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HONDAステップワゴン/「こどもといっしょにどこいこう」が示した新しい欲望喚起の地平|平成の名CMが教えるマーケティング①

平成が終わる。その総括はあらゆるジャンルであらゆるメディアにあふれている。といいつつ、TVCMをその対象にしたものは意外に少ない。

平成はとりもなおさずマーケティングの時代だ。広告会社にも「アカウントプランニング」とか「インサイト」とか、今に続くジャーゴンが跋扈した。事業会社もマーケティング科学を商品開発やプロモーションにとりいれ「ブランドマネージャー」という職制が定着した。

その結晶はTVCMに表れている。制作費、メディアコストいずれも莫大なTVCMは、その商品自体の、あるいはそれを売るための、周到な計画が隠されている。

ここでは、平成の名TVCMの裏にある「マーケティング」を解説する。

3C(カー、クーラー、カラーテレビ)の時代から、クルマは昭和を通じて生活者の欲望を喚起する対象であり続けた。「いつかはカローラ」が雄弁に語るように、特定の車種・ブランドを持つこと自体がステータスのシンボルとなるような、耐久嗜好品としての立ち位置を保ち続けた。

では、クルマという商材にとって平成とはどんな時代だったか?

1996年のTVCM、HONDAステップワゴン/「こどもといっしょにどこいこう」(博報堂自体の佐藤可士和が手がけた)はこの疑問に対するこれ以上ない答えになっている。

昭和の時代、個人の、特に働き人である男性自身の欲望を喚起することで販売台数を伸ばしていたクルマは、バブル経済が破綻するタイミングと同期する形で、平成2年(1990年)を境に下降基調に転じる。働き続けることが自身のプライドを満たす手段とは言えなくなる経済環境の中、男性のステータスシンボルとしてのクルマは、一般の共感を得られなくなってきた。

そんな環境をうまく捕まえたのが「こどもといっしょにどこいこう」だ。このTVCM(及びその背景のマーケティング)が提示した新しさは3つある。
①ファミリーカーとしてのミニバンを提示したこと。
②性別でターゲットを区切らなかったこと。
③モノそのものでなく、コトとしての欲望を喚起したこと。

①ファミリーカーとしてのミニバンを提示したこと。

上の記事にある通り、1980年代後半、ファミリーカーと言えばセダンだった。決して居室も荷室も広くないセダンが家族で乗るクルマの第一想起になっていたのは、あくまで当時の車選びの基準は世帯主である男性のステータスシンボルとして、であったからだろう。

しかしバブルは崩壊し、働くことが男性のプライドに直結しなくなった。そして女性の社会進出は同じ時期大きく加速した。結果、ファミリーという単位は物事を決定する旦那とそれに従う妻という固定された構図から、よりそれぞれの立場が近づいた末、お互い等しく選択権がある共同体へ進化した。

クルマという大きな買い物をする上で、家族のうち誰がその購入の決定権を持つか、というのはマーケターにとってとても重要な疑問だ。それを男性が絶対的に握らなくなったことは購入されるクルマの種類に決定的な影響を与えた。そこに目をつけたのがHONDAステップワゴンだ。

ミニバンは今でこそファミリーカーの主流だが、いわゆる1BOXと言われる車種はその居室・荷室の広さから作業車としての役割が大きかった。だがそれは同時にファミリーにとって最上の価値でもあった。ベビーカーなどの荷物、子供の数に応じて増える座席数に対応することなどファミリーに要請される様々なことをカバーできる。

ミニバンをファミリーカーへ。男性の欲望から家族の充足に、クルマに求められるニーズの変化をインサイトとして提示したのがステップワゴンのコミュニケーションだった。

②性別でターゲットを区切らなかったこと。

ミニバンをファミリーカーとして提示する取り組みは、しかしステップワゴンが最初とは言い難い。日産セレナは遡ること1991年(平成3年)に家族向けのミニバンとしてのTVCMを実施していた。

しかし、この時のセレナとステップワゴンのコミュニケーションは明確に違う。それはターゲットの設定だ。セレナは明確に男性の世帯主にコミュニケーションしている。このCMは、世帯主が、個々にバラバラな行動をとる家族に対して家族のあり方を問う、その回答として「家族の時代を始めよう」というコピーが受ける形で、おそらく家族が皆1つのクルマ(セレナ)に乗って出かけるショットが映る。これは、世帯主の男性が欲望する、(当時の)理想の家族のあり方である。折しもテレビやファミコンなどが、家族を個人の集合に還元する(小衆、分衆の時代)ような言説があった。世帯主の欲望は、そんな家族を1つにすることであった。

一方でステップワゴンは、TVCM全体を通して、運転者に相当する人物は現れない。どころか、運転席やクルマの内景も一切映らない。そこにあるのは、牧歌的で柔らかい世界観だけだ。これは先のクルマ購入の決定権者が男性に限らなくなったことを象徴している。つまり、明確に男性をターゲットに絞らなくしたということだ。両性に向けて開かれた表現が本CMのもう1つの革新性である。

③モノそのものでなく、コトとしての欲望を喚起したこと。

ミニバンという家族の実利に叶った商品をファミリーカーとして訴求し、その訴求対象を男性に限らないという選択肢をとったHONDAステップワゴン。これはそのまま、平成時代のクルマの受容のされ方とシンクしている。

しかしこのTVCMの真の先見性は、そのメッセージにある。「こどもといっしょにどこいこう」というコピーが示しているのは、ステップワゴン自体の機能性や魅力ではなく、それを使って体験できる事象の訴求である。このように、「モノ」でなく「コト」を訴求することで欲望を喚起するという手法は、物が飽和し、その機能による差別性が事実上存在しなくなった平成において有効な手法と言える。事実、日産セレナは1999年にモノでなくコトを訴求する、ということ自体をコピーに据えた「モノより思い出」というキャンペーンを実施している。(下の動画 1:45-参照)

モノ自体の差別性が保てなくなった末、モノの外にある使用シーンまでも欲望の対象として取り込んだのが平成のマーケティングの特徴である。その先鞭をつけたのがHONDAステップワゴン/「こどもといっしょにどこいこう」キャンペーンであった。

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