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竹内七輪の話

クリスマスの夜に初めての痙攣を起こしたものの、正月もなんだかんだ越して、ご飯よく食べるし、なーなー、と鳴き声も戻ってきたし、自宅点滴用の輸液を病院に買いに行った時も、そのことを聞いた看護師さんが「えっ」と声を上げて驚くほどの回復を見せたちっち。

それでも、この二、三日の急な冷え込みに伴い、またぞろ口の中が臭くなってきた。

見ると、またも涎が粘液のようになっていて、くちゃくちゃと何度も口を動かしている。そして腎臓の機能が低下してるため、気持ち悪くて食欲もないのだろう。ご飯も食べなくなってしまった。

12月の初めにもこのような状態になり、その時は病院で薬を一週間通いつめて打ってもらったことで、薬が効いて治ったので、昨日、ちっちをまたも病院に連れて行く。

そこで抗生物質の注射を打ってもらいながら、先生が、
「よく食べるんだって?」
と聞いてきた。
「そうなんですよ。カリカリを普通に食べるように回復したんですよ!」
と答えると、
「痙攣の時に満腹中枢に変なスイッチが入って、もう食べられないはずなのに食べてしまうのかもね。でも、そういう猫の方が長生きするからね〜」
などと会話をし、帰宅。
注射が早く効いてくると良いね、なんて話しかけながら、その日はおとなしく様子を見ることにしたのだけど、まだまだ気持ちが悪いのか、ご飯は食べなかった。

で、今日、病院に輸液の補充を買いに行く。
看護師さんに様子を聞かれたので、
「まだご飯食べないですね」
と答えると、
「お薬が効いて調子が戻るまではもう少し気持ち悪いかもしれませんね」
と言われる。

また輸液や薬が無くなったら買いに来ると告げて帰宅すると、ちっちは畳の部屋で倒れるように寝ていた。

帰宅して姿を確認した時、欠伸をしていたので、ああ、まだ死んではいない。と、安心する。

でも、その姿はとても細くて弱々しくなっていた。
何より、体の半分くらいがベタベタと濡れて光っている。

あ、これは一人で痙攣したのだな、と思った。

以前痙攣した時も、こんな感じで涎を大量に出していた。そしてその上で痙攣するので、体の広い範囲がベタベタの涎まみれになるのだ。

顔を見ると、瞳孔が開いていた。
「ちっち、ちっち」と、名前を呼びかけながらブラシをかけてやると、少し安心したのか、目の表情は普通に戻っていった。
そして、「おおー、おおー」と、聞いたこともないような野太い声で鳴いた。
なんだこの声。と、思ったが、恐らく痙攣のショックで喉が開いたままの状態になってるのだろう。
しばらく撫でていると、元の高い声に戻っていった。

猫はしんどくなると低体温症になり、寒い場所へ行きたがるので、暖かくしてあげましょう、と聞いていたので、ちっちを抱きかかえて、ソファの上にある、ちっちのお気に入りのクッションに乗せ、ストーブをつけてやる。
そして俺のどてらを体の周りに敷き詰め、少し体にかかるようにしてあげた。

腎臓の薬を与え、輸液を点滴してあげた。
いつもあげてる時間よりもだいぶ早いが、これで少しでも具合がマシになれば、と思った。

暖かくして少し寝て、薬が効けばまた食欲も戻るだろう、とパソコンで仕事を始める。

それでも様子が気になる。
時折暑いのか、体をもぞもぞと動かしている。暑がりな猫なのでこれは珍しいことではなかった。
でもよく見てみると、目を閉じてないことがわかった。

さっきから一時間ばかりおとなしいが、寝ているのではなく、目が開いているのだ。

よほど気分が悪く眠れないのだな、と思い、ブラシをかけながら何度か名前を呼んでやる。
するとびっくりしたようにこちらを見たので、
「少し寝なさいよ」
と伝えてまた仕事に戻る。

もぞもぞ、と音がしたので見ると、ちっちがクッションから降りて床に降りようとしていた。
いつもならすとん、と落ちるのだけれど、実に無残にベチャリ、と落下する。
下半身が全く動いていないのだった。

慌ててちっちをソファの上に戻す。
さっき抱えた時よりすっかりと軽くなったように思えた。

クッションの上は暑すぎるのかも、と、ソファの上に横たわらせ、名前を呼びかける。

そこで、再び瞳孔が開いてることに気づく。
嫌な予感がして、ちっちの顔の前に指を立てて横に振ってみたが、目はもう指を追ってはいなかった。

目が見えなくなっているのだ。

そのことを外にいる妻に伝える。
妻はすぐに帰ってきてくれるという。

あとはひたすらに名前を呼びかけながら背中を撫でてやる。

見ると、口が開いて舌が出ている。

呼吸が浅く早くなっていた。

驚いたような表情で口を開けたまま、時折ちっちは小さな痙攣を何度もし始めた。

お腹や首はまだ上下していて、呼吸をしている。

それでも何度も何度も小さな痙攣がちっちの体に訪れる。

痙攣をするたびに、体の奥底から生命が口から発射されてるように見える。

それでもちっちは何度か大きく空気を吸い込もうとするけど、それよりも大きな痙攣が体の奥底からそれらを絞り出していく。

肉球は汗で濡れていた。
肉球に指を当てると、しっかりと指を曲げて俺の指を握り返してきた。

もう見えてないため、触感に頼ってるのかもしれない。
俺も肉球ごと手の先を包めこむように握り、何度も名前を呼ぶ。

「ちっち、ちっち」

一度、首を上にあげて大きく痙攣をした。

まだお腹と首は呼吸で動いている。

もう行くのだな。

ちっちは今日を選んだのだな。

ようやくそのことが理解できてきた。

ちっちは、今日、少しした後に、死ぬのだ。

それまでは、なんとか持ち直してくれ、とか、妻が帰宅するまで持ちこたえてくれ、とか色んな、「この先のちっちのこと」を考えながら背中をさすっていたが、もうちっちには、「この先」がないのだ、とはっきりわかった。

