【特別掲載1/5】三秋縋『あおぞらとくもりぞら』(原作版)

三秋縋さんのサイト「げんふうけい」と同時掲載。

※こちらの原稿は、初期バージョンから大幅に加筆・修正が施された改稿バージョンとなります。

★loundrawさんによるコミック版はこちら ⇒ 第一話「Blue sky?」


『あおぞらとくもりぞら』

三秋 縋


  1.

 僕の仕事は、主に、部屋の掃除でした。


 なぜ他人の部屋をわざわざ掃除するのかと言うと、

 自殺には、身辺整理がつきものだからです。


 きちんと部屋を掃除して、遺書を残して死ねば、

 その人の自殺を疑う人は、まずいません。

 とにかく、綺麗にすること。それが大事なのです。


 手順は、以下の通り定められています。


①標的の体を乗っ取る

②自殺をほのめかす

③身辺整理をする

④遺書を用意する

⑤自殺する


 そういうわけで、僕は自分の仕事を、

 二重の意味を込めて<掃除人>と呼んでいました。


  2.

 他人の体を乗っ取り、操作する力が身についたのは、

 二十歳の誕生日のことだったと記憶しています。


 なんの予兆も、なんの脈絡もありませんでした。

 その日、僕はふと、自分に人を操る力があることを理解しました。


 それと同時に、<標的>の顔が頭に浮かんできました。

 <そいつを自殺に見せかけて処理しろ>と、頭の中の声が言いました。


 かくして、僕はその日から<掃除人>になったのです。

 以後三ヶ月間にわたって、僕は六人の標的を処理してきました。


  3.

 七人目の標的は、神経質そうな目つきをした女の子でした。


 彼女が標的だと知らされたときは、驚きました。

 というのも、それまで僕が自殺させてきたのは、

 一目見ただけで悪人とわかるような人ばかりで、

 こんなに若く無害そうな標的は初めてだったのです。


 押せば壊れそうなほど華奢で、

 触れると汚れそうなほど色白で、

 いつも遠くばかり見つめている。

 そんな女の子でした。


 しかし、見た目に惑わされてはいけません。

 標的とされているからには、相応の理由があるに違いないのです。

 おそらく過去に何かしらの罪を犯した人間なのでしょう。

 もしかすると、人の二、三人、平気で殺しているかもしれません。


 僕は目を閉じて、遠く離れた場所にいる

 標的の顔を思い浮かべ、体を乗っ取りました。


 七月の、よく晴れた日のことです。

 まさかこれが最後の仕事になるとは、

 当時の僕は思いもしませんでした。


  4.

 標的は、窓の外を見ていました。


 彼女がいるのは、高校の教室。授業中のようです。

 生徒たちは皆、忙しそうに板書を取っています。


 その中で、標的の女の子だけは、

 気怠そうに頬杖をつき、窓の外を眺めていたのでした。


 窓の外に、何か面白いものがあったわけではありません。

 田舎らしいのどかな風景が広がっているだけです。


  5.

 試しに、標的の手を操って動かしてみることにしました。


 操作の精度を試すために、板書を丁寧に写してみます。

 手の中のペンが、妙に大きく感じられます。

 この女の子の手が、それほど小さいということでしょう。

 しかしすぐにその違和感にも慣れ、僕は彼女の体を

 自分の体とほぼ変わらない精度で操れるようになります。


 ふと顔を上げると、唖然とした表情で

 こちらを見つめている教師と目が合いました。


 その表情の意味は、もう少し後になってわかります。


  6.

 標的の出方をうかがうために、

 僕はノートに「はじめまして」と書き、

 そこで一旦体のコントロール権を彼女に返しました。


 標的は自分の手を開いたり閉じたりして、

 体が自由になったことを確認していました。

 操作されているという自覚はあるようです。


 標的は、自分の手がひとりでに書いた文字を

 興味深そうにじっと見つめ続けていました。

 それ以上の反応はありませんでした。


  7.

