【特別掲載2/5】三秋縋『あおぞらとくもりぞら』(原作版)

三秋縋さんのサイト「げんふうけい」と同時掲載。

※こちらの原稿は、初期バージョンから大幅に加筆・修正が施された改稿バージョンとなります。

★最初から読む場合はこちら ⇒ 【特別掲載1/5】三秋縋『あおぞらとくもりぞら』(原作版)

★loundrawさんによるコミック版はこちら ⇒ 第一話「Blue sky?」


『あおぞらとくもりぞら』

三秋 縋


  30.

 簡単な朝食を作って二人で食べると、

 僕は標的を車に乗せて一度自宅まで送り、

 支度を済ませて出てきた彼女を高校まで送り届けました。


「お前、学校は好きか?」と僕は訊ねました。

 標的は乾いた声で答えました。

「嫌いです。学校という仕組みも、クラスの人たちも、全部」


「いつも一人で、寂しくないのか?」

「いえ。一人が好きなんです」

「なるほど」と僕は肯きました。「参考にしよう」


 車から降りると、標的はこちらを振り返って

 律儀に頭を下げ、校舎のほうへ歩いて行きました。

 これから何が起きるかも知らずに。


  31.

 僕は近くの店の駐車場に車を停めると、

 シートを倒して目を閉じました。


 標的は、ちょうど教室に入るところでした。

 教室という空間が大の苦手なのでしょう、

 ドアの前で足を止めて躊躇していました。


 長い逡巡の後、彼女は勇気を出してドアに手をかけました。


 教室に入ると、近くにいた生徒たちが、

 反射的に標的のほうを振り返ります。


 そのとき、標的の表情がぱっと明るくなり、

 口から「おはよう」と朝の挨拶が出てきます。

 もちろん、僕の仕業です。


 周りの連中は、誰も挨拶に応えませんでした。

 無視されたというわけではなさそうです。

 皆、彼女が自分から挨拶してくるなどとは夢にも思わず、

 ただの聞き違いだろうと判断したようでした。


 標的の顔が、真っ赤に染まってゆきます。

 恥ずかしくて仕方がないのでしょう。


 殺されるのは平気でも、挨拶を無視されるのは平気じゃないのです。

 そういうものです。


  32.

 標的は席に着くなりペンとノートを取り出し、

「やめてください」と書いて僕に訴えかけてきました。

 僕は彼女の手を借りて「断る」と返事を書きました。


 授業が始まると、標的は机に頬杖をつき、

 教師の話そっちのけで窓の外を眺め始めます。

 すかさず僕は彼女の体を乗っ取り、

「授業を真面目に受けろ」とノートに指示を書きます。


 標的は僕のメッセージをじっと睨んでいましたが、

 やがて諦めたようにペンを手に取り、板書を写し始めました。

 彼女がノートを取っているのに気づいた壇上の女性教諭は、

 さも珍しいものを見るように目を瞠っていました。

 よほど普段の授業態度が悪かったのでしょう。


  33.

 昼休みになると、標的は一人で食事を始めようとします。

 しかし、こんな絶好の機会を僕が逃すはずもありません。


 僕は彼女の体を乗っ取り、近くに集まって昼食をとっている

 数人の女子グループに近づいて「あの」と声をかけました。


 声をかけられた女の子たちが一斉にこちらを向きます。

 僕は標的に感じの良い笑みを浮かべさせ、こう言います。


「私も、混ぜてもらってもいいかな?」


 女の子たちは信じられないという顔で目を見合わせます。

「い、いいけど……」と一人がおそるおそる答えます。

 僕に操られた標的は、「ありがとう」と目を細めて礼を言います。


 標的の顔が、見る見るうちに羞恥に染まっていくのがわかります。


  34.

