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川内炭焼きプロジェクトは何を目指すの?

ども。
関孝男です。


川内炭焼きプロジェクトとは
その昔川内村で日本一でもあった炭焼きが、東日本大震災に伴う福島第一原発事故で放射能被害のため、ゼロになってしまいました。炭焼きの復活を掲げました。

エピソード1から始まり、エピソード6 出川内記 が現在。

参考
2016年1月9日~   エピソード0「言霊~はじめに言葉ありき~」(継続中)2015年12月1日~2016年1月13日  エピソード1「一歩」
2016年1月14日~2017年5月9日 エピソード2「ひょっとこ」
2017年5月10日~2018年3月5日  エピソード3「YES!祭り」
2018年3月6日〜2020年12月31日 エピソード4「炭焼場」
2021年1月1日〜2021年10月31日  エピソード5「見る前にとべ」
2021年11月1日〜         エピソード6「出川内記」

2021年から川内村で教えてくださっていた「校長先生」に昨年末に再度断られてしまいました。
2015年末から続けてくださった「炭焼師匠」も2020年には窯を落としました。
どうしたものか。悩んでいました。

さらに
田村市常葉町での学習塾「八起塾」も立ち上げようと企んでいるところ。

もちろん、ご紹介した「安瀬山荘」でも活動は継続していきます。

こちらのプラットフォームでイベント的に行っていきたい。


話を木炭の放射能基準値にかかる話に戻ります。


ご存知の方も多いですが、福島第一原発事故に伴う放射能基準値超により、木炭の生産はまだまだ厳しい状況です。つまり、作ったところで売ってはダメと言われて終わり。ここは永田町にも行きましたが、相手にもされませんでした。放射能基準値が厳しすぎることは林業の世界では特に言われて久しいですが、日本の構造上の問題も大きいですよね。新たに何かしようとする分にはなかなか前に進みにくい現状です。コロナで浮かび上がる日本の構造上の問題にもつながりますね。

とはいえ、ここまでのことはあくまで外の世界の話。

私は炭焼きを通して、自己肯定感が育った体験がありました。それは「炭焼師匠」との協働体験は大人になってからの生き直しの可能性を感じました。つまり、現代日本の若者の自己肯定感の低さの解消、また引きこもりやニート等の心の癒しへの可能性、さらには現代では感性を研ぎ澄まして生きられない生きにくさに対して、喜怒哀楽の感情を取り戻し、幸福を感じやすくなる感性を取り戻す活動もできるとも考えていました。

炭焼そのものも産業として成り立つでしょう。すでに生業(なりわい)としている炭焼さんも多くいることも知っています。しかし、それだけにこだわる必要もないのかなと思いはじめています。

川内炭焼きプロジェクトの看板を掲げながら、川内村にもいない、炭焼もやってない。なんか自分で自分を責めてました。恥ずかしながら。それでも、自分の心の声を聴いたとき、炭焼きにこだわることもなんだか馬鹿らしくなってきました。人は変わってもいいのですから。かわぅちまったなあーのダジャレで表現してもいいかなと。

参考 2018年いわなの郷勤務時代の記事です。


炭焼きをきっかけにした里山、あるいは自然の中で本来の自分を取り戻す方向性にもっと軸足を置いたほうがいいかなと思っています。


そうそう。
それで学習塾、八起塾なんです。

と、ここから有料にしてみました。
踏み込んだことを書いたので、ご了承ください。

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