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あえて言おうカスであると。明治維新。

明治時代は明るいイメージでとらえている人も少なくないと思います。確かに現代よりも弱肉強食だった世界情勢の中で、諸外国に占領されることなく独立を守れて経済的にも発展できたという意味では大成功だったと思います。

ただ、明治政府は、文化や宗教という意味では「カスである」と呼びたくなる政府でもあると私は思っています。

例えば、進歩の象徴のように言われることもある

・洋服の導入
・ちょんまげの廃止

みたいな話ですが、よくよく考えてみれば最新技術を導入して国防力や経済力を上げることと、ファッションや髪形をヨーロッパにあわせることに、特に関連性はありません。

重たい割に銃弾への防御力が落ちてきている戦国時代みたいなアーマーを廃止するのはとても合理的です。これはヨーロッパ側でもやっていた話で、そういう改革は必要です。

ただ、服なんて機能的に動ける服ならなんでもいいわけで洋服が正義というわけでもありません。髪型も邪魔にならなければなんでもいいわけです。

服装を合理化することと服装をヨーロッパ方式にすることは、本来はイコールではないのに、なぜかセットととらえてしまったという話です。

当時は大英帝国のようないくつかの列強が世界の大半を牛耳っていた時代で、明治政府はこうした先進の大国のよい所をガンガン見習っていく作戦だったはずです。

ところが、明治の政策は「欧米列強のスタンダードを輸入する」で息切れしてしまった感があります。欧米列強のように強くなることが目的なら「自分たちに適したルールを作る」という力が大事なのに、その辺がすっ飛ばされていたように見えます。

さらにカスだと思っているのは明治の宗教政策です。

・神仏分離令。既存の信仰体系を破壊、仏教施設への破壊活動も誘発
・キリスト教はOKにして修験道は禁止するなど、悪い意味でいい加減な「信仰の自由」の運用

など

現代でもお寺は葬式を担当して神社は七五三などを担当するなど、宗教的な儀礼に関して仏教と神道が役割分担しているのが日本の宗教的な世界の特徴です。明治以前は今よりさらに緊密に仏教と神道が融合した状態だったものを上からの政策として分離させたのですが、これはかなり悪手だったと私は思っています。


「信仰の自由」の運用もすごくいい加減で、キリスト教は江戸時代に禁止されていたものを解禁する一方で、古くからあった修験道へは禁止令をだしていたりします。

古くからの神仏の教えの一部は(政府都合で)禁止しておいて、ヨーロッパからやってきた新しい宗教は(外圧が強いので)許容する、という運用は公平さのカケラもなく、政策としては失敗だったのではないかと考えています。


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