 そんな調子で、僕は一日中標的を操り続けました。


 授業が終わるなり、標的は誰よりも早く教室を出ました。

 学校にいる限り、僕のいやがらせが続くと思ったのでしょう。


 標的の足はまっすぐ自宅に向かいましたが、そうはさせません。

 僕は彼女の体を乗っ取って進路を変更させました。


 ただし、今回は夜通し歩かせたりはしません。

 二十分ほど歩いたところで、

 標的はこぢんまりとした児童公園に到着します。


 二台あるブランコの片方に、彼女を座らせます。

 当然、もう一方のブランコには僕が座っています。


  35.

「よう」と僕は手を上げて挨拶しました。「学校はどうだった?」


 標的はゆっくりと顔をこちらに向け、僕をにらみつけました。

「なんであんなことするんですか?」


「一人で寂しそうだから、友達を作ってやろうと思ったんだ」

「……私のこといじめて楽しいですか?」


「ああ。お前みたいなタイプが一番いじめていて楽しい」


 標的は溜め息をつきました。

「こんな回りくどいことをしてないで、早く殺してください」


 僕が無視して煙草に火をつけると、彼女は続けました。

「相手が子供だからって怖じ気づいてるんですか?

 この程度でいちいち躊躇していたら、先が思いやられますよ」


 どこか、引っかかる喋り方でした。


  36.

 思えば昨日から、彼女の言動には不可解な点がたくさんありました。


『遺書の文面を、少しだけ、弄らせてほしいんです』

『私を操っていたのはあなたなんですね?』

『さっさと殺しちゃえばいいじゃないですか』

 そう——まるで、<掃除人>の仕事内容を理解しているかのような。


 数秒間考えてから、僕はこう訊きました。

「お前、どこまで知ってるんだ?」


「……なんの話でしょう?」標的は案の定しらばくれます。


 完全にこちらを舐めきった態度でした。

 この辺りで力関係をはっきりさせておいたほうがよいだろうと思い、

 僕はちょっと乱暴な手段に出ました。


 標的の体を奪うと、両手で自分の首を締めさせました。

 繊細な造りの十本の指が、細い首に食い込んでいきます。

 色の白い顔が、徐々に赤く染まっていきます。


 意識を失うぎりぎり手前で操作を解除すると、

 彼女はしばらくその場にうずくまって咳き込んでいました。


「答える気になったか?」と僕は訊きます。

 標的は顔を上げて、涙目で笑ってみせます。


「残念ですけど、ぜんぜん脅しになってませんよ。

 だってこの方法じゃ、絶対に私のこと殺せないじゃないですか。

 私が意識を失ったら、その時点で操作が解けちゃうんですから」


 やはりこの子は何か知っている、と僕は確信します。


  37.

 標的は膝に手をついて立ち上がり、再びブランコに腰かけました。

「答えるまで、延々と同じことを繰り返すぞ」と僕は脅迫します。


「わくわくしますね」と彼女は醒めた顔で言います。

 僕は舌打ちします。

「いいから答えろ。お前は一体何を知ってる?」


 彼女はちらりと僕を見たあと、視線を正面に戻しました。

「知ってるも何も、今あなたがやってるのは、

 私が昔やってたこと、そのものなんですよ」


「……どういう意味だ?」


 標的は軽く地面を蹴って、ブランコを漕ぎました。

 きいきいと鎖が軋む音がしました。


「私も以前はそちら側だった、ということです。

 標的を操って、自殺に見せかけて殺していました」


  38.

「八人、自殺させました。標的は十九歳から七十二歳まで。

 男が六人、女が二人。四人は飛び降りで処理しました。

 首吊りが三人で、残りの一人は薬物です」


「あなたもそうだと思うんですが、ある日突然、

 人の体を乗っ取って自由に操れるようになって、

 同時に、自分が<掃除人>になったことを悟りました。

 頭に<標的>に関する情報が流れ込んできて、

 その人物を自殺に見せかけて処理しろという<指令>が聞こえました」


「私はなんの疑いも持たず、指令を淡々と遂行していきました」


「最初の一人のほかは、上手いことやれたと思います。

 私は、この仕事がわりに気に入っていました。

 一人自殺させるたびに擬似的な死を体験できるので、

 まるで生まれ変わったような気分になれるんです」


  39.

