旅の終わり。

みなさん、こんばんわ!!

ツヨシです。世界一周すると宣言し1/5〜1/20まで旅をしてきました。
結果は、世界一周も旅のタスクも出来ずにタイ〜インド〜トルコの3ヶ国に旅をして終わりました。その回想をしていこうと思います。

1/4 地元にて。

旅の前日までBARを営業して、友達に集まって頂きながら最終営業日を迎えました。

8ヶ月の短い間の間借りでしたが、常連のお客様や友達、ご近所の方や商店街の皆様に支えて頂き本当に楽しい日々でした。
お店を片付けて帰る頃には、0時を過ぎていたのでそのまま眠りに着きました。

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1/5〜1/7 タイ

タイには3日間いて友人の友達と会い、タイを遊んで来ました。

タイは4年前にも旅行していて、前回よりもオシャレなお店が多くなり、人も綺麗な方が増えた印象を持ちました。
泊まったゲストハウスも清潔で朝食が美味しく、とても楽しかったです!

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タイを案内してくれた方は、日本人でタイの広告関係の仕事を主にしており、昔は傭兵として戦場にいた事もある人で、今の仕事はこれからのタイの平和を創るためにやるのだ。と語ってくれた。

戦いを続けても平和は訪れなかった、人々が飢える事のない社会を創る事が必要なんだ。

平和は当たり前じゃない、その事を色んな話しと共に伝えてくれました。

日常をもっと大切にしよう。ホテルに帰り、色々な事を考え、そう強く思いました。

1/7〜1/16 インド

インドには、ヒマラヤ山脈にありスモールチベットとも呼ばれるラダックのレーという町に行きました。

デリー滞在時には、アライバルのビザの記入方法を忘れて職員さんに教えて貰ったり、ホテルまでの送迎中で交差点の信号待ちの車に物を売る少女に罵られたり、色んな人に出会いましたが2日ほどで離れ、レーに向かいました。

ラダック レーにて。

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四方をヒマラヤ山脈に囲まれており、見渡す限りの山と青い空。

山が好きな私には最高の町”レー”。

デリーからは、飛行機で1時間ほどで片道10,000円で行けたので、とても行きやすい町でした。

レーという町は、インドのカシミール地方のラダックという地域にあります。

レーを知っている人は居なくても”カシミール地方”を何となく聞いた事がある人はいるかもしれません。

このカシミール地方は、3つの国の国境問題を抱えており、インド、パキスタン、中国が領有権を巡り対立しています。”カシミール紛争”(Wikipediaより引用)

現在は停戦状態が続いていますが、インド政府が昨年の12月12日に公布した市民権法改正法により、インド全土で学生を中心としてモディ政権へのデモ活動が行わており、レーの町でも抗議しているような集会が行われていました。

レーには空港があり、インド空軍が使用しているので町は安全が守られていますが、ラダックの地域には国の許可がないと立ち入る事の出来ない区域が沢山あり、自由に旅をするのは難しいようでした。

平和に見える景色の山の向こうでは、戦争が行われているのだと静かに感じられました。

レーには、当初の予定では10日間ほど滞在し1/22,23に行われるゲストルという仮面舞踏(チャム)というお祭りを見物したり、旅タスクをしたりと考えていたのですが、滞在初日より体調を崩し3日間の頭痛と寒気が止まらない為に高山病だと判断し今回は下山する事にしました。

しかし、帰りのチケットを購入しようにもWiFiも無く、ネットに繋がらない状態の為だったので、町のチケットセンターにて代行で取得する必要がありました。

宿泊していたゲストハウスに事情を説明し、3泊4日で予約していたので延長してもいいか確認してもらい、他に宿泊客も居ないのとの事で快く承知して頂き延泊することができますした。

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”Morning Sky Guest House”という名前のゲストハウスでしたが、本当におばぁちゃんちのような雰囲気で、居間の中心に暖炉があって周りに椅子と机が配置されており夜になるとここにみんなで集まって夕食を食べていました。

チェックインの時は、甘いお茶とお菓子が出されて、飲み終わる度にもっと飲みなさいっと勧められ、お菓子も沢山用意されていましたが、申し訳なくなったりする所も懐かしく思いながら、宿泊名簿を記入しお部屋に案内してもらいそのままベットで休みました。

