回も入っているのを見て落ち込んだが、そのうちの一回は、同期の美樹と綾乃がいるフライトだと知ると、気持ちも少し上向きになった。三人でライン・グループを作り、ステイ中「何をしようか」と計画を立てて盛り上がっていた。
 しかし、今はそんな心も、黒いインクで上塗りされたかのように気分が鬱いでいる。
「どうしてあんなことをいうのだろう」
 と問いかける自分がいる。
「勢いで言った言葉よ。大したことじゃない」
 と説き伏せようとしている自分がいる。
「あぁ、でもだめだ。やっぱりこの人、違う」
 そう思うとたまらなく不安で、胸が締めつけられる。
 タダでさえ弱っていた心臓に細いナイフを差し込んだのは、一昨夜を一緒に過ごした恋人、原田の発言だった。
 いや、その前に、わたしを憂いの沼へ引き摺り込んだ、あのフライトに言及しなくてはならない。時は三か月前、七月までさかのぼる。

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