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精一杯の愛してたを送ろう〜まなみのりさ「LAST」〜

この日のライブがまなみのりさの途中経過であったらどれだけ良かったか。
1曲目からそう思わずにはいられず、そして私がずっと思い焦がれていた、私が大好きなまなみのりさのライブが眼前に広がり続けていた。
一年を通してようやく落ち着きどころを見つけたはずだった気持ちは、あっという間に火かき棒でかき混ぜられたかのようにぐちゃぐちゃになってしまった。

ライブ譚

幕が上がったステージの前面には、透過しているスクリーン幕が垂らされており、そこにまなみのりさの15年間の写真やアルバムタイトルが次々と映されながらライブが始まった。

そこから1曲目の「片道切符」が流れ出し、ラストライブの頭にこの曲を持ってくるのが意外に思われた。
が、意外だと思うことでより一層、まなみのりさがこのライブで何を伝え、どう構成していきたいのか、という意図の強さが表されていた。
ステージ前面に映し出される電車の線画が客席に向かって迫ってくる映像は、映画史初期の画面内で迫ってくる列車に恐れて観客たちが飛び退いたという逸話がふと思い出された。
まみりの歌に合わせて迫ってくる電車は、電車の一部となっているまみりと一緒に本当にそのままスクリーンから飛び出してくるのではないかと思うくらい、没入感のある空間が広がっていた。
2曲目の「Diamond dust」でもこの演出は引き継がれ、沢山のきらめくプリズムたちが踊りと連動するように緩やかな回転を続けていて、ただただ美しかった。

まなみのりさにハマり出した頃、とにかくライブ映像が見たくて、かつて行われたDMM VR Theaterでの映像を延々と見ていた。
特に「waveびーと」の演出のハマりっぷりが大好きで、その当時にまだまみりを知らなかったという悔しさと、この演出のまみりをいつかリアルタイムで見てみたいとずっと焦がれていた。
そのため、2019年冬のワンマンライブ「1000」は大興奮だった。LEDパネルで作られたステージの映像と一体化したパフォーマンスに陶酔しきりで、私の中で特に大好きなまみりライブである。

今回の冒頭2曲で、かつてのDMM VR Theaterでのに(恐らく)かなり近い演出がされたことで、あのまみりを見たいという願いが叶った嬉しさと、よりによって最後のライブに…という悲しさが込み上げてきた。

「ウソ」はリリースした後に「まみりの転機になった曲」というのを往々にして話していた割には、この一年はあまりやらなかったような気がする。
解散を目前にした状態では歌いづらい曲だったのだろうか。
この曲のりささんの上ハモが初めて聞いた時に大きな衝撃を受けて、まなみのりさにハマるきっかけとなった曲である。初めの頃は、配布されたチラシに載っていたリンクから落としたmp3の音源を何度も何度も聞き返していた。
やっぱり最後の日もサビに向かって展開していくハモリがどうしようもなく美しく、また、久々に生で聞いたことで、初めて聞いた日の感動が追体験されたようにも感じた。
「最後にもう一度聞きたい」と願った曲が次々と披露された。
「オレンジ」はやっぱり叙情的な美しさがあったし、「ココロト」はやっぱり励みになる歌詞だった。

たしか「相合傘」でだったか、モニターを窓に見立てて外の雨天の情景を映し出すと共に、足元の三角形のステージでも連動して、水面に広がる波紋の映像が映し出されているのが微かに見えて、客席から見えないような細部にまで表現を宿すのはまみりらしいと思った。

「waveびーと」「byebyeバイナリ」「knock」は楽しかったけれど、数年ぶりの声出しでコール入れ方をすっかり忘れてしまっていた。

「愛してた」は終盤のまなみさんパートの「ああ私、「愛してほしい」 そう思ってた」が初めて見る勢いで気迫がすごかった。
あんなに魂全部ぶっ込めたような歌い方されたら好きになっちゃうじゃん…

「できるなら…」はいつもと違うフォーメーションだった。いつもは客席に正対する形だが、今回は中央で3人が円陣を組むように歌い、そこを一つの深い青のスポットライトが照らし続けていることで、3人で深海にいるようだった。
リリース時にはこれからへの静かな決意のように感じた曲だったが、ラストの日はどのような気持ちで歌っていたのだろうか。
「ここが私の居場所だって 思える場所 見つけたい」という歌詞に対して答えは見つけたのか、聞きたいような聞くのが怖いような気持ちである。
続く「風蝉の灯」は心の中で思わず「そのフォーメーションは〜!?」(二丁魁で覚えたての煽り)と叫んでしまった。流石に自重して実際には叫ばなかったけど。
自分の中のイメージではセピア色なのだが、まみりが最後に彩ったのは夕暮れのような橙だった。ただただ美しい空間だった。
好きな曲は数多あれど、救われた曲というのはそう多くない。
この2曲の、人の心の澱を的確に且つ綺麗に表現する見事さには圧倒された。
そんな気持ちを救ってくれた曲たちが一つの流れとして提示されたことは、最後に思わぬ贈り物をもらってしまった気持ちになった。

目の前に広がる圧巻のステージを見ることに必死で、これが最後のステージであることなど忘れかけていたのだが、終盤、3人それぞれからの挨拶の段で唐突に現実が突きつけられてきた。
一年かけて解散という事実を受け入れて、直前に出たインタビューで初めて「4/2以降の話」が出て、ああこれでようやく前向きな気持ちで送り出せる、と思っていたのだが、3人が泣きながら話す姿を見ていると、やっぱり嫌だ!と相変わらずの駄々をこねる子供のような感情がどんどん大きくなっていった。
15年間とか、りるあちゃんほぼ一人分の長さだ。
「沢山のアイドルの中から見つけてくれて」という言葉で、アイドルであるということは認識していたつもりだけど、自分の中では「まなみのりさ」という単一のカテゴライズができていたことに気付かされて不思議な気持ちになった。
まなみさんの「振付は残らないので…」という発言は振付師である故の言葉である。というか、まなみさんが振付けするのが好きでないのをここで初めて知ったよ(笑)
得意と好きって一致しないものなんだね。
(DVD買いました。)

