赤野手人

あかのたにんと読みます。

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  • はじまりのはなし

    第52回新潮新人賞に応募しましたが、擦りもしませんでした。 お手柔らかに読んで頂ければ幸いです。

最近の記事

白馬

 夢の中に一頭の白馬が現れた。  早朝の静けさの中で佇むその白馬は、淀みの無い湖に、生い茂った森の深緑を青々と際立たせる様に、悠然と映り込んでいる。  白馬が水面(みなも)を見つめ、映し出された自分と目が合った瞬間に、そっと瞼を閉じたかと思えば、其処だけ重力が無くなってしまったかの様に、白馬は空へとゆっくり吸い込まれて行った。  それと同時に水面に映っていた白馬も湖の底へとゆっくり沈んで行く。苦しそうに脚をバタつかせ、蹄で激しく水を掻く事もなく…立髪をゆらゆらと優雅に泳

    • はじまりのはなし…エピローグ⑮(終)

      また年賀状が書けなかった。 小春日和の陽気な日差しが、小さな窓から射し込んだのかと思えば、もう大晦日の朝だと言う。 私はまた、数日間眠り続けていたらしい…異常なくらいの暖冬で、気候の変化が感じられず…携帯電話に表示された日付を見た瞬間は、目を疑ったし…狐に摘まれたような気持ちになった。 それでも私は彼の言う通り、精神病院に入院しているとは思えないくらい能天気で、突然のタイムスリップにショックを受けながらも、狐の事を思い浮かべただけで、早くも年越し蕎麦には大きな油揚げをトッ

      • はじまりのはなし…贖罪⑭

        霰が霙に変わった…小窓の格子に溜まった氷の粒も、直に溶けるだろう。 不本意ではあるが、霙とは霰や雹と違って、雪に分類される様で…今夜雪になるという天気予報は、雪らしい雪が降っていないのにも関わらず、外れたという事にはならないらしい。 これを初雪と呼ぶには淋し過ぎる… 彼女と一緒に、今年は初雪を見ようと約束していたが…こんな霙ならば、一緒に眺める事が出来なくても惜しくはない。 今は彼女が夢中になって語っている…はじまりの話を一言一句でも、聞き逃してしまう事の方が…よっぽど惜し

        • はじまりのはなし…制約⑬

          陽も落ちて真っ暗になった小窓を打つ雨は、より一層激しさを増し、彼女の話もそれに伴って、その勢いを強めている。 僕は一人掛けのソファーに座り込んだまま硬直し、立ち上がる事すら出来ずに、ただ呆然としながらも、必死で彼女の話に耳を傾けていた。 気を抜く暇も無く、大学ノートに記録する事は疎か、照明のスイッチにさえ手を伸ばす事が出来ず、彼女は暗がりの中で、扉から漏れる廊下の明かりにスポットライトの様に照らされながら、はじまりの話を語り続けている。 「9つの欠如によって生まれた私の分

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        • はじまりのはなし
          15本

        記事

          はじまりのはなし…創世⑫

          急に雨が降り出したかと思うと... 彼女は突然今まで聞いた事のない話を始めた… 「神様の模倣なんて虚しいだけです。あなたも、そうは思いませんか? 神様ごっこなんてどうせ…万華鏡の中に幾重にも映し出された自分の虚像とその片割れが…メリーゴウランドの上で、巡り逢う事もなく…張りぼての白馬に鞭打って、互いに後姿を追いかけっこしながら周り続けているだけの…そんな憐れな人間模様を、ただ覗き穴から偉そうに俯瞰しているだけなのですから… 私がしたいのはそんな傍観者の話ではありません

          はじまりのはなし…創世⑫

          はじまりのはなし…不在感⑪

          自分の名前をインターネットで検索しても一件もヒットしなかった... 何かの賞を取った事もなければ、新聞に載る様な功績も、犯罪歴もない。今時、誰であってもSNSのひとつくらいは利用しているのが一般的だが、僕は何もしていない。それじゃあ当たり前だと思いつつも、何だか寂しい様な...同姓同名の人すら存在しないのかと変な傲慢さが顔を出してしまう。 芸能人じゃあるまいし、エゴサーチをした所で、馬鹿馬鹿しいだけだと分かっていた筈なのに...朝の混雑した駅前のコンビニで、サラリーマンや

          はじまりのはなし…不在感⑪

          はじまりのはなし…疑問感⑩

          「双極性障害に記憶障害…それに加えて解離性同一性障害の可能性もありますが…現段階では何とも…看護師達からも報告は受けています。 仰っていた通り夕方になると何か独り言を話している様ですが、部屋に入るとパッタリ止めてしまうそうで…そのはじまりの話かどうかまでは確認出来ていません…」 「あの、人格が変わるだけではなくて、彼女が知らないような内容を話す事がありまして...」 「その様な症例は珍しくありません。大概は昔聞いた話だとか・・・テレビだったり、電車や喫茶店なんかで、近くの

          はじまりのはなし…疑問感⑩

          はじまりのはなし…不安感⑨

          「年金だけじゃねぇ…老後2千万円でしょ…この歳じゃ働く所もないしねぇ…」 「斎藤さんが最近介護施設で調理補助の仕事始めたらしいわよ…」 「すごいわよねぇ〜…私達だって充分お年寄りなのに…年寄りが年寄りの為に働く世の中なのかしらね…若者って何処に行っちゃったの?…皆んな引きこもっちゃってるのかしら?」 「うちの子は辛うじて働いてるわよ…いい歳なのに結婚もしないで…正月にも帰って来やしない」 「うちのも働いてはいるけど実家暮らしのままだし、また仕事辞めたいとか言ってるし…

