サンタモニカへ行きました。④

こんなはずじゃなかったよね

 大きな車がビュンビュン飛ばす中、浩美は、緊張することなくハイウェイを運転していた。先ほど、ホテルでピックアップして貰ったのだ。
「りっぱねぇ、浩美。すっかりアメリカ人してる」
わたしは車の免許すら持っていない。どこかに行くときは電車やバスに乗るものだと思っている。
「車社会だからチョイスがないのよ。下手でしょ、運転。でも一応無事故だから」
と浩美はさらっと応える。何車線もあるハイウェイを、どこまでも続く青い空へ飛び立つように自由自在に運転する浩美。昔よりふっくらとし、日焼けのせいか、鼻のあたりにはシミやそばかすがあって、それが反って若々しく映る。二十代の頃の、痩せぎすで神経質なところもあった浩美と比べると、随分と印象が変わった。
 浩美の夫、孫とはわたしも面識があった。昔は三人で食事したものだった。孫は在日コリアンであるがため就職で苦労したそうだ。働き始めてからも偏見や差別で嫌な目に遭い、先行きに不安を感じたので、米国へMBA留学を決め、そのまま米国で就職した。浩美も両親の反対を振り切って渡米し、結婚した。
 かおりは、この過程を近くから見守っていただけに、二人の思いが成就した時は心の底から喜んだ。そして、乗務の前夜は緊張のあまり熱を出してしまうような浩美に、そんな情熱と勇気があることに驚いた。本人も、
「自分でもびっくりしている。大胆なことをしようとしているのはわかるんだけど恐くないの。彼と一緒になる運命なのかもね」
と穏やかに笑っていた。
 わたしだって、若い頃は結婚に憧れていた。結婚というか、浩美と孫のように、芯の部分で繋がっている、そういう人との出会いを夢に見ていた。だが、父の病が長引き、気づくと家族の稼ぎ頭となっていた。弟と妹が自立するまで、と思っていたはずが、いつの間にかこんな年となり、今では老母を抱える身となっている。
 奈津子も異性関係は実りが少なかったようだ。奈津子は、幼い頃に実母を亡くし、父親が後妻として迎えた女性とは折りが合わなかったという。奈津子は、「結婚したい!」と騒いでいた時期もあったが、それが必ずしも奈津子の本心ではないように感じていた。
 
 奈津子が仕事で重大なミスを犯してしまったと聞いたのは、一年近く前のことだった。奈津子はチーフ・パーサーとして乗降用のドア操作を任されていたのだが、手順を誤り、危うく大事故を起こすところだった。幸い、別のCAが介入して難なきを得たそうだ。奈津子は厳重に注意され、しばらくフライトを下ろされた。
 この噂を聞いて、すぐに奈津子にメッセージを送った。すると、奈津子から、「やってしまった(^。^;)」と返事が来た。わたしが奈津子の立場であれば、絵文字などつける心境にはないだろうが、動揺して変に落ち込んでしまうよりはいい。それでも急いで自宅待機させられている奈津子を陣中見舞いに行った。
 目黒のマンションを訪れると、奈津子は乗務するときと同じ濃い目の化粧でわたしを迎えてくれた。そういえば奈津子の素顔を見たのはいつのことだろう。化粧の濃さが反ってわたしより三歳年上の奈津子の歳を浮き彫りにしていた。身体も数年前に腰痛を患った時にがくっと痩せてしまったままで痛々しいものを感じた。
 ワインを勧めながら、
「客室部で噂になっている?」
と奈津子は聞いた。
「奈津子の名前は一切伏せられているから、大丈夫よ。私は同期だから知らされただけ。会社も心配しているのよ」
これは本当だ。管理職にいる先輩CAより「奈っちゃん、大丈夫か様子見てきて」と耳打ちされたのだ。
「心配なんてしてないわよ。もうそういう時代じゃないもの」
と奈津子は乾いた笑い声を上げた。かおりは、奈津子が言いたいことも分かった。昔の客室部は、もう少し家族的なカルチャーがあったが、今は、人数も多く、人間的な繋がりが希薄になった。
「私、乗務課の西口君からプレッシャーかけられたわよ。『引き際も大切だぞ』って」
と奈津子はそこでまた不要に笑うと、ワインをグッと煽る。口の脇からつーっと滴が垂れると、手の甲で拭き、
「でも、私、辞めないの。定年が来るまで居座る。だって、会社は私達に何をしてくれたっていうの? CAなんて転職したくても他じゃ潰しが利かない。社内で上へ行こうとしても壁だらけ。何であの人が、っていう人事ばかり」
だが、こんな大きな業務過失を犯しても厳重注意で終わらせたのは、温情処置と言えるのではないだろうか。
「私みたいなのは、辞めさせると煩いから、閉じ込めておいた方が安上がりなのよ」
奈津子は、鼻で笑うようにそう言った。
 過失に対する反省もなく、ふてぶてしい奈津子の言葉に、返したい言葉がたくさんあった。会社に関しては、わたしの方がよっぽど理不尽な思いをさせられている。それでも会社に対する感謝の気持ちを忘れないように、と自分に言い聞かせてきた。奈津子など、優遇されている方ではないいか。
 だが、すっかり痩せこけて、化粧で仮面を作っている奈津子を目の前にして、そんな言葉はぶつけられなかった。

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