サンタモニカへ行きました。⑩最終回

新しい旅路


 帰りの飛行機は混んでいた。翌日から出勤するので締まり屋のわたしにしては珍しく、ビジネス・クラスを取っておいてよかった。そうはいっても、社員割引のチケットなのだが。
 ビジネス・クラスは、エコノミー・クラスと違い、座席、サービス、全てにゆとりを感じる。周りの旅客までグレードアップしたかのように品がよく見えるから不思議だ。アペリティフに頼んだカリフォルニア・ワインが美味しくて、一人舌鼓を打つ。窓の外を見ると雲ひとつない青空が、下に視線を落とすと大海原が広がっている。
 そんな景色を眺めていると、先ほど空港で、別れてきたばかりの浩美と子ども達のことが頭に浮かんだ。
「来月もLAX便ついているから、また連絡する」
「うん、待っている。あのときのスティーブから、『ヨガにもまた来て』ってメッセージがあったし」
と浩美はウィンクした。ビーチ・ヨガ。みんな好き勝手やっていて、思い出すと笑みが漏れる。

 やがて、客室の照明が落とされた。そばを通ったCAに先ほどと同じワインを頼む。「Sure」と答えたCAの笑顔は、どことなく奈津子を彷彿させた。ワインを受け取ると、また自分の世界に戻る。
 
 奈津子、
 浩美に会ってきたよ。すごく元気だった。相変わらず穏やかで優しくって。奈津子に会えなくって残念がっていたよ。
 俊君と優君っていう男の子が二人いてね、かわいいのよ。何かね、「生きてる」って感じ。元気貰っちゃった。
 
 奈津子、
 昔は浩美と理恵と由利の五人でよく遊んだね。浩美と昔話したのよ。楽しいこと、一杯あったのにすっかり忘れていた。奈津子、独りで死んでかわいそうって、そっちばっかり考えていた。
 今、奈津子のことを思い出すと、五人でお腹よじらせて笑った、あの頃の楽しそうな奈津子だよ。自信満々で元気いっぱいの奈津子だよ。
 
 奈津子、
 どうして死んじゃったの? 私、わからないよ。ーーでも、もうそのことは考えないことにする。奈津子も立ち入って欲しくないから、黙って旅立ったんだもんね。そっとして欲しいから、そうしたんだもんね。わからないままページを繰るよ。それでいいんだよね?
 
 ねぇ、奈津子、
 私もつらいの。今、結構つらい。でも、向かい風を受けてみようと思っているんだ。

 かおりは、帰ったら上司と向き合う覚悟でいた。これは浩美の夫、孫の入れ知恵でもあった。日本企業から押し出されるようにしてアメリカに来た孫だ。
「会社に言われたから、嫌なポストでも忍んで受け容れるというのはもはや美徳ではないよ。まず、労働協約を調べてーー」
と色々とアドバイスした。
 孫が言う通りだと思った。会社に忠誠を誓う前に、自分に誠実であるべきだ。まだ空を飛びたい。客室部に残れないか交渉してみよう。会社が経営困難な状況にあることはわかっている。減給やパートタイム契約なら可能なのか、模索すべき道は全て試してみたい。併せて転職についても、どんな可能性があるのか調べるつもりだ。わたしの経験を生かせる場所があるかもしれない。
 ワイングラスをそっとサイドテーブルに置き、瞼を閉じる。

 目が覚めると飛行機は成田まで、あとちょっとの距離まで来ていた。コーヒーを飲みながら窓から下界を見ると、米粒のような大きさだが、道路を走る車の姿も確認できる。ふと、浩美の運転する姿が思い出された。
「そうだ、仕事の件が落ち着いたら、近所のドライビング・スクールに通ってみよう」
と思いついた。考えるだけでワクワクした。
 飛行機の主脚が降りる音がする。窓からは、パッチワークのように整然とした農家の畑や水田が見えた。青々とした早苗が風にそよいでいる。いよいよ着陸だ。

終(Many thanks!!)

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