見出し画像

Topics おおず赤煉瓦館

 人口41,154人(令和4年2月28日現在)の城下町大洲。一級河川の肱川に育まれたこの街は、平成17年1月に広域合併して新大洲市が誕生した。以来17年が経過し、現在の人口は合併当時の旧大洲市の数値近くまで落ち込んできている。
 こう考えてしまうと息苦しくなってしまうが、一方で肱川の存在によって他地域にはない素晴らしい自然の営みと生活文化が宿っていることを忘れている方々は多いと感じる。だからもっと自らのふるさとに自信を持ち胸を張って「城下町大洲」と言えるようになって欲しいと言うのが、私が写真を撮り続けている原点になっている。

時代の勲章「おおず赤煉瓦館」

 おおず赤煉瓦館は、1901年に旧大洲商業銀行本店として建築されたもので主にイギリス積みのレンガ建築物だが、南側の壁面にはフランス積みも混在しているところがチャームポイントになる。多くのブライダルカメラマンや写真家さん達が、コロナ禍によってスタイルの変わってきた写真撮影においてこの場所を使って撮影しているのを目にするが、このことを果たしてご存じの上で撮影されているのかな?と思うのだ。
 屋根には和瓦を葺き、鬼瓦に商の字を入れた和洋折衷の様式が特徴で、木蝋や製糸の製造、そして舟運による流通の拠点として大洲が隆盛を極めた時代の象徴的建築物だ。明治期に入ると台頭してきた西洋文化が時代を席巻していった。大洲においてもこれらの動きは例外ではなかったが、明治30年から10年がかりで建築されている臥龍山荘(国指定重要文化財)などに目を向ければ、屋根には和瓦を葺き、鬼瓦に商の字を入れた和洋折衷の様式を採り入れているところに苦心の跡もうかがえる。

アンティークな空間

 私は静かなこの空間が好きだ。今年の元旦から1月16日までの期間、関係者の皆様方にご協力いただいて、かねてから考えていた「個展」を別館二階において開催させていただくことができた。思い返せば20年近くに及ぶ私の街づくりにおいて、この赤煉瓦館に対する見方が甘かったことを痛感し反省させられたことが個展開催でのもう一つの大切な収穫だった。
 開催中に何度となくこのアンティークな空間を観てあれこれ考えながら写真を撮っていた。すると期間最後の方だったと思うが、長めの美しい髪をなびかせた若い女性の3人組がやってきて、この空間で楽しそうにスマホで自撮りしているのを目の当たりにした。
 去年、大洲市の観光ポスターの制作に際して素材写真の撮影提供とアドバイスを担当したが、その際に私の写真家活動をサポートしていただいている佐川印刷株式会社の若いスタッフさんが、実際にこの町を歩いてみて導き出した「はじめてなのに懐かしい」というフレーズは、こうしたところから生まれたのかな?と思い妙に納得した。

1月に開催した個展会場の別館二階

 「街づくりは人造り」という。私も現職時代はよく言われたし言っても来た。しかし、今になってよくよく考えてみれば私は地域に育てていただき今があると感じるようになってきた。ありがたいのは現職時代に培ってきた人間関係が今も私の活動資本になっていること。凄腕写真家さんがたくさんいらっしゃる中で、この田舎侍の私が対等に渡り合えるなどとは考えてもいない。だが、「写真はその瞬間を物語る」という故・川本征紀先生の教えの通り、情報素材としての写真を撮り続けて発信していくことに注力していきたい。今回のおおず赤煉瓦館での個展開催は、この街での写真撮影にとって大切なことを改めて教えてくれたように思い、感謝している。
 皆さんも、時間があればこのおおず赤煉瓦館に来て、珈琲をすすりながらゆっくりと過ごしていただきたい。こころのお洗濯できますよv(^-^)v

2022y.03.07.Mon.
街づくり写真家 河野達郎

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?