 授業が終わり、昼休みが始まります。

 僕は再び標的の体を乗っ取ります。

 ここからが、本番です。


②自殺をほのめかす。

 まずは標的の知人や友人に向けて、

 標的が絶望している姿を見せる必要があります。


 溜め息を増やしたり、最近眠れないと愚痴を漏らしたり、

 口数を減らしたり、いつもと違うことを言わせたり。


 そうやって言葉の端々に含みを持たせておくことで、

 後々、彼女の自殺にリアリティが出てくるのです。

「今にして思えば、あれは自殺の前兆だったんだ」と。


  8.

 僕は教室を見回して、標的の友人を探しました。


 しかし、近寄ってきて話しかけてくる者はおろか、

 こちらに視線を投げかけてくる者さえいません。

 皆、それぞれに固まって、昼食をとりはじめます。


 僕は、誰かが声をかけてくるのを我慢強く待ち続けました。

 そうしていれば、この子が一人でいることに気づいた誰かが

 声をかけてくるはずだろうと思っていました。


  9.

 昼休みの半分まで来ても、

 標的は一人ぽつんと取り残されていました。


 僕はそこでようやく気づきます。

 この教室で、彼女が孤立しているのは、

 とても自然な状態なのだということに。


 どうやら今回の標的は、いわゆる「ひとりぼっち」のようでした。


  10.

 困ったことになったぞと思いましたが、

 よくよく考えてみると、これは好都合でした。


「ひとりぼっち」の女の子というのは、

 いつ死んでも、それなりに説得力があるからです。


 インタビュアーが訊ねます。

「自殺した女の子は、どんな子でしたか?」

 同級生が答えます。

「無口で、なにを考えているかわからない人でした」


 そんな光景が目に浮かびます。


 しばらく、放っておくことにしました。

 何せ、することがありません。

 僕は、標的の操作を一時的に解除しました。


 彼女は、理想的な「自殺しそうな女の子」を、

 黙っていても演じてくれるようでしたから。


  11.

 僕はアパートの一室から標的を操っていました。

 相手の顔さえ知っていれば、どこからでも操作は可能なのです。


 目覚ましを合わせ、僕は昼寝を始めました。

 人の体を乗っ取るのには、とてつもない体力が要ります。


 次の仕事は、一番大変な「身辺整理」です。

 それまでに、体調を万全にしておく必要がありました。


  12.

 目を覚まして標的の様子をうかがうと、

 ちょうど最後の授業が終わるところでした。


 標的の子は、誰よりも早く教室を出ていきました。

 どうやら部活には入っていないようです。


 ウォークマンのイヤホンを耳に差し込むと、

 彼女は寄り道もせずにまっすぐ帰宅しました。


 標的が帰宅し、自室に入ったところで、

 僕は再び彼女の体を乗っ取りました。


③身辺整理をする。

 標的の目を通して、部屋を見渡します。

「なんだこれは?」というのが、率直な感想でした。


  13.

 途方に暮れてしまいました。


 身辺整理をしようにも、その部屋には、

 最低限の家具以外なんにもないのです。


 雑誌も、本も、テレビも、パソコンも、

 化粧品も、クッションも、ぬいぐるみも、

 その部屋には、なんにもないのです。


 年頃の女の子に似つかわしくない、

 ひどく殺風景な部屋でした。


  14.

 慣れた僕でも部屋の状態によっては五時間以上かかる身辺整理が、

 この子の場合はたったの二分で済んでしまいました。


 唯一のゴミは、酒瓶でした。

 一番下の抽斗に、いくつか入っていました。


 僕は酒瓶をゴミ袋に詰めようとしましたが、

 よくよく考えるとそのままにしておいた方が

 自殺者らしさを演出する上でプラスに働きそうなので、

 置いてあった場所に戻しておきました。


  15.

 人間性を感じさせるものも、いくつかありました。

 棚に無造作に置かれていたCDがそのひとつです。


 アレサ・フランクリン、ジャニス・ジョプリン、

 ビリー・ホリデイ、ベッシー・スミス。

 いかにも根暗な人間のチョイスという感じでした。


 こちらに関しても、そのままにしておいた方が

 自殺の演出に役立ちそうなので、放っておきました。


 それから、ベランダには観葉植物がありました。

 しかしそれも綺麗な花というわけではなく、

 奇妙な模様の入った、地味な観葉植物でした。

 これもCDと同様の理由で、そのままにしておくことにしました。


 身辺整理はそれで終わりでした。

 こんなに仕事が順調に進むのは、初めてのことでした。


 今すぐ自殺させたところで、多分なんの問題もないでしょう。

 下手に手を加えないほうがよさそうです。


  16.

