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あの頃が語る今。

若い頃から写真には興味があった。
 画を描くことがことのほか下手くそな私の小学生時代、地を這うような通知簿の評価はお袋の怒りを買い親父を黙らせてしまったあの頃。以来今日まで60年近くの月日が流れた。数年前のことだ。自宅敷地内の古い家屋で倉庫代わりにしていた建物を取り壊すことにしたので整理をした。古い桜を材としたお袋のタンスは私にとっても思い出の深いもので子ども時代のいろんなことを思い出しながら一つ一つ確認して分別していたときのこと。最後に出てきたのが昭和36年に大洲市立平野小学校へ入学してから卒業するまでの「通知簿」だった。いずれこんな時が来たときに目に付けば良いとお袋が大切に仕舞っておいてくれたのだろう。

 親父もお袋も既に旅立ち、今となっては月命日に墓参りに行ったときに会話ができるくらいだが、役所勤めの長かった親父が「とにかく古いものを大切に」といつも言っていたことを最近になって改めて思い出し考えてみる時間が増えた。

写真は、大洲城を背景に鉄橋を気動車が渡るシーン。
 テンプレートに使ったのは2008年10月13日撮影。それ以降の写真はキャプションに撮影年月日を記載した。これらの写真は、私が写真家として昇ってきたメインの階段であり「城下町大洲」の「観光地」としての象徴でもある。

2009年4月10日

 季節ごと、朝、昼、夕、気象条件ごと、列車単位、この場面だけでもかなりの撮影パターンがある。撮影した数もそりゃあ半端ない。それまで「アメブロ」で発信していた写真素材を「Facebook」に切り替えたのが2012年7月から。以来約19,000点余りの写真を情報素材として発信して来た。その中でもこの鉄橋を渡るシーンは大切な位置づけだった。

2012年11月30日撮影

 季節が来れば鉄橋の下流側で営まれる「鰍漁」。多くの川漁師が時期が来れば鮎を狙う釣り場。そこへモヤでも張ってくれようものなら、そりゃあたまらないシーンだと思ったものだ。

「汽車が音をたてて鉄橋を渡る城下町の風景」

 このフレーズはこうしたことから生まれたもので「写真=ふるさとの画」と生きた「フレーズ」を組み合わせることで「写真=情報素材」となる。これにより訴求力が増し地域が散弾的に飛び伝わっていく。私の撮影する写真はシャッターを切るときから既にこのことを念頭に置いて構図も切る。

 縁あって私のような不出来な人間に「大洲の街づくり」を託していただいた当時の関係者にも含めて在任中の最後まで面倒を見ていただいた方々や仲間のみなさんが、私が特にこだわって来た写真による情報発信がどれほど重要なことであったか。これにいずれ気づかれるときが来るであろうと念じて今も撮影しているが。

2017年6月4日撮影

 今やこのシーンは私が最初に発信した・・・等といても誰も信じないだろうし、それくらい広まっているのだ。現職在任中の私の仕事は「大洲市の街づくり=地域活性化を念頭に置いて直接的経済効果を創出する」というものだった。詳細は省くがそのための最も重要な部分が「集客交流基盤整備」ということだった。わかりやすく言えば、2000年頃の城下町大洲は大洲城が完成前で観光地としては全くの無名。ならば「大洲へたくさんの人たちに来ていただく」ということだ。そのための手段として私が撮影した写真を情報素材として活用し情報発信を手がけた。

2020年7月20日撮影/新阿蔵踏切

 当時、東京の大手旅行会社などは全く相手にもしてくれないという厳しさを味わったものだが、とにかく諦めずにコツコツとネットを介した情報発信を続けた。ホームページは私が自分で作っていた。業者に委託すれば当然年間数百万に上る維持管理費がかかる。その上情報受発信を私も含めてスタッフが「直接管理」できないことの弊害が事業展開の邪魔になる。なので在任中の約20年間は私が直接情報受発信の管理をしていたが、中でも重要なことが「名物シーン」を創出することだった。それが汽車が鉄橋を渡るシーンであり新阿蔵踏切で大洲城を背景に汽車が走り抜けるシーンであった。

2022年10月16日撮影
2023年2月9日撮影

有名になったものだ。
 今やあの「中井精也」氏もNHKの番組ロケとはいえ訪れるに至ったのだから。しかし、ここまで来るのには2012年7月以降でも発信するのに使った素材写真が19,000点余り。感慨深いものがあるがここまでに至るきっかけを作ったのはこの私だ等と言っても、多分誰も信用しないだろうからこうして note にしっかり記してネットに残しておくことにする。地域創生写真家としての私の唯一の勲章なのだ。

 こうしたことで今がある。2018年の大水害で街づくりへの方向性も変わらざるを得なくなった。SDG'sも良い。便利さを追求するのも良いだろう。それは「人口減少」と言うことを理由にすれば理解できることでもある。しかし、あの頃があったから今がある。これまでの道程を省みて将来像を描くことの大切さを再認識しなければならない。手間を掛けることこそ地方には必要なのだ。

 フリーになって5年目。写真だけでなく、ホームページ制作と情報発信という部分でもお声がけいただくことが増えてきている毎日。ボケずに頑張るのだぞと自分に言い聞かせる。多くの皆さんの日々の応援への感謝を忘れずにありがとうの気持ちで📸

2023年1月30日撮影

6月に入った。
 かねてから定期的に書き続けようと決意して始めた note 。その決意とは裏腹に不定期になってしまい、意気消沈。反省。忙しいというのを理由にしたくない。が、どうにかせないかんと焦るくらいなら書かない方が良い。と、最近の自分を省みながらの6月1日発信 note 。お読みいただければ幸いです。

令和5年6月1日
街づくり写真家 河野達郎

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