最後が「栞」で終わることは明らかだった。
率直すぎる歌詞の後には、もう気持ちを浮上させてくれるような「かかとを鳴らして」や「Diamond dust」は続かない。
3人とも泣きまくっていてもハモリがきれいなままなのが本当にすごい。
終わり前の写真撮影では、いつも「どうしよう、どうしよう」とポーズ決めでわたわたするのに、この日は迷いなくポーズ指定をしていて、ああ、まみりはちゃんと終わらせることを決めて今日やってきたんだな、と思った。

本当の最後の最後、退場する間際に、ステージ上のモニターに大きく映し出された、まなみさんがくしゃくしゃの泣き顔で手ハートを作る姿に心臓がストン、と射抜かれて、でも次の瞬間にはもうアイドルとしてのまなみさんは舞台を下りてしまったあとで、感情というものはどうしようもなく制御できずやっかいである。

まなみのりさ譚

「もっと売れるべき」という言葉は人口に膾炙されすぎているきらいがあるが、この場ではあえて使いたい。
まなみのりさはもっと大きい会場での景色を見たいアイドルだった。
ライブハウスの限られたステージの中で身一つで踊り、客席に迫らんとするまみりのパフォーマンスも大好きだったけれど、大きなホールで演出も含めて舞台全体で表現されるまみりももっと見たかった。具現化されたまみりの世界をもっと見たかった。
中野サンプラザで表現されたまみりの世界はずっと夢想していたものそのもので、LEDステージを駆使して映像視覚で世界観が表現された2019年に有楽町ヒューリックホールでのワンマン「1000」と、360度客席の中で草木や幾何学模様で彩られたステージ、更には香りまでもで空間を作り上げていた2021年神田スクエアホールのワンマン「Elope」の融合であり、且つ発展であった。(そういえばElopeの時もステージにはかっこいい絨毯が敷かれていたようなのだが、客席からは全然見えなかった。)
これをもっともっと練り上げていくとどんな世界になるのだろう、とワクワク感と同時にその機会はもうないという虚無感が襲ってくる。
まみりの振付が、ハモリが、更にどう発展していくのか見たかったなあ。
そう思ってしまうほどに、最後に最高を更新したライブであった。

毎年8月8日に行われていた周年ワンマンライブでは、いつも最後の挨拶で「まだまだアイドルを続けたいから、まだ結婚はできません!お父さんお母さんごめん!」というお決まりの言葉があったのだが、私はこれが実はどうしようもなく嫌だった。
自分が女性である故かもだし、この考え自体もある種の傲慢かもしれないが、異性が主となるファンに向かってその発言をすることで自分で自分を縛っていないの?そこに囚われることで世界が狭まってしまわない?と。
中野の最後の挨拶の中で、「自分たちは不器用だから」といった旨の言葉があったが、もしかしたらまみりにとってアイドルとはそういった覚悟を持たないとやっていけない存在だったのかなあ、とは今となって思う。
…というか2021年の周年ワンマンで初めてこの言葉がなくて密かに嬉しかったのだが、そのライブが解散を考える契機になっていたみたいだからなあ。

行けなかったライブを数えるとキリはないが、それでもこの一年間猶予と多くの機会を作ってくれたことで、好きになってから一番まみりのライブに足を運べた一年間となった。
最後に沢山会えたこと、感謝を直接伝えられたこと、最後のライブが最高だったこと。これらはきっと私の心の消化を助けてくれるであろう。

「栞」はラストライブが終わり、ようやくMVを見ることができ、繰り返し曲を聞くようになった。
4分の4拍子の安定したリズムに乗せて紡がれるまなみのりさの書いた詞や、サビの1小節目をまるっと使って伸ばされる音から伝わる言葉の重量に、この曲は歌詞の一言一言を届けるための旋律であることを気付かされる。
ライブではネガティブな感情ばかりを拾ってしまっていたが、まなみのりさが初めて作詞したこの曲は、歌詞の「最後になんて伝えるか それくらい自分で決めたくて」が核でありそのために作られたんだなと思えるようになった。
終わるまではあんなに嫌いな曲だったのに、終わった後はよすがのような曲になっていた。

解散譚

メンバー卒業のライブは何度か見てきたけど、その時のような次の展開を見せて期待を膨らませて終わるようなことは勿論なく、解散ライブというのは全部にピリオドを打っていくようなものだった。

一年前の解散発表直後のライブにて、まみりは「最後の1日までファンを増やすし、成長し続ける!」といった宣言をしていたが、結果、本当に最後の瞬間まで最高を更新し続けて、ついぞまなみのりさの頂点で解散をしたなあ、と思う。

とはいえ、思った以上に心の真ん中にぽっかりと空いた穴がデカい。
もしかしたら数年後に、好きなアイドルちゃんの魅力にあの時のまなみのりさを投影することになるかもしれないし、もしかしたら70歳くらいになって、やっぱりまみりの凄さはまみりでしか出会えないものだったなあと懐古するかもしれない。

約5年間、応援できてよかった。出会えてよかった。好きになれてよかった。
まなみのりさの曲や演出や人柄には幾度となく気持ちを救ってもらいました。
ありがとうございました。


出会った時の衣装。そういえば第一印象は「実家のカーテンみたいな衣装だなあ」という謎の親近感だった。



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