          はじまりのはなし…不安感⑨

          はじまりのはなし…恐怖感⑧

          「恐れとは無知の現れなのです…暗闇を恐れる事が正にそれを露呈しているでしょう。見えないだけで…解らないだけで…知らないだけで恐ろしいのです。 なんて臆病な事でしょう…放てども放てども一粒の光では一片の闇も照らせはしないのに…それでも逃れよう、逃れようと...ただ徒らに虚無を照らし続けるのです」 手首を切った彼女の第一発見者は僕だった…ナースコールを連打したり、大声で彼女の名前を泣き叫んだり…パニックになりながらも、そんな恥ずかしい姿を晒している自分を俯瞰して見ている様な、も

          はじまりのはなし…恐怖感⑧

          はじまりのはなし…退屈感⑦

          「時間だけがひたすらに過ぎて行きました。それでも時間は余るのです。埋め合わせても、埋め合わせても…次から次へと現れるのです。 繰り返すばかりで、もう飽き飽きして…最早この報われる事のない虚しい気持ちを味わい尽くす事のみが、麻酔の様に気怠く悶々とした感覚を紛らわせてくれるのです」 婦長さんは何とも気丈な人だ…若い看護師さん達も、熱心に不安定な状態の彼女に寄り添ってくれているが、婦長さんはどんな事態にもいつも毅然とした態度で対応してくれる。 今朝も何かあったらしく…彼女とは面会

          はじまりのはなし…退屈感⑦

          はじまりのはなし…不足感⑥

          足りないもの...何か忘れている気がする。 「空(クウ) と空(カラ)とは異なるのです。クウとは有るが無い状態であり、カラとは無いが有る状態なのです。 有る事を求める事と、無いものを求める事は余り相違ございません。 足りないという意味では同義であり、求める本質は同じです…ただ、カラとは全てが満たされなくとも…それが一欠片でも…どれだけ少量でも…何かが有る状態になれば、カラはカラでは無くなります。 しかし、クウとは無いままに在り続け、有る事の許されぬままに横たわっているのです

          はじまりのはなし…不足感⑥

          はじまりのはなし…拘束感⑤

          「私が光の粒だった頃…決して自由ではありませんでした。 手も足もございませんから…動く事も容易ではありませんし、コロコロと転がる事は出来ますが、永遠に広がる真っ暗な空間には、距離も時間もないのですから、全く意味を持ちませんでした。 まるで小さな籠の中で滑車を回すハムスターのように、何処にも行く事は許されませんでした。 見渡す限り暗闇なのですから、何かを選び出そうにも、その物質自体がなく、全てが空なのであり、選択肢の矛先にはそのまま空が鎮座し続けるのです。 私は掴み所もなく、宙

          はじまりのはなし…拘束感⑤

          はじまりのはなし…無力感④

          「一粒の身体で何が出来るのでしょう?小さな光で何が照らせるのでしょう?…消えてしまいそうで…消えてしまいたくなりそうで…ただ、ぼんやりと虚空に浮かぶばかりの私は、弱さ以外には何も持ち合わせていないのです」 目に見えて痩せ細って来た…彼女も僕も。 「今年こそ痩せるぞぉー」 それが彼女の口癖だった。でも、彼女のダイエットが続いた事は一度もない。胃袋には逆らえないと言って、いつも寝る前にはプリンやアイスを食べていたし、頑張ると言っていたホットヨガも、結局始める前に辞めてしまっ

          はじまりのはなし…無力感④

          はじまりのはなし…孤独感③

          「小さな小さな…光の粒…私はまるで蛍の呼吸のようにゆっくりと弱々しく、なんとも頼りなく瞬いていました。 周りは見渡す限り真っ暗闇で…何一つ無い物静かな場所でした。そんな空間では、私と言う一粒なんて、いつふとした瞬間に闇と同化して消えてしまっても、決して不思議ではありませんでした」 よくもまぁ…ここまですらすらと言葉が出て来るなぁと毎回関心してしまう。 彼女がはじまりの話を語る時は、決まってベッドに仰向けになったまま、天井の一点をじーっと凝視しながら、まるで本を読み聞かせるよ

          はじまりのはなし…孤独感③

          はじまりのはなし…光の粒②

          病院に到着したなり、看護婦さんが酷い形相で駆け寄って来た。 「今は落ち着いたんですけど…彼女さん…先程まで一時間くらいずっと泣きっぱなしだったんです。お電話しようかと、婦長にも相談したんですが…午前中は様子を見ようって言われて…私は前の事もあったので、すぐにでもって思ったんですが……でも、安心して下さい。…今は落ち着いてますから…」 眠気と疲れで朦朧としていた意識から、無理矢理叩き起こされる様な言葉に、ドクドクと心臓の音が高鳴った... 耳の奥まで心臓が登って来たのかと思う

          はじまりのはなし…光の粒②

          はじまりのはなし…プロローグ①

          「忘れていました。ずっとずっとずっと… 忘れた事さえも、忘れてしまっていたのです。 余りにも昔の事で…これが本当の事なのかさえ、私にも疑わしいのです。 あなたに伝えたところで、あなたはきっと信じないでしょう。 あなたはきっと笑って…明日には忘れてしまうのでしょう… 大人になってから聞くおとぎ話ほど、詰まらないものはないでしょうね。 どうして子どもの頃はあんなに心が弾んだのか…私にも思い出せません。 今思うとおとぎ話なんて悲しい物語ばかりで、ちっとも面白くないのに…

          はじまりのはなし…プロローグ①