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謙虚でいることをやめた結果

謙虚でいることが大切であるという考えは存在すると思う。それがなぜなのかわからなかった。

謙虚でいないと何が問題なのかというのを少し考えることがあったので、考えを残しておこうと思った。

ので文章を書いていきます。

結論

謙虚であるから誇示するようなことはしない。誇示をすることで、成長に費やされる集中力や意識や労力がかなりの影響で減衰する。したがって、謙虚であることというのは結果として成長に必要な要素であると多くの人が感じ取ったのだと思う。

経緯

まあ、当たり前であるがこの考えに到達した経緯を書いていく。

そもそも自分は何かうまくいったことがあればそれを周りの人に伝えたほうがコミュニケーションも取れるし、楽しいし、お互いにとって良いことであると考えていた。

だが、これは必ずしも正しくなく、また結構な頻度で間違いだったかもしれない。といろいろ考えてその結論に至った。

なぜかというと、自分がよくできたことを相手に話す。これは典型的にマウンティングである。自分はそう悪気はない。当然である。

ただ、そこにいくらかの楽しさを感じている点においてそもそもマウンティングは発生していると考えられる。それがなぜ悪いかというと、
自分はできる。ただ、状態として話し相手はできていない。人は比べる生き物であり、自分が下であると感じたその時に不快を感じるのが当然である。

これは会話やコミュニケーションの上達において何かしら意識を置かなければよく発生する事象であるとも思う。

少し話はそれたが、話をするとき、特に結果としてマウントをとるような状態になっているとき、その話し手の感情を自分で観察すると、どこか「自分はすごいんだ」のような自己顕示的な目的に意識が集中していたような気がするのである。

そして何かうまくいったことをより上達させることよりも、それを誇示することに意識が向いてしまう状態。これは結果としてそのうまくいったことを自ら手放している状態であると感じた。

これが最初の話に帰るのだが、謙虚であるべきという考えによって抑えられていた、自己顕示的な行動によって発生する結果として自分にとってデメリットになるであろう現象であると考える。

結論再び

謙虚であるから誇示するようなことはしない。誇示をすることで、成長に費やされる集中力や意識や労力がかなりの影響で減衰する。したがって、謙虚であることというのは結果として成長に必要な要素であると多くの人が感じ取ったのだと思う。

なんか結果は当然のことかもだが、一つ謎が解けてすっきりしたので共有しておく。

そして、自分はよく当たり前であるというのを嫌う思想を持っている。したがって謙虚であることをやめることでこの考えに至った。謙虚であることを受け入れることで必要性に気づいた人の話も聞いてみたい。

謙虚をやめることを続ける場合

コミュニケーションにおいて謙虚であることをやめて、且つ相手にも不快を与えない会話を目指すのならば、自己顕示的な考えや行動を取り除くために会話やコミュニケーションを行う上で成長という状態に自分が至れるような意識を持つのが効果的であると考える。

今自分が持つ考えとしては、
・相手の良い点を探す意識
・自己顕示的な行動を自分で知覚する意識
・会話や人との関係を反省する意識

が役に立ちそう。

まあ、おそらくこの文章を後で見返してもごっちゃだと思うから読んだ人はなんかがんばれと思いました。

今聴いてる曲

原神めちゃはまり中なう。

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