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砂漠にて叫ぶ

 僕はずっと大丈夫ではない。
 何はともかく、本当にずっと大丈夫ではない。

 市役所に行けば証明書を忘れるし、図書館に行けば学生証を、バイトに行けば携帯を忘れる。人の言っていることがわかっていないし、いつまでも自動車学校の予約を入れていないし美容院の予約も入れていないし、友達いないし彼女も3ヶ月いないしサークルには行けていないし酒のんだらすぐ寝てしまうしタバコ吸っているし、、、

 はやく大丈夫になりたい。
 大丈夫になるというのは僕にとって非常に難しいことである。

 それは僕の眼の前から巧妙に秘匿されている。世間一般の大学生や学生の女の子には余すことなく開かれているような門を僕は全く見つけ出すことができない。

 自己肯定感は砂嵐と似ている。

 まず、人の心は砂漠のようなものであると思う。
 自我が生まれたそのときから、成功体験を積むたびに、この砂漠は広く大きくなっていき、雲は徐々に晴れていく。
 しかし一方で、他人から邪悪な扱いを受けたり、助けや歩み寄りを求めたのに何も施されないということがあると、自分の心の砂漠には風が吹いていく。風が吹けば砂が舞い上がり、それは重なってだんだん強くなって、やがて砂嵐になる。

 砂嵐になってしまうと、一寸先はもう見えない。吹きすさぶ風に体を傷つけられ、光は見えず、本当に進むべき方向を見失ってしまう。見たいものも見えなくなってしまう。

 今現在、ぼくの砂漠には大風が吹き荒れている。まるで普段やさしい父に人生初めて食らった大目玉のような大嵐。

 だから今の僕には一寸先も見えない。
 砂が太陽を完全に覆い隠して、昼なのに薄暗い。僕はなにもかもが見えないままで、この砂嵐が止むことをずっとずっと、望んでいる。
 長い長い砂嵐が収まり、だいたい6年位ぶりに僕の前の重苦しかった視界が開ける、青空が見える。
 そんな想像をしていると涙が出そうになる。

 しかし別な場所ではこの砂嵐が止んでほしくないとも思っている自分が存在することがある。 
 それが止んだら、眼の前に断崖絶壁しかなかったときを想像してしまうからだ。

 僕にとって死ぬことは怖い。おそらくほとんど誰にとってもそうだと思う。
 死を目の前に突きつけられると人は冷静でいられない。

 執行日の朝、死刑囚の元にこれまで現れたことのない人数の看守と役人が現れ、お前はこれから死ぬんだと告げられる。
 殆どの死刑囚はそこで取り乱す。僕は想像する。此時の苦しみは何事にも代えがたい。死刑囚には労働義務がない。死を持って償うことのみが責務であり、刑のすべてである。ゆえに余暇的な面を考えれば、辛い責務や環境というものはなく、ひたすら自分の体が呼吸して摂食して排泄して、、、律動している事だけを自覚しながら、それが止まる日まで生きる。毎日自分の体が規則正しく活動する、それを嫌という程思い知らされる。
    
 そうしてある程度の日々が過ぎた後、その日がやってくる。この世で最後の日には、今まで過剰なほどに意識させられた自分のものだけであった日常は、眼の前に高々と掲げられ、他人に奪い取られる。生のありがたみを日々感じているからこそ、それを失うことへの恐怖は計り知れない。


 開けた視界で、自分の身体がどの岩肌で蹂躙され、もがれ、遥か遠くにある谷底の深く深くまで落下するかが全てわかっていて、なお身を投じるしかない状況に置かれるくらいなら、砂嵐に吹かれたまま、何もわからないまま、足を滑らせて崖から落ちるほうがマシだと思う。

 酷いことに、こんな一寸先は闇のような生活であっても、生の喜びは感じてしまう。本懐を何も果たせていなくても、日々少しある良いことが僕をこの陰惨たる世界に引き留める。
 だからこそ、嵐が止むのは怖い。

 最初からすべて見通せていたらどんなに楽だろう。黄色い大地も、青空も、残酷な太陽も、雨も雲も全て見通すことができていたら。

 だが僕は大丈夫ではないのでそうはなれない。
 遠くを見たくても自分の足元くらいしか見ることができない。足元には何もいない。砂漠は孤独だからだ。
 しかし、長く歩いていると、この過酷な環境で生き抜ける生き物を見かける。
 足元を這うさそりが鬱陶しい。こいつは毒があって危険だ。刺されると一気にしんでしまう。  
 僕はさそりの対処方法を知っている。
 刺激せずに其の場から逃げることだ。

 コロナが僕の砂漠を砂嵐に一気に変えてしまい、そこから今も戻ってこれず、嵐はやまない。早くこの嵐がやんでほしい。

 しかし、嵐を止めるには歩き出さなくてはいけない。止まっていては何も起こらない。行く手に何が待っていようと危険が待っていようと、嵐が止むその日まで歩きつづけなければならない。僕は歩き続けられるだろうか?