「あなたは、どうして自分が<掃除人>に

 選ばれたのか、分かりますか?」


 僕は首を振って否定の意を示しました。


「これはあくまで私の憶測に過ぎませんが、

 あなたが掃除人に選ばれたのは、

 私が途中で仕事を投げ出したせいです。

 九人目の標的を相手に、私はありがちなミスを犯しました。

 ——同情してしまったんです。

 殺すべき人間を、ただ見逃すばかりか、救おうとしてしまったんです」


  40.

「それからほどなくして、私の操作能力は失われました。

 使い物にならないと判断されたんでしょう。指令も来なくなりました。

 しかも結局、私が逃した標的は、少し後で自殺しました。

 多分、私の仕事は、後任の掃除人に引き継がれたんでしょうね。

 操作能力も、その人に移譲されたんだと思います」


 標的が顔を上げて訊いてきます。

「あなたが掃除人になってから初めて殺した標的って、

 背が高くて、ゆるいパーマをかけていて、

 いつも眠そうな顔をしている女の人でしょう?」


 僕の沈黙を、標的は肯定と受け取ったようでした。


41.

「あの人のこと、私、殺せなかったんですよ。

 あまりにも、私にそっくりだったから」


“そっくり”の意味について、彼女は深く語ろうとはしませんでした。

 ただ一瞬、寂しげに微笑んだだけでした。


「彼女を見逃してから半月ほどして、

 私は人の体を乗っ取る力を失いました。

 ……もちろん、それだけでは終わりませんでした」


「どうやら私は、掃除する側の資格を失っただけでなく、

 掃除される側の人間と見なされてしまったみたいでした。

 ある日、右手が自分の意思とは無関係に動き始めて、

 私は、私の体が何者かによって乗っ取られたことを悟りました」


 標的は僕を指差して言います、「それが、あなただったんです」


  42.

「いわゆる”用済み”ってやつなんでしょうね。

 前任者は、後任者に消されるシステムなんでしょう。

 掃除人をやめた掃除人も、また殺人犯という扱いになるのかも。

 私が自殺させた人の中にも、ひょっとすると、

 元掃除人が混じっていたのかもしれませんね」


「だから」標的はすべてを諦めたような微笑を浮かべて言います。

「さっさと私を片づけたほうがいいと思いますよ。

 もたもたしてると、あなたも掃除人の資格を失ってしまうかも」


  43.

 そういうことだったのか、と僕は納得します。


 この女の子が殺されたがっていたのは、

 後任の掃除人である僕を生かすためだったのです。


 ひょっとすると、彼女は自殺する勇気が出なかったのではなく、

 僕に殺されるのを待っていただけなのかもしれません。

 掃除人としての仕事を、僕が無事遂行できるように。


 ——気に食わない、と僕は唇を噛み締めます。

 こちらは向こうを殺す気でいるというのに、

 向こうはこちらを救う気でいるのです。


  44.

 僕の思考を読んだように、標的がつけ加えます。

「別に、あなたのために殺されようというわけじゃありません。

 そもそも私、生きているのがあんまり好きじゃないんです。

 どちらかと言えば、さっさと死んで楽になりたいって思ってます。

 ……だから、私を殺すのに遠慮なんていりませんよ?」


 僕は彼女の話についてしばらく考えを巡らせてから答えました。

「だったら尚更、今お前を殺すわけにはいかないな。

 楽になる手伝いなんて、絶対にしてやるもんか。

 お前には、未練たらたらで死んでもらわなきゃ困る」


 彼女は無表情に僕を見つめました。

「なるほど、太らせて殺すというわけですか。

 ……でも、その前に、あなたが殺されると思いますよ」


「どうかな。俺は別に、お前を殺すのをやめるわけじゃない。

 より完璧な死刑執行のために、一時的にそれを保留するだけだ」


「……そうですか。それなら大丈夫かもしれませんね」


  45.

