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東京帝国大学工学部 世界初の大学工学部


世界初と言っても、そもそも当時、「大学」と名前の付く学校は当時世界で東京帝国大学だけ(多分)なので当たり前といえば当たり前である。
ここでいう大学とはユニバーシティのことだ。

東京大学(The University of Tokyo)に工学部がある。今では普通だが、ユニバーシティに工学部を入れたのは東京帝国大学が世界初と言われている。

私が某工学部の学生であった頃、授業でアメリカ留学の話が出た。
アメリカ留学ならまずハーバード(Harvard University)ではないのかと思うだろうが、ここには小規模な工学部のようなもの?しかないらしい。
行くならハーバード近くのマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)である。
または西海岸ならスタンフォード大学(Stanford University)も良い。
といった内容だったと思うが、なぜハーバード大学に工学部がないのか?インスティチュートがなぜ大学なのか?単科大学はカレッジではないのか?
色々調べたがよくわからなかった。
ある本にはアメリカの大学はそれぞれ特色があって、日本の東大のように一校になんでも詰め込むという発想ではない、と書かれていたが、そういう問題なのだろうか?と思っていた。


そもそもユニバーシティは中世に起こった。
(ラテン語ではウニベルシタスだが)
当時は工学という学問はない。
学問と言えば神学であった。
キリスト教聖職者を養成するのが目的であった。

この世を創造したのは神であるのなら神学が最も崇高な学問である。そして法学と医学は神学に連なる学問であった。
確かに、物事の善悪を決めるのも、人を裁くのも神、生き死にを決めるのも、病人を癒すのも神である。
神学部、法学部、医学部を上級学部といった。

上級学部に進む前に学芸学部 (faculty of the arts)でリベラルアーツとも訳されている自由七科(算術、幾何、天文、楽理、文法、論理、修辞)を学んだ。
特に論理学が重要視されていた。

この時代の大学を後世の大学と区別して中世大学(Medieval University)などと呼ぶことがある。
オックスフォード、ケンブリッジ、パリ、ウイーンなどの大学は今でも有名である。

これら学部の教員資格として生まれたのが、博士 (Doctor)、修士 (Master)という学位であり、学位取得を受けてはじめて大学での教授活動が許された。当時のユニバーシティというのは結局これら学部の学位授与権を持っているということが重要であった。
当時、研究はアカデミアという別の組織で行われていた。

その後時代が進みルネサンス、産業革命を経て農学、商学、工学などが生まれたが、初めのうちはこれらは学問ではなく技能、技芸に類することであって、ユニバーシティではなく各種学校で教えられてきた。

19世紀になると自然科学研究、技術革新が進み、神学の学問的な地位も小さくなっていった。逆に学芸学部は哲学部という形に発展していき、上級学部と並ぶ学部になっていく。

また、プロイセンが台頭し、ベルリン・フンボルト大学(Humboldt-Universität zu Berlin)が設立されると、アカデミアでなく大学が研究機能を持ち、神学、法学、医学という上級学部の研究を哲学が指導するという形になる。中世大学でない、現代の大学の原型となる。
これで19世紀後半はドイツが学術研究の中心になっていくのである。
この頃、哲学部は自然科学の比率が大きくなっていき、自然科学部門を独立させようかという話もあった。また工業学校など各種学校出身者にも博士号を与えても良いのではないかという議論がされていたが、すぐにユニバーシティに工学部を設立するというわけにもいかなかった。

その後ドイツの学問は没落しアメリカに中心が移っていくが、19世紀後半のアメリカはまだそこまで行っていない。
ハーバード大学に工学部がないのは、もともと中世大学の系統であったからで、マサチューセッツ工科大学を吸収合併するという話は何度も出たがうまくいかず結局工学部はできなかったということらしい。


で、やっと東大の話に戻る。
日本でも19世紀後半に西洋の学問が輸入されてきたが、各分野毎に最も進んだ国からバラバラに入ってきた。
その後色々あるのだが、医学、法学と、哲学は理学部、文学部という形にまとまる。
神学については、日本人はキリスト教徒でないのでここを神道や修身などに置き換えようとしたが、ここには学問的な伝統がないので根付かずに終わった。
こうして法、文、医、理4学部の東京大学ができるのであった。
まだ工学部はないが、理学部でも工学的な内容を扱う科の方が多かったらしい。

また当時は各省庁が自前で職員養成のための学校を持っていた。工部省工部大学校、司法省法学校、農商務省駒場農学校、北海道開拓使札幌農学校である。
東大も文部省東京大学という感覚で当初は文部省管轄学校の教員養成というように受け止められていたようである。

この中で工部大学校は規模が大きかった。当時は国内のインフラ整備が必要で多くの人材を必要としたし、武士は職を失い就職先が必要でもあった。
かつて士農工商の頂点であった士族にとっても、農工商の下で働くわけにもいかなかったが工部大学校に入り工部省で働くなら公務員となり高級技術者としての職が得られるので人気もあった。

ある程度インフラ整備が進むと工部省は廃止となり、宙に浮いた工部大学校は東大に移管される。こうして東大に工学部ができるのである。
法、医、文、理、工の5学部で工学部の規模が大きく、神学部はなく、哲学は(日本には中国哲学やインド哲学という分野もあるので西洋哲学はそのうちの一つになってしまうからかもしれないが)文学部の一学科になった。
その後駒場農学校なども移管され農学部になり、他にも学部が増設されていくのだが、初めのうちは博士号が出せるか怪しい。
これでユニバーシティと言えるのか?という問題はあるが、政府は、我が国は立派なユニバーシティを持つ先進国である、と対外的には説明したかったようだ。
実際のところ、単科ではユニバーシティを名乗れないのでバラバラな各学部を一緒にする必要がある、くらいの認識しかなかったらしい。だから、かどうかはよくわからないのだが日本では、ユニバーシティとは東大のように一校になんでも詰め込むという発想の複数の学部を持つ総合大学であると説明されている。

その後は他の帝国大学にも工学部ができていく。また、高等工業学校のような中級技術者学校も次々開校され、その中から旧制東京工業大学のような帝国大学でない単科大学に発展していくところも出てくる。

欧米の方は、今はユニバーシティに工学部を備えているところもあるが、工学教育に関しては、まずはマサチューセッツ工科大学(Massachusetts Institute of Technology)やチューリッヒ工科大学(Eidgenössische Technische Hochschule Zürich)のような工業学校が先行した。工学系の専門教育がしっかりしていたためレベルが上がっていき次第に大学扱いになっていくが、リベラルアーツ系が弱いことが問題になったようだ。

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