レー滞在中の1/9〜1/15の一週間ずっと宿泊していて、オーナーのホームパーティに参加したり、スタッフの方とアイスホッケーの試合を観戦したりと色んな事を経験をして、最後の別れの際には、白い生地に梵字が刺繍された真っ白いストールをプレゼントされ、本当に最後まで沢山の思い出を残してくれました。

レーから空港でニューデリーに戻り、最初に泊まった”サンタナ デリー”を目指すも路地裏で道に迷い、知らないおっさんに囲まれたので近くにあったセキュリティー付きのホテルで1泊してタクシーをチャーターして貰い、空港に戻りました。

そして、この時のタクシーの運転手にチップを200ルピー札と間違えて2000ルピー札を渡した事を後悔しながら、ニューデリーからイスタブールへと向かうのでした。

1/16〜1/19  トルコ イスタンブール

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                      (1/16 アヤソフィアにて)

イスタンブール空港に着き、一番驚いたのはお手洗いの綺麗さと、いい匂い!!

日本以上の清潔さに驚きました。空港も新しく、広く、wifiも使用できる環境なので快適でした。

空港の地下1階にバスセンターがあり、受付のお姉さんからイスタンブール行きのバスを教えてもらい、宿泊先のアゴダゲストハウスのあるSultanahmetへと向かいます。

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アゴラゲストハウスは、イスタンブールの旧市街にあり徒歩圏に有名なモスクや美術館が多くあったので、チェックインを終え荷物を置いたら近くにあったブルーモスクとアヤソフィア、博物館を周って近くのレストランでご飯を食べて、その日は就寝。

イスタブールは、3泊4日アゴラゲストハウスさんにて宿泊していました。

日本の方のレビューも多く、実際にも日本の方が何人か泊まっており、久しぶりに日本人を見かけて感動したりしながらも話しかける事なく、お互いに毎日どこかに行っていました。

イスタンブールも当初は、自分が作っている「缶サット」の国際大会にて昨年優勝したイスタンブール工科大学に見学行くつもりで10日間ほどの予定を入れていたのですが、旅に疲れていたので行かずに4日間に変更し早めに帰国する事にしました。

美術館やモスクの建築、イスタンブールの歴史はどれも面白く、圧巻でした。行くところが多すぎて歩き疲れていても中に入ると毎回、想像を超えた風景があるので是非とも行ってみて欲しい国です。

オシャレなカフェも道のあちこちにあって、美味しそうなケーキやお菓子が外から眺める事ができたので散歩するだけでも十分に楽しいですよっ。

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イスタンブールの4日間は、宿の近所を散歩しては寝て、宿で漫画の蟲師を読んでダラダラと過ごして終わりました。

お土産屋さんやメインバザールを回るのに疲れてしまい、友達に購入するお土産も選べずそのまま帰国する事にしました。

帰りのフライトは、エアロフロート航空を使い成田空港に帰国しました。

1/20 帰国

19日にイスタンブールを出発して、20日に成田に到着。そのままpeachに乗り換えて、夕方には新千歳空港に帰り温泉に行きました。

お風呂がある日本が大好きですっ!!

日本が好きって実感した瞬間でした。

その後は、実家に戻り生存報告をしたり、友達に連絡をとり、いつもの日常に戻っていきました。

旅の終わり。

旅をして変わった事も得た経験もあまりないような気がします。

世界一周もロケット研究も出来ていないです。

何もなかった、としか今は言えないんです。

それでも、多くの人に出会い、助けられ、また日本に戻って来れて良かった思います。

タイで平和について考え、インドで戦争を感じ、トルコで歴史をみて、改めて日本に普通に暮らせる事の価値を知れたと思います。

一つの民族が、平和に暮らす事は普通ではないし、国家として経済が豊かな事で得られる恩恵は人々の文化や習慣に大きく影響を与えると実感できたのも経験になりました。

暫くは、旅をするのではなく、自分の内面を深く掘り下げようと思います。

人を信じる事の大切さ。

自分を支える存在に対する敬意と感謝を持つ事の意味。

当たり前の日常をもっと丁寧に生きようと日々精進しようと思います。

応援してくれた友達には本当に感謝しています。

本当に有り難う。

また、帰ってきたので宜しくお願いします。

最高の家族と友達がいる事が何もよりも幸せです。

生きていてよかったぁあああ!!!




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