怪談『壁ドン』

「マンションの最上階の、角部屋だったんですけど」

最近引っ越したという澤乃井さんは、ビールを飲み干して、言った。

「南向きで陽当りのいい3LDKで、家内も随分気に入ってたんですが」

半年と経たずうちに澤乃井さんは引っ越してしまったのだ。

「郊外だという以上に家賃は安かったのですが、それでも鉄筋コンクリートのマンションです。それまで住んでいたハイツとは違い、壁だって薄くありませんでした」

それで、まだ子供のいなかった澤乃井さんは、以前からの願望であった、アナログレコードを聴くための部屋、を一つ作った。

「オーディオルームというやつです。まあ別にマニアではないんでそんな大したものではないんですが、学生時代に集めていたレコードを心置きなく聴く部屋が欲しかったんですよ」

澤乃井さんの奥さんは呆れたが、子供ができたら子供部屋にする、と約束をして、それまでの間なら、と了承した。

「それで、気持ちよく音楽を楽しんでいたんです。そしたら」

向こう側から、壁を、ドン、と叩かれたという。

「初めは、家内が音量を注意しに来たんだと思いました。それで慌ててボリュームを下げて、壁なんか叩かずとも口で言ってくれれば理解るよ、と抗議したんですが」

澤乃井さんの奥さんは、壁など叩いてないと言う。

「なので、気のせいだったのかな、と気にせずに音楽を楽しむことにしました」

隣人からの抗議、ということは考えなかったんですか。

「考えなかったんですよ。だって、オーディオルームの隣には、隣の家はなかったんですから」

つまり、その部屋の東の壁の向こうは澤乃井さんの家の廊下であり、西の壁の向こうは外であった。

そして、南にはベランダがあり、北の壁の向こうは澤乃井さんの家の洗面所となっていた。

「だから、壁ドンされるなら、自分の家の人間しかありえないと思ったんです」

なるほど。

澤乃井さんは再び音楽を楽しんでいたが、しばらくすると壁の向こうから再び、ドン、と叩かれた音がした。

「今度は家内もその部屋にいたので、叩いたのは彼女ではないとはっきりわかりました」

澤乃井さん夫婦は顔を見合わせた。

「どこから音がしたんだろうね、と話し合いました」

しばらくすると、また、ドン、と音がする。

「今度は二人注意深く耳を澄ましていました。すると、家内が言ったんです」

西の壁の向こうから音がした、というのだ。

「つまり、家の外です」

そんなはずはない、と澤乃井さんは思った。

「だって、ウチは、五階建てのマンションの最上階ですよ」

一階や二階ならまだしも、五階の壁の外を誰が叩けるだろうか。

しばらく澤乃井さん夫婦は考えていたが、やがて澤乃井さんが答えを導き出した。

「コウモリだ、って言ったんです。コウモリが、壁に激突してるんだよ、って」

それで奥さんも納得したという。

コウモリが壁にぶつかり、それが音を出しているのだ、と結論つけた澤乃井さん夫婦は、それ以来、しばしば鳴る壁ドンの音を気にせずに、生活を続けていたという。

澤乃井さんはある日、学生時代の友人と飲んでいた。

「コウモリが壁にぶつかるから驚くんだよねえ、と話したんです。そしたら」

コウモリは壁にはぶつからないだろう、と友人に言われた。

「超音波を出しながら飛んでいるから、向こうもそれなりの速度で動いているならともかく、コウモリは壁や木にはぶつからないんだ、と言われました」

私もそう思っていました。

「それじゃあ、我が家の壁を叩く音はなんだろう、と気になってしまって」

澤乃井さんは、色々調べてみた。

「気温と室温の差で、建物がきしむ時に音が鳴る、とかあるらしいんですが、どうもウチの状況とは違うみたいで」

そんなことを調べている間にも、西の壁の向こうから、ドン、と叩かれる音がする。

「家内は気にしなくていい、と言うんですが、一度調べたりして気になってしまうともう止まらなくなってしまって」

ある夜、覚悟を決めた澤乃井さんは、南のベランダに出て、体を乗り出し、西側の壁の向こうを見てみることにした。

「コウモリがぶつかる姿でも見れたら、と思ったんです。そしたら」

澤乃井さんがベランダから体を乗り出して外の壁を眺めている時だった。

屋上から突然人影が飛び降りてきて、空中で一瞬だけ静止すると、その勢いのままに、澤乃井さんの家の西側の壁に、ドン、とぶつかった。

「何が起きたのかわかりませんでした。ただ、とんでもないことが起きたことだけはわかりましたが」

ベランダから体を乗り出したまま呆然としていると、奥さんが話しかけてきたので、我に返った。

「屋上の手すりにロープを結んで、その先を自分の首に引っ掛けた人が、勢い良く飛び降り首吊り自殺してたんですよ」

その人物は、ロープの長さにより落下を途中でやめ、重力に従って澤乃井さんの家の西側の外の壁に、その全身を、ドン、と叩きつけていたのだった。

澤乃井さん夫婦は大慌てで警察と救急車を呼んだ。

飛び降りた人は首の骨が折れてしまっていたため、既に絶命していたが、身元はすぐに判明した。

「マンションの一階に住んでいた中年の男性でした」

その後、警察から色々な事情聴取を受けた後、大家さんが夫婦の前に現れ、謝罪した。

「大変なことが起きて御免なさいねえ、と言うんです」

でも、大家は、その分家賃安くしてるんだからね、とも言った。

「どういうことですか、と訊いたんです」

大家が言うには、以前にもそのマンションに住んでいた住人が、屋上の同じ手すりにロープを結び、飛び降りの首吊り自殺をしたのだ、と言った。

「なんでかみんな、そこにロープを結ぶんですよ。で、毎回、そこの壁に体を当てるんですよ、って」

だから、澤乃井さんの家は最上階の角部屋にもかかわらず、家賃を安く設定しているのだ、と言った。

それでも、澤乃井さんの家が直接の事故物件ではないため、報告義務はないのだ、とも言う。

「みんな、って、どういうことですか、って訊きましたよ」

大家が言うには、この七年間で四人、同じ場所からマンションの住人が同じ場所から飛び降り首吊り自殺をしているのだという。

「本当にもう、困っちゃうけどねえ、澤乃井さんも、我慢してねえ、と、大家さんには言われました」

澤乃井さんが実際に自殺を目撃したのは一度だけだが、それまでの音はなんだったのか?

「知りませんけど、多分、これまで自殺した人と、今後自殺する人が外壁に体をぶつける音がずっと聴こえてたってことだと思いますよ。実体はなくても、音だけはずっと残ってたんですよ」

澤乃井さんはすぐに引っ越した。

「大家は、残念だねえ、なんて言ってましたけど、そもそもそんなことがあるのに、屋上閉鎖してないんですよ。変じゃないですか?」

変ですね。

※登場する人物名は、全て仮名です。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

3

竹内佑

お芝居やライトノベルやらを書いています。 http://www.amazon.co.jp/-/e/B00J5QJI8A 欲しい物リスト→http://amzn.asia/fleoNuZ

厭な話

小説。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。