 砂漠では向こうから旅人に合うことはめったにない。同じ場所にとどまっていればなおさら会うことはすくない。そういう事がわかっているのに今の僕はゆっくりゆっくりとしか歩くことができない。痛みに耐えながら、ゆっくりゆっくり歩いていく。

 先の嵐にさらされて傷ついた皮膚がただれて、僕はその処理の仕方も知らない。皮膚から伝わる痛みが僕の歩みを遅くさせる。

 もう何も起こらない。このまま朽ちて死んでいくだけかもしれないと自分のネガがささやく。ネガは実態を保たない。ネガは都合がいい。
 彼は実態を伴ってこの世に現れる事は怖くて出来ない。怖がりだからだ。そのくせ、彼は僕の体を借りていかに楽に生き延びることができるかをずっと考えている。ネガは僕に死んでほしいと願っている訳では無い。ただ生きてほしいと願っているのだ。極めて退廃的に、無気力的に生きることが彼にとっては最も心地の良い環境らしい。

 僕はしばらくずっと、ほとんどの人と見えている世界が違うのかも。高校3年から晴れることのない場所を生きている。
 見えているものが違う人と会話をすると、僕は理解が追いつかないことがたまにある。ときおりすれ違うだけの、晴れた視界を歩いているものが、「いかに自分のやりたいことをするか」「恋愛で辛くならないためには自分一人でいるときより楽しいか」と言っても、見えている先が違いすぎるのであんまり参考にならない。

 あと、もとは砂嵐だった場所から、今は開けた砂漠を歩いている者にも少し会ったが、みんな砂嵐でもがいていた頃のことは忘れている。みんなというのは語弊があった。そうでなければ、僕がそれを聞かされたとき、その風景の代わり映えしなさに自分を重ねてしまう想像をして、その思い出をうまく問いただせないでいる。

 幸いなことにぼくはまだ若い。
 面白がってか興味か、ぼくに話しかけてくれる大人はそれなりにいる。

 彼らの話は面白い。生きている長さが僕たちよりはるかに長いゆえに、砂漠でどうやって生き抜くかについてあっと唸るような知識を教えてくれることもある。普段の僕からは想像もつかない事をいわれることもある。

 しかし、同世代の人間になると僕の前にはほとんど現れない。
 どうしてだろうか。
 お金が稼げるわけでもないのに、同年代のつまらない奴と話すのが嫌だからなのだろうか?
 自分に魅力がないから?機会がないから?原因は考えれば考えるほど多くなっていく。
 もっと同じような年のいろいろな性別の人と触れ合ってどんな人生を送ってきたのか聴いたり聞かせたりしたい。聞かせたりっていうのは最近べつにどうでもよくなってきて、今は聴きたいの欲の方が強い。

 こういった感情をもとにコミュニケーションができない機会がないと嘆くのは、それはそれで他人に期待するような部分が重すぎる気がする。

 話してくれることは別になんでもいい。子供の頃好きだった遊びとか、子供の頃見てたようつべとかテレビとか。親はどんな人だったのか、友達は、登校が一緒だった人はどんな人だったのかとか。

 なんでも興味をもって聴きたいとは考えているのだが、ぼくは一見興味のない反応をしてしまうことがある。
 しかし、心のなかではずっと、今僕の眼の前にいる人はどんな人なのかなと考えている。

 僕は心理カウンセリングを受けている期間が長い。
 今は別な人に変わってしまったが、昔お世話になっていたカウンセラーの先生に、ある日のカウンセリングの回で生い立ちについてしゃべる機会がそこから何回か設けられた。僕はあえぎながらようやっとそこから3回かかってカウンセリングで喋りたい人生についてしゃべり切った。
 僕の話を余すことなく聴き終えた後、彼女は「やっと君という人がどんな人なのか分かってきたよ」と言った。
 僕はその言葉を今でも覚えている。

 その意味では自分が他人の理解できないような話をしても、別に興味なんて1ミリもなくていいから、面白がってくれなくていいから、逃げないで最後まで聴いてくれる人がいいなというのはある。


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