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仏教④ありがとう

「自己こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか。自己をよくととのえたならば、得難き主を得る。」 byブッダ


4月8日は、お釈迦さまの誕生日です。お釈迦さまのお母様のマーヤ夫人は、里帰り出産のために移動しているところを産気づき、途中のルンビニーの花園でシッダールタ王子を産んだので、この日を「花祭り」といいます。

この時、生まれたばかりのお釈迦さまは、七歩歩いてから右手で天を、左手で地を指してこう言いました。「天上天下 唯我独尊 三界皆苦 吾当安此」(てんじょうてんが ゆいがどくそん さんがいかいく ごとうあんし)

本当に生まれたばかりのお釈迦さまが即座に歩いて言葉をしゃべったのかどうかは大きな問題ではないのでちょっと置いておきますが、この言葉はどういう意味なのでしょうか。一つずつ見てみましょう。

「天上天下」というのは、この世の中、という意味です。自分の身の回りのことでもありますが、天の上にも、天の下にも、宇宙に広がる大きな世界のことです。当時は私たちが知っているような「宇宙」の認識はないと思いますから、お釈迦さまのスケールの大きな世界観のことなのでしょう。

「唯我」は、我々人間の、という意味です。

「独尊」は、たったひとつの尊い目的、という意味です。

つまり、我々人間すべての命は平等に尊い、という意味です。

ある時お釈迦さまは、弟子にこんなお話をしました。「海の底に目の見えない亀がいる。その亀は100年に一度、海面に浮かび上がる。その時偶然海に漂う一本の浮木に一つ穴が開いている。亀が浮かび上がった時にちょうどその穴に顔が入ることはあるだろうか。」

弟子は「そんなことはほとんどあり得ません。」と答えると、お釈迦さまは「人として生まれてくることは、それよりずっと難しいこと、”有り難い”ことなのだよ。」と言いました。これが転じて「ありがとう」という感謝の言葉になりました。

奇跡的に生まれてくる尊い命は、生まれてきただけでありがたいこと。頭が良かろうが悪かろうが、足が速かろうが遅かろうが、たくさんお金を稼げようが働くことが出来なかろうが、そこには差はありません。比較に意味などないのです。

生きることの価値だって、物差しで測ることはできません。生きていること自体に価値があるのです。すべての生き物、物にだって価値があるのです。

では、次の言葉を見てみましょう。
「三界皆苦」とは、私たちが住む世界は皆、苦であるという意味です。

「吾当安此」とは、この苦悩の世界にいながら、誰もが幸せになれる、という意味です。前回の”仏教③お釈迦さまの教え”の内容につながってきました。こちらもぜひご一読ください。

お釈迦さまは、「この広い大宇宙に尊い命として生まれたのは、この幸せを得るためだった」と言っているのです。私たちはいろいろなものとお互いに関わり合い、生きています。その全てに感謝しなければなりません。

次回はその関わり合いについて、もう少し詳しく見ていきます。


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