「お前は、“さっさと死んで楽になりたい”らしいが」

 僕は煙草を足下に落として踏み消しながら言います。

「果たして、本当にこの世界に未練がないと言えるのか?」


「……さあ。どうでしょうね」


「たとえばそう——お前の部屋に、妙な草があったじゃないか。

 お前が死ねば、あの草だって道連れだ。すぐに枯れちまうだろう。

 可哀想だと思わないのか? 申し訳ないと思わないのか?」


 すると標的の顔に、一瞬、動揺の色が浮かびます。

 思いつきの発言でしたが、どうやらあの観葉植物は、

 彼女にとって本当に大切なものだったようです。

 人を愛せないので、その分の愛情を植物に注いでいるのでしょう。


 僕はほくそ笑んで言います。

「どうやら、あの草が本当に大事らしいな?」


 標的は唇をぎゅっと結んで僕をじっと睨みつけます。


  46.

「かーてぃしーです」


「うん?」僕は訊き返します。


 標的は顔を上げて、明瞭に発音します。

「アグラオネマ・ニティドゥム・カーティシーです。

 草じゃありません。立派な名前があるんです。覚えてください」


「地味な草のくせに、大層な名前だな」


「カーティシーです」


「わかったよ。カーティシーだな」


「あおぞらです」


 僕は空を仰ぎました。青空がどうしたというのでしょう?


  47.

 標的は自身を指さして、もう一度言いました。

「あおぞら。私の名前です。覚えてください」


 僕は得心して肯きました。

「ああ、名前か。そういえばそうだったな」


「くもりぞらではないです」


「青空だろう。確かに似合わない名前だ」


 すると青空は醒めた笑みを浮かべました。

「……ところが、そうでもないんですよ。

 『blue sky』には、『無価値』という意味もあるんです。

 そういう意味では、私にぴったりの名前ですよ」


  48.

「そういえば」と青空が訊きます。

「あなたのお名前、うかがってませんでしたね」


「くもりぞらだ」と僕は適当に答えます。


「……まねしないでください」


「本当だよ。すばらしい偶然だな」


「ふうん。似合う名前でよかったですね」


 二人のあいだに沈黙が降りました。

 ややあって、彼女が口を開きました。

「……聞きたい話はすべて聞き出せたでしょう?

 私、そろそろ帰ってもいいですか」


「ああ」と僕は肯きます。


 青空はブランコから降り、出口に向かって

 少し歩いてから振り返って言いました。

「さよなら、くもりぞらさん」


「ああ。じゃあな、青空」


  49.

 アパートに戻ったあと、ふと気になって、

 青空の言っていた観葉植物について調べてみました。


 アグラオネマ・ニティドゥム・カーティシー。

 どうやらとても希少な品種のようです。


 明るい場所が好きなくせに直射日光は苦手で、

「明るい日陰」で育てる必要があるという面倒な草でした。


  50.

 それからも毎日、僕は青空を操り続けました。

 学校では常に微笑みを絶やさず、挨拶を欠かさず、

 授業を真面目に受け、自分からクラスメイトに話しかけるようにしました。


 もともと青空の器量が良い方だったということもあり、

 彼女がそうした「当たり前」をしっかりとこなすだけで、

 自然と周囲からの好感度は上昇していきました。


 次第にクラスメイトたちは青空への認識をあらため、

 彼らの方から頻繁に声をかけてくれるようになりました。

 そうなってからは、僕は青空を操作する頻度を徐々に減らし、

 親しげに話しかけてくるクラスメイトに対する青空の反応を楽しみました。


  51.

「青空さん、おはよう」

「青空さん、一緒にごはん食べようよ」

「青空さんって普段どんな音楽聴いてるの?」

「ねえ青空さん、ここの問4だけど……」

「ほら青空ちゃん、ここ座って」

「私、もっと青空ちゃんの話聞きたい」

「いいからいいから、青空ちゃんもおいでよ」

「青空ちゃん」「青空ちゃん」「青空ちゃん」


「じゃあね、青空ちゃん」

 帰宅すると、青空は倒れるようにベッドに寝転びます。


「今日は色んな人と話せてよかったじゃないか」

 僕は彼女の口を操作してそう言います。


「……全然よくないです」青空は弱々しい声で返します。

「くもりぞらさんはひどい人です」


「そう思ってもらえると嬉しい」と僕は言います。


  52.

