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猫に我が家で点滴をする話

寒くなるに従って我が家の猫の調子がまた悪くなり始め、具体的にはぐったりする時間が多くなり、口臭がとても酷いものになり始めた。

で、石垣島の祖母の葬式から戻ってみると、いよいよ猫は朦朧とした様子で浴室から出て来なくなってしまい、おまけに歯茎を調べてみると赤く腫れ上がって歯周炎を起こして、涎もネバネバのエイリアンが口から垂らしてるやつと同じタイプのものになっていた。

こいつはいよいよか、お婆さんが二人も同時期にこの世を引退するのですか、と悲しんだ結果、病院へ連れて行った。

と、いうようなことは前回書いたのだけど、あれから一週間、猫は近所のなだぎ武さんそっくりの先生のいる病院へ通院を続けて静脈点滴をしてもらった。

朝、開院する九時半頃にチッチを病院へ連れて行き、夕方六時頃に迎えに行く。
で、診察代を払いながら様子を聞いて、家に連れて帰ってカゴから出す。

チッチは、
「ここは家のようだがもう針を刺されたり周りに知らない動物がいたりすることはないのだろうか、本当に」
とでも言いたげな様子でキョロキョロしながらヨロヨロびくびくとカゴから出てくるなり、こっそりと洗面台へ登って蛇口から直接水を飲みたがるので、少しだけ蛇口を開けて水を出してやる。

すると大体、十分から十五分くらい、ここで水を飲んで出て来ない。

やがて気が済んで出てくると、今度はヨロヨロと食事皿の前まで来るので、その時その時でご飯をお皿に出してあげる。

一番食いつきが良かったのはやはりチャオちゅーるで、やっぱりこれ、なんか麻薬みたいな成分入ってんじゃねえかな、と驚くほどだった。

でも、毎回チャオちゅーるを完食するわけではなく、匂いは嗅いだもののプイ、とどっかへ行ってしまうこともあるし、逆にチャオちゅーるではなく、ガッツリとしたモンプチの缶などをガツガツと食べ始めることもあった。

でも基本的には、チッチは生タイプのご飯は食べたがらず、常にカリカリタイプのご飯を好んで食べていたので、経済的には助けられたし、妻と二人で「チッチは舌が貧しい」などと陰口をたたいていたものだが、やはり歯茎が赤く腫れ上がってネバネバの涎を垂らしていた頃が嫌な記憶としてあるのだろう。

点滴と抗生物質のおかげで、もう歯茎に腫れも炎症も見えなくなっていたし、酷い時は水を飲む時でさえ痛さのあまり「クワーイ!」みたいな聞いたことのない叫び声をあげていた頃に比べれば全く問題なくカリカリも食べられるはずとは思うのだけど、本人が食べたいと思わないのであれば無理強いはしない。

で、お皿の上のご飯を一舐めしただけで終わったり、かと思えばあっという間に完食したりしてから、クッションか妻の布団の上で丸くなり、後はもう殆ど起きてこない。

時折トイレか、洗面台へ水を飲みに行くくらい。

で、朝になったらまたカゴに詰めて病院へ。

というような生活を一週間過ごし、もう一度血液検査をして、一週間前と数値がどう変わったのか。

まあ、結果、そんなには変わらなかったわけです。
それは仕方ないし、わかっていたこと。
猫の老化に伴う腎臓機能の低下は、避けられない問題なのだ。
一度低下した機能が回復することはない。
ので、腎臓の働きが悪くなってるので、体内で毒素が分解されず、いつまでも体内に蓄積されるために、しんどい。辛い。気持ちが悪い。気持ちが悪いから食欲が無い。食欲がないから食べない。食べないから痩せる。痩せるから元気が無い。元気が無いから気力も無い。やがて死期を悟り、誰もいなくて暗くて冷たい浴室へ……
みたいなチャートが出来ているのだ。

それでも、体内の毒素を、尿として排出することができれば、気持ち悪くて食欲がない、の部分は少し改善出来る。
そこが改善されれば、食欲が出てきてご飯を食べ、元気が出てきて、みたいな生活を送ることはできる。

それでも勿論回復したわけではないが、元気が良いまま死んでいく方が嬉しいではないか。
チッチだって普段滅多に行かない浴室なんかで死ぬよりか、いつも寝てるクッションとかで眠るように死にたいはずだ、と人間は勝手に思い込むのだ。

なので、なだぎ武さんにそっくりの先生には、歯茎の炎症をすっかり治していただいたお礼を伝え、今後は通院せずに、自宅で皮下点滴に切り替えることにした。

皮下点滴とは、静脈点滴とはその名の通り、違う(なんだこの文章は)。

猫の皮膚を引っ張って、肉との間に空間を作り、そこに針をチュウと指して、えい、と水を注入するのだ。

これは以前他の病院でやってもらった点滴と同じで、これをやると猫の背中とか肩あたりに水が溜まってコブみたいになって、なんか見た目が滑稽で可愛いのだ。
猫にしてみたら「私は舞の海じゃないよ!」と絶対に心で突っ込んでるだろう。絶対突っ込んでないな。

で、皮下点滴のやり方を教えてもらい、あとは腎臓機能の助けをするお薬をもらって、これを毎日口の中に放り込んでください、などと言われて、はあ、と答えて、帰宅した。

以前も書いたが我が家のチッチは家猫で、外出が何よりのストレス、みたいな性格だったので、正直自宅で点滴が出来るのは有難い。

薬も点滴も、結局老化に抗うことにはならず、腎臓機能の低下に逆らうのではなく、寄り添うようにその経過をできるだけゆっくりにしてもらい、その間だけでも猫が元気(というよりかは、せめて意識がはっきりあるように、と)でいてくれることを手助けするアイテムであり、その使用や効果を、こちらが理解した上で猫に与えることによって、いよいよ始まりつつある、猫とのしばしのお別れまでの時間を、お互いにゆっくりと納得させるための、装置なのだ。

ああすれば苦しまなかったんじゃないか、こうしてあげたらもっと生きたんじゃないか、と、猫がこの世から卒業してしまってから残された人間が嘆いてしまうことのないよう、まあ、お互いにそろそろ潮時だと思うよ、お疲れ様です、くらいの心持ちに慣れるための道具なのだ。

これからチッチの体にお水を注入する度に、生命力の凄さとしぶとさと素晴らしさに慄いて行く日々が、少しでも長く続きますように。

#猫

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