「これでおしまい」なのだ。

だから、ちっちに話しかける言葉を、全部変えた。

今まで本当にありがとう。
とか、
大好き。
とか、
えらい猫だね。
とか、そういう言葉に変えた。

そして最後に、言いたくなかったけど、
もう頑張らなくていいよ。
と言った。

懸命に生きようとしているのに、そんなこと言うなんて、とも思ったけど、本当に苦しそうで可哀想だった。
涎で体じゅうを濡らしてしまっているのだ。
目にはもう光が無くって、少し濁っているのだ。

ちっちは女の子だし、プライドの高いやつだったから、こんな姿は、少しでも見られたくないはずだろう。

高いところに登ろうとして失敗した後になど、何事もなかったかのようにどこか別の場所に立ち去る姿をよく見た。

みっともない姿を見せるのを嫌う、変な毛並みだけど高貴なやつなのだ。

もういいじゃないか神様、とすら思うのだった。

だから、ちっちを撫でながら、
ここに居るからね。いつでも安心して先に行ってよ。
と、もう頑張らなくていいことを告げたのだ。

そこからちっちは、もう一度、野太い声で鳴いた。

本当に大きな声だった。

どんな気持ちで鳴いたのかわからない。
なんで鳴いたのかもわからない。
でも、ちっちの意思で声を出したのだ、とはわかる。

『ここにいます!』

というような最期の宣言を、高らかにしたのだと思う。

それだけはわかった。

ちっちがもうこの世からいなくなる前に、最後にもう一度だけ、己の存在を、ちっちなりの音に代えて鳴らしたのだ。

そして俺はそれを聞いた。
はっきりと聞いたよ。

そのことをちゃんとちっちに伝えた。

その後、両足をピーンと伸ばして痙攣をし、やがて二、三度小さな痙攣をしてから、ちっちは、ふと、いなくなってしまった。

まだ撫でていれば、再びあの小さな痙攣をして、懸命に息を吸い込み始めるんじゃないか、とさえ思えた。
つまり、それくらい長い間ちっちはこの世の最後を痙攣と懸命な呼吸で過ごしていたのだ。

もう呼吸しなくていいよ、と思った。
お腹も首も、もう動いていなかった。

妻に電話で報せた後、Tシャツの胸のあたりがぐっしょりと濡れているのに気付いた。

ちっちがおしっこを漏らしていたのだ。
でもその事に全く気づいていなかった。

どてらの上に乗せたままにしておくのもあんまりだと思ったので、ここ最近はずっと寝ていたタオルケットの上に運ぼうと持ち上げた。

全身のどこにも力の入っていないちっちを、生まれて初めて触った。
くたくたのぬいぐるみみたいで、信じられないくらい軽かった。
そしてもう二度とこんなくたくたに柔らかいちっちを触ることはないのだ。

そしてすぐ後に妻は帰宅した。
まだ温かくて柔らかいちっちに触ることができて良かったと思う。

目は開いたままだったので、閉じさせて、口もぱかー、と開いてくるので頑張って抑えて閉じさせた。

そしてお気に入りのAmazonの空き箱で出来たベッドに横たえて、その姿を見ながらこの記事を書いている。

死後硬直はもう始まって、もう硬く冷たくなっている。
ほら、くたくたに柔らかいちっちはもういなくなってしまった。
あの時生まれて初めて触っておいてよかったのだ。

ようやく、俺の時間は、俺の書いている文章に追いついた。
これから先は、ちっちがもう行ってしまった後のこと。

もうあの目も見ることができないしあの鼻に触ることもできないしあの口に噛まれることもないしあの爪に傷つけられることもないしあの足に蹴られることもないし水をあげたりお湯をあげたりトイレの交換をすることもなくなるけれど、それらよりももっともっと大きなものをたくさん貰った。
もちろんちっちも我々人間から沢山受け取っただろう。
そこは50/50であったはずだ。

楽しいとか悲しいとか心配とか安心とか嬉しいとか面白いとか厭だなとか嫌いだなとか寂しいとか大好きとか、愛してる! とかを毎日、出会ってから今日この時までずっとずっとずっともらい続けた。
そのことが本当にすごい。えらい猫だな。と思う。
誇らしくさえある!
妻と喧嘩してたら必ず二人の間に入ってきてゴロンと寝転ぶところなど、なんて空気の読める猫なんだろう! と感心した。本当に何回も助けられた。

書いていて尽きることはないけど、何も一気に全部書く必要はない。
思ったときに思ったことをまた書いていきたいと思う。

とりあえず、今はちっちがいなくなって虚脱している。
十三年一緒に生きてきたのだ。
たょっと虚脱くらいさせて欲しい。

ありがとう、竹内七輪。
享年満十四歳。
2016年1月14日 19:05
愛してる。じゃ、おやすみ。

2016 1/4 お昼。
後ろの卓袱台の上に乗ってるのがお気に入りのタオルケット。

#猫

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