 幸運だったのは、クラスメイトに一人、

 青空の趣味に理解を示す女の子がいたことでした。


「へえ、青空ちゃんもこういうの聴くんだ」


 自分と似たような音楽を聴く人間が

 教室の中にいたことがよほど嬉しかったのでしょう。

 その子はことあるごとに青空の机までやってきて、

 好きな音楽について無邪気に語ってくるようになりました。


 青空はあまり積極的には口を開きませんでしたが、

 彼女の話を無視しているというわけではなさそうでした。

 この手の話題は嫌いではないのでしょう。


 次第に青空は、ぎこちなくではありますが、

 そのクラスメイトの前では僕が操作するまでもなく

 ごく自然に言葉を交わすようになっていきました。


 このままいけば、青空が教室に溶け込める日もそう遠くなさそうでした。

 しかし惜しくも、ここで学校が夏休みに入ってしまいます。


  53.

 夏休み初日、僕は青空を操作して

 以前連れていったのと同じ公園に向かわせました。


 僕はベンチに腰かけて彼女を待っていました。

 公園を囲む木々のあちこちから蝉の鳴き声が聞こえてきます。


 その日は珍しく、公園内で子供が遊んでいました。

 彼らは大声ではしゃぎながら、回転遊具に捕まって

 同じ場所をぐるぐると回り続けています。

 そんな光景を、僕はぼんやりと眺めていました。


 夏休みだというのに、青空は制服姿で現れました。

 ひょっとすると、自分で身辺整理を行った際、

 私服はすべて処分してしまったのかもしれません。


 公園についた青空は、僕の顔を見るなり言いました。

「さあ、今日こそ殺してくれますよね?」


 それから得意気にこう言い添えました。

「学校は夏休みに入ってしまいましたから、

 もうこれ以上のいやがらせは不可能ですもんね」


「そうでもない。方法はいくらでもあるさ」


「……たとえば?」青空は小首を傾げます。


  54.

 僕は彼女の体を乗っ取り、ポケットや鞄を探りました。

 ところが、いくら探しても目当てのものは見つかりません。

 しかたなく、僕はいったん操作を解除して訊きました。

「お前、携帯電話はどうした?」


「携帯? 持ってませんよ、そんなもの」


「携帯電話を持っていない?」


「私にそんなもの必要ないことくらい、見ればわかるでしょう。

 まさか、今まで気づかなかったんですか?」


 確かに、彼女が携帯電話を使用している姿を、

 僕はこれまで一度も見たことがありませんでした。

 しかしそれは、校則の関係で携帯電話を学校に

 持ち込めないせいだろうくらいに考えていたのです。


  55.

 僕が呆れてものも言えずにいると、青空が訊きました。

「携帯電話があったら、なにをするつもりだったんですか?」


「クラスメイトに連絡して、遊びに誘うつもりだった」

「なるほど……」

 世の中には“人を遊びに誘う”という文化があるのか、

 とでも言いたげに青空は目を丸くしていました。

「でも、残念でしたね。私、クラスメイトの連絡先なんて知りませんから」


「……参ったな。そういう可能性は想定していなかった」


「浅はかでしたね」


「仕方ない。俺がクラスメイトの代わりをしよう」


「……はい?」青空は両目をしばたたかせました。


「友人だと思って、遠慮なく接していいぞ」


「なにを言ってるんですか?」


「ここは暑いから、どこかに涼みにいくか」


 僕は青空の手を引き、ベンチから立ち上がりました。

「あの、くもりぞらさん?」

 青空が説明を求めてきましたが、僕は素知らぬふりをしました。


  56.

