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シン・幸福論

6月1日はマリリン・モンローの誕生日である。

Are you…!?


サブカル出身で芸大油画コース卒
詰まりは、アート(問いかけ)が
デザイン(答え)
「しなくても良い事」が「するべき事」
「不要なコミュニケーション」が「必要なコミュニケーション」
「寄り道・回り道」が「早道」
「小気味好い違和感」が「平凡な安定感」を、人生のプライオリティとして上位に食い込ませがちな私にとっては

ヒーローよりダークヒーロー。
天才より鬼才。
Mr.BigよりAEROSMITH
さくらももこより岡田あーみん。
藤井風よりも小林私。
そして、

オードリー・ヘプバーンよりもマリリン・モンロー派。
なのである。

マリリンと本名のノーマ・ジーン・ベイカーの間で揺れ動いた女の生き様は圧巻である。
馬鹿なふりした賢い女って永遠の憧れだ。
異性のみならず同性でさえ、あのふくよかな女神を具現化した生命体に憧れるのではなかろうか。
示唆をなめ尽くした彼女のように、困難や不運や、度重なる報われなさに苛まれて続けていても、
真っ直ぐに幸せに貪欲な人間になりたいもんだと
到達が到底無理なの認識しつつ、純粋に憧れる。

さて、真の幸せって幸福って何ですかね?ってハナシで。
早速タイトルの回収に努めようと思う。



ええ、幸福論である。

それもX世代の最後であるこの私が、Y世代やZ世代の生徒たちと過ごす過程で痛感したことを述べていこう。

そもそも幸福の定義なので人それぞれ〜と言われればそこでおしまいで話は終了だが、いつものように屈折した偏ったプライベートオピニオンだと思って聞き流して欲しい。
悪くないお目汚しになっていただければ幸いである。
さらに欲を出せばちょっとでも何かのきっかけや、あなたの心にもしどす黒いものが少しでもあるのならそこをちょっとだけグレーに軽くしてあげられたら、しがない表現者のはしくれとして幸いである。

編み出した結論は幸福とは他者を介せずに、何も持たない状態の自分であったときに感じられる言葉にできない充実感である。
私で言えば、納得した作品を作り上げた時にいつまでもにやにやと己の作品を眺めてしまう時間である。

お金があるから幸せとか
家があるから幸せとか
高級車を持ってるとかが幸せ
配偶者や子供に愛されているから幸せとかではないらしい。

結論はここではない。私を浅ましい人間だと見くびら無いでほしい。

それらが、真の幸せではないと言うのは巷で流行ってる安っぽい自己啓発本の類にもなっているだろう。
"have"ではなく"being"あり方がどうだとかそういう事は,
ちょっとヨガでもかじった人間ならつかめる哲学である。

ここで掘り下げて繰り広げたいのは、そこに他人や他の物体、物質が一切介していないことである。
家族がいて幸せだとかペットが甘えてきてくれて幸せとかそういうことではなく、己1人で完結できる心の温かさというのが幸福の定義なのである
※私のプライベートオピニオンだよ。
ちなみに私のプライベートオピニオンってさぁ頭痛が痛い的な表現だよね。毎日がEveryday的な。

哲学者ショーペンハウアーは言った
「孤独を愛しなさい」と「孤独を愛した者だけが他者を愛せる」と。
偶然遭遇した自殺しようとしていた芸術家志望の生娘を救い、自己肯定感を持たせ、のちに有名な彫刻家にまで成長させた彼の言葉は
私をいつも涙ぐませる。

ドイツ移民でアメリカ生まれの哲学者エリック・ホッファーも言った
「他者への没頭は自分から逃げる為の手段である」と。
幼い頃に母親と視力を失い、15歳で何故か突然視力を回復した男である。

私はこの2人の意見に腹の底から賛同する。

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