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ひじかわ歳時記

 観光地としての成功とは、多くの皆様方にお越しいただき相乗効果として経済的潤いが発生し、私たちの町が元気になってくれること。これは2002年4月創業の大洲市まちづくり会社「株式会社おおず街なか再生館」の創立取締役会で導き出した方向性だった。
 1998年9月1日、中心市街地活性化検討特別委員会が官民合同の体制を組んで発足し、4年間の準備期間を経て大洲のまちづくりは始まった。当時は「道後温泉と内子護国町並み散策」を組み合わせた旅行商品は飛ぶような売れ行きで「発地型」の典型だった。
 こうした周辺の状況を鑑み、大洲としてどういう手立てを以て観光客を集めるか、打つ手に困り悩みに悩み続けた。それが2004年のえひめ町並み博での取組をきっかけとして状況が変わったのだ。

2008年の臥龍淵

 全長103kmの肱川が織りなす四季折々の風景や営みを活かして、他地域ではできないコンテンツを整備すること。その一つが「屋形船」を活かすということだった。この町には伝統を受け継ぐ鵜飼いがある。当時は60隻を超える屋形船が登録され、夜の鵜飼いは大賑わいだった。しかしそれは季節限定であり宿泊があるわけでもなく何かが不足していた。そこで思いついたのが昼間の遊覧だった。

 四季折々の美しい風景がある。春先からは花紀行と言われるくらいにたくさんの花が城下町大洲を彩る。夏の夜には鵜飼いの篝火が川面を照らし幻想的な雰囲気を醸し出す。秋には名物サトイモを活かした「いもたき」が地域の方々を元気にする。そして冬の「雲海」と「肱川あらし」。これほどの素材があるならどうにかなるはずと信じて、本格的に素材撮影とインターネットを介した情報発信、大手旅行会社との折衝を経て誘客ラインの構築に成功し今日の大洲市の取組に結びついた。その大きな戦略商品になったのが、現在「お舟めぐり」として展開している「ひじかわ遊覧」だった。

城下町大洲 

 右岸の城下に目をやり、左岸の山藤に心を奪われ、正面には山頂がツツジで紅く染まった冨士山が視界に入る。こんな素晴らしい舞台は全国探してもそうはない。しかも櫓漕ぎの屋形船で楽しめるのだ。

 被写体には事欠かない城下町大洲。幕末の維新成就の舞台裏では、小藩の名君と謳われた第13代藩主加藤泰秋率いる予刕大洲藩の果たした役割は大変大きかったと言われており、その証はこの町の歴史に燦然と輝いている。

雰囲気満点の屋形船

 この雰囲気を味わっていただきたい。先人達が今に伝えたかったことは一体何なのか。櫓の音に耳を傾け水をかき分ける心地よい飛沫の音に酔いしれるこの屋形船の空間を、船頭とお客様とそして案内人が共有できたときに湖上での感動が生まれる。

 風光明媚な自然と美しい城下町、紆余曲折の歴史があったからこそ今があるこの町は、画になる趣満点の旅の舞台であると自信を持ってシャッターを切り続けている。

今年の夏は大洲へ行こう。

まちづくり写真家 河野達郎

あの頃の夕刻




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