④遺書を用意する。


 仕上げに、標的の手で遺書を書かせます。


 世界史の教科書の端を破り取って、

「自分が嫌いなので死にます」としたためました。


 なんとなく、この女の子が遺書を書くとしたら、

 こんな感じの内容になるのではないかと思ったのです。


  17.

 遺書をポケットに入れて、家を出ようとしたそのときでした。


 標的の女の子が、初めて反抗しました。

 それも、信じられないほど強い力で。

 危うく、コントロール権を奪回されるところでした。


「待って」と標的は口を動かしました。

 操作に逆らって無理に動かしたので、

 唇の端が切れ、そこから血が流れました。


 驚く半面、僕はちょっとほっとしてもいました。

 このままだと何もかも上手く行き過ぎて、

 逆に気味が悪いと思っていたからです。


 さあ、命乞いをしてみせろ、と僕は思います。

 いったいどんな言葉が聞けるのでしょうか。


  18.

 標的の女の子は言いました。

「遺書の文面を、少しだけ、弄らせてほしいんです」


  19.

 僕は自分で言う代わりに標的に喋らせます。

「どういうことだ?」

 傍から見れば、彼女のひとりごとでしょう。


 標的は答えます。

「『なにもかも嫌いなので死にます』に変えてくれませんか?」

「……なぜ?」

「こいつなんか、死んだ方がよかったんだ、

 って皆に思われたいんです。できることなら」


  20.

 僕はしばらく黙っていましたが、

 まあそれくらいはいいかと思い、

 文面を彼女の言う通りに修正しました。


「ありがとうございます」と標的は礼を言いました。


 結局、一度も命乞いをされないまま終わりそうです。

 いったいこの子は何を考えているのでしょう?


 そこで僕はふと、ある仮説に行き当たります。


  21.

 ひょっとするとこの女の子は、

 僕に目をつけられるよりもずっと前から、

 もともと自殺する気でいたのではないでしょうか。


 身辺整理も済んで、遺書の内容も決めて、でも、

 どうしても最後の一歩を踏み出せずにいたのではないでしょうか。


 もしそうだとすれば、不自然なほど整理された部屋も、

 彼女がまったくの無抵抗なのにも納得がいきます。


 この仮説が正しければ、僕のやっていることは、

 誰かに背中を押してもらいたがっていた自殺志願者を

 望みどおりに殺してやる、というだけのことになります。

 まるでただのボランティアです。


  22.

 そういうのは、僕の望むところではありませんでした。

 死にたがっている人を殺すのは、つまらないことです。

 彼女に上手いこと利用されたようで、気に入りません。

 僕は他人に利用されるのが何より嫌いなのです。


 殺す前に少し、この女の子をいじめてやろう。


 なんとかして、彼女の口から「死にたくない」

 という言葉を引きずり出して、それから殺してやろう。


 そう僕は決めたのでした。

 思えば、仕事に私情を挟んだのは、これが初めてのことでした。


 僕は標的の体を乗っ取ると、遺書を丸めてゴミ箱に捨て、

 別の紙に「友達の家に泊まってくる」とだけ書いて

 リビングのテーブルに置くと、財布だけ持って家を出ました。


  23.

 夜の町は、虫の声に覆い尽くされていました。

 じっとしていても汗がにじみ出てくるような、蒸し暑い夜でした。


 僕は標的を操り、そんな熱帯夜の中を何時間も歩かせ続けました。


 坂道や階段が多い港町ということもあって、

 彼女の体力は見る見るうちに削られていきます。

 全身が汗だくになり、華奢な脚はがくがくと震え始めます。


 時間の経過と共に、喉が渇き、お腹が減り、疲労が蓄積していきます。

 疲労で視界がだんだんと狭くなり、景色がぼやけてきます。

 一歩ごとに、耐えがたい苦痛を感じるようになります。


 構わず、僕は彼女を歩かせ続けます。


  24.

