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猫と年を越した話

昨年のクリスマスの夜に痙攣を起こし、一時はもうダメか、と思われた我が家の猫、ちっち。

ところがその次の日から何故か食欲が戻り、やがて今まで通りのカリカリのご飯まで食べるようにまで回復するという不思議を見せた。

普通にご飯も食べて水も飲むようになったことにより、体力も回復して一時は全く鳴かなくなってしまったのだが、再び、なーなー、と鳴き声も戻ってきた。

とにもかくにも、苦しそうに寒い洗面所でジッとしている姿やご飯を鼻先に出してもプイと食べずにどこか行ってしまう姿を見ずに済んでいることが嬉しい。

腎臓の機能が回復することはないので、決して病気が治った訳ではないのだけれど、出来ることならこのまま普段通りに苦しむことのないよういつの間にか、ふい、と亡くなってほしい、と願うのだけれど、それはさすがに望みすぎだろうか。

で、まあ、昔は事あるごとに、ちっちおいで、などと呼びかけ、その声で、何か美味しいものがもらえたりブラシをかけてもらえたり良いことが起こるのかな、と、てってって、とこちらへ来たちっちに対して、特に呼んだだけで何もしないでいることも多かった(呼ぶと来る、という行動が可愛くてやっていただけ)のだけれど、11月の終わりからグッタリとして病院へ連れて行ったり、エリザベスカラーを付けられてごちんごちんとあちらこちらにぶつかったりしてからは、そういうこともしなくなった。

というか単純に、動くのもしんどいので、呼んでももう来なくなっていた。

だから、体力が戻ってからももう呼びかけることはなかったのだけれど、大晦日の夜、妻と二人でテレビを見ていた時のこと。

我が家は毎年年越しはテレビ東京のジルベスターコンサートと決めているので、この日もソファに座りながら二人で『ボレロ』を見ていた。

猫は寝室で寝ていたのだが、『ボレロ』が残り二分、つまり、年が明けるまで残り二分となった時、誰も呼んでもないのに突然起きだしてテレビの部屋まで来て、俺の膝の上に乗ってきた。

「一緒に年を越したいのかな」などと話しかけながら撫でているうちに、『ボレロ』は見事終わって2016年になった。

妻と二人で
「ちっちおめでとう。今年もよろしくね」
と挨拶していたら、やがて膝の上から降りて、再び寝室に行って寝てしまった。

まさか年を越せるとは、ちっち自身も思ってなかったのかも知れない。

いつ具合が悪くなってまた痙攣して、パタリ、と死んでもおかしくないのだ。

でも、2016年が近づくに連れて、これ意外といけるかも、と思ったので、どうせだったら挨拶しとくか、と、こちらへ来てくれたのではないかな。

それか、ジルベスター見ていた俺と妻のどちらかの言葉が、たまたま「ちっち、おいで」に聞こえたのかも。
それか「リッチー・ホウティン」って言ったとか。言ってないけど。

本年もよろしくお願いします。

画像はリッチー・ホウティン。


#猫

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