 ——僕は、この標的にこだわりすぎているのかもしれない。

 ふと、そんな考えが頭をよぎります。

 いくら彼女の態度が気に障ったからといって、

 標的一人の殺害にここまで時間をかけるのは賢明ではありません。


 この辺りで妥協して、彼女を殺すべきなのかもしれません。

 クラスメイトの代わりをして彼女を楽しませるなどという

 悠長なことをしている暇があったら、その時間を用いて

 一人でも多くの標的を始末するべきなのでしょう。


 殺害すべき標的は、まだまだ大勢残っているはずですから。


 しかし、気づけば僕は青空を連れて喫茶店に入っています。

 まあいいか、と僕は一旦すべてを保留します。

 ここまで手間をかけて準備を整えたのですから、

 当初の計画通り、彼女が「死にたくない」と口にするまで

 徹底的にいやがらせを続けることにしましょう。


  57.

 注文したコーヒーが届くと、青空がすかさず文句を付けてきます。

「私コーヒー苦手なんですよ。にがいから」


「ウイスキーが飲めるのに?」


「コーヒー、毒みたいな味するじゃないですか」


「まるで毒を飲んだことがあるような口ぶりだな」


「ええ、ありますよ。他人の体を使って、ですけどね」


 僕が返事をせずに黙っていると、

 青空は「冗談です」と真顔で言います。

 どこまで本気なのか、よくわからない女の子です。


  58.

 コーヒーを飲み終えた青空は、ふと思い出したように言いました。

「以前にも言いましたが、私、標的を見逃してから

 半月ほどで操作能力を失いました。

 くもりぞらさんもそろそろ気をつけた方がいいですよ」


「俺には関係のない話だな。別に見逃したつもりはないから」


「とか言って、本当はただ怖じ気づいているんでしょう?

 私みたいな子供を殺すだけの勇気がないんでしょう?」


「そんな安い挑発には乗らない」


「……いくじなし」

 青空は頬杖をついてつまらなそうに言いました。


  59.

 喫茶店を出るなり、青空はふうと溜め息をつき、

「では、さようなら」と言って家に帰ろうとします。

 僕は彼女の首根っこを掴んで引き止めます。


「なんなんですか」青空はうんざりしたように言います。

「そんなに私と一緒にいたいんですか」


「ああ」と僕は肯きます。

「言っただろう、俺はお前の<死に甲斐>をひとつ残らず奪いたいんだ。

 そのために、生きる楽しみをひとつでも多く知ってほしいのさ。

 『北風と太陽』で、太陽がとった作戦と似たようなもんだな」


「……生きるの、楽しいなあ」と青空はわざとらしく言います。

 当然、僕はそれを無視します。


 僕は青空を連れて歩き、目に入ったミニシアターに入りました。

 強い陽光を浴び続けたせいか妙に体が怠く、

 映画が始まってから数分とせずに僕は眠りに落ちてしまいます。


  60.

 目を覚ますと、映画は終わりに差しかかっていました。

 劇中で何か感動的な出来事があったらしく、

 登場人物たちは大袈裟に涙を流して泣いていました。


 建物を出たあと、「どんな映画だった?」と僕が訊くと、

 青空は「殺人犯が酷い目にあう映画」と簡潔に答えました。


 映画を観て、何か思うところがあったようです。

 二歩分の距離を保って僕の後ろを歩きながら、青空は言いました。

「……映画でもドラマでもそうですけど、人殺しをした罪人って、

 改心したとしても最終的には罰を受けて死にますよね」


「『人を殺すような奴は死んでしまえ』ってことだろう」

 僕は持論を述べます。

「罪ってのは一度犯したらそれっきりなのさ。

 いくら改心しようと、人殺しは死ぬまで許してもらえない。

 改心した上で死ぬことで、初めて『あいつは改心した』と認められるんだ」


  61.

「その理屈からいくと」と青空は言います。

「私たちも死んだ方がいいってことですね?」


「俺は別に許してもらおうと思わないから、関係ないな」


 しかし、青空は無視して続けます。

「なんだかそういうのはわくわくしますね。

 ここに生きているべきでない若者がふたり」


「……何がどうわくわくするんだ?」

「あおぞらとくもりぞらですもんね」

 そう言って青空は僕の顔をじっと見つめます。

 その意図は、僕には掴みかねました。


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