 何時間も何時間も坂や階段を上り続け、

 ふと標的が顔を上げると、そこは町の天辺にある展望台です。


 彼女は重い足取りで螺旋階段を上っていき、屋上に出ます。

 落下防止用のフェンスを乗り越え、展望台の縁に立ちます。


 フェンスから手を離し、地上を見下ろします。

 目眩がするくらいの高さに、彼女の足が竦みます。


 あと一歩で、何もかもが終わります。


 彼女はその一歩を踏み出します。

 足は空を切り、体は前のめりに倒れていきます。


 標的は死を覚悟して、ぎゅっと目をつむりました。


  25.

 しかし次の瞬間、標的の体は、

 強い力でフェンス側に引き戻されていました。

 彼女は何が起きたかわからない様子でした。

 おそるおそる目を開けて、自分が助かったことに気づき、

 腰を抜かしてその場にぺたんと座り込みました。


 それから、ゆっくりと視線を上げて、

 自分を落下から救った人物と目を合わせました。


「助かって、ほっとしただろう?」と僕は言いました。

 彼女はぽかんと口を開けたまま、僕の顔を見つめていました。


  26.

 しばらくして、標的は口を開きました。

「私を操っていたのは、あなたなんですね?」

「そうだ」と僕は肯きました。


「じゃあ、さっさと殺してください」

 彼女は眉ひとつ動かさずに言いました。


 その言葉を聞いて、僕はいよいよかちんときます。

 こうなったら意地でも彼女に「死にたくない」

 と言わせなければ気が済みません。


 僕は腰を抜かしている標的を抱え上げました。

 そのまま展望台の螺旋階段を慎重に下りていき、

 駐めておいた車の後部座席に彼女を放り込みました。


「……私、誘拐されるんですか?」と標的が訊ねます。

「黙ってろ」と言って、僕は車を発進させました。


  27.

 アパートに着くと、僕は標的を自室に連れ込み、

 シャワーを浴びてくるように命じました。


 標的は何かを悟ったように顔をしかめましたが、

 不平らしい不平も言わず、諦めた様子でそれに従いました。

 逆らっても無駄だとわかっているのでしょう。


 僕は脱衣所にいって標的の脱いだ服を洗濯乾燥機に放り込み、

 代わりにバスタオルと着替えを置いておきました。


 それから台所に立ち、冷蔵庫の余りものを調理します。

 ほどなくして浴室から出てきた標的に、

 それを食べるように命じました。


 標的は当惑顔で料理と僕を交互に見つめていましたが、

 やがて箸を取り、料理を口に運び始めました。


  28.

 食事を終えると、標的は僕に訊きました。

「……どうしてこんなことをするんです?

 さっさと殺しちゃえばいいじゃないですか」


「今、生きてるって感じするだろう?」


「……はい?」彼女は両目をしばたたかせます。


「疲れ切った体に熱いシャワー、空き腹にうまい食事。

 今、お前は否定しようのない充足感を味わっているはずだ」


 標的は無言で僕の目を見据えます。

「お前には、なるべく恐怖に怯えながら死んでほしいんだ。

 だから、これから、お前の『死に甲斐』をひとつ残らず奪ってやろうと思う」


 標的は視線を落としたまま何かを考え込んでいましたが、

 そのうち舟を漕ぎ始め、テーブルに突っ伏して眠ってしまいました。

 僕は彼女を起こさないように、そっとベッドまで運びました。


 標的はとても気持ちよさそうに眠っていました。

 こうやって生きる喜びをひとつひとつ叩き込んでやろう、と僕は思います。

 人生の楽しみを知るたびに、彼女の死の恐怖は増していくはずです。

 彼女の顔が恐怖に歪むところを想像して、僕は一人ほくそ笑みました。


  29.

 翌朝、目を覚ました標的は、僕の顔を見るなりこう言いました。

「さあ、昨日のつづきをしましょう」

 両手を僕に差し出し、じっと僕の目を見据えます。

「私を殺してくれるんですよね?」


 僕は彼女をちょっと睨みつけてから言います。

「ああ、そのうち殺すさ。とてもひどいやりかたで」


「とてもひどいやりかたですか」


「そうだ。せいぜい期待してな」

 妙な女の子だ、と僕は思います。

 普通の人間なら理解に苦しむであろうこの状況を、

 なんの苦もなく受け入れているみたいです。


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