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〈ほしい未来〉の方向性に気づくヒントとしての「コンパッション」

ソーシャルデザインの多くは、モヤモヤから始まります。

そして、そんな日々の煩悩を〈ほしい未来〉に転じる力を身につけるためには、「何が気になる?」「何を断ち切る?」「何に応える?」「何を願う?」という4つの問いがヒントになる、と僕は考えています。

まずは、何にモヤモヤをしているのか吐き出し、しっかりと受け止める。そして、モヤモヤに振り回されないように現状を正しく理解して、本当のニーズを探る。さらに、カラダとココロの声に耳を傾けて、自分にとって大切なテーマを見極め、最後に自分がコミットできそうなことを言葉にしていく。そんなプロセスが必要だと思うのです。

第二回に続いて今回は、みっつめの問い「何に応える?」と向き合うための一冊をご紹介したいと思います。キーワードは「コンパッション」です。


「コンパッション」って?

前回の「何を断ち切る?」では『世界はシステムで動く』を教科書に、モヤモヤに囚われたり、振り回されたりしないように、物事を俯瞰的に眺めるための考え方をご紹介しました。

息を吐ききったら自然と息が吸い込まれるように、すべてのモヤモヤを打ち消した先に自ずと新しいはじまりが訪れます。ということで、ここからいよいよ〈ほしい未来〉を描いていくわけですが、そのときにヒントとなるのが「コンパッション」です。

ここではコンパッション研究の第一人者であるジョアン・ハリファックスさんの「Standing at the Edge」(未邦訳)を教科書として採用してみたいと思います。(すべての拙訳の原文は記事の最後にあります)


そもそも「compassion」を辞書で引いてみると、「(切実な)同情(心)、哀れみ」とあります。また、(微妙なニュアンスの差がありそうとはいえ)仏教でいう「慈悲」の翻訳語にもあたります。

ハリファックスさんによれば、コンパッションとは「誰かの苦しみを心から思いやり、その人がより幸せになることを強く望むこと *1」であり、賢明で思いやりのある道」や「ふさわしい対応 *2」を私たちに教えてくれるものだといいます。

コンパッショネイトな行動は、オープンさ、つながり、洞察といった場から立ち上がってきます。その行動とは、何かを勧めたり、問いかけたし、提案することかもしれません。あるいは、「何もしない」ということもありえます。 *3

『Standing at the Edge』Joan Halifax, 3687

何か問題が起こったときには、まずはマインドフルに目の前の人に注意を注ぎ、その人がどんな経験の渦中にいるのかを見抜くこと。そして、その苦しみを取り除くために、(「何もしない」も含めて)役に立てそうなことは何かを見極め、それに応えていくこと。

こうしたコンパッショネイトなプロセスこそ、それぞれの〈ほしい未来〉を見つけるヒントとなるのです。


コンパッションはどこからやってくる?

では、コンパッションはどこからやってくるのでしょうか? ハリファックスさんは、すべての存在が既につながっている、切り離された自己というものはないと気づいたとき、コンパッションが生まれる機は熟している*4」と続けます。

"無縁の慈悲"とは、すべての存在の苦しみに開かれていて、すぐに奉仕する準備ができている、そんなハートとマインドを持っているということです。それはあらゆるところに行き渡っていて、いかなる偏見もありません。"小さな自己"という幻想が消えるとき、私たちは「本当は誰なのか」ということを思い出すのです。 *5

『Standing at the Edge』Joan Halifax, 3368

"すべてがつながっている"という本来の感覚を取り戻したとき、コンパッションに導かれた"ひとつひとつ"の行動は、もはや自己中心的ではなくなっているのです。

意識的に"こと"を起こすのか、あるいは自然と"こと"が立ち上がってくるのか。社会によりよい変化をもたらそうとするとき、この違いを自覚することはとても重要です。「自分がやらなければ!」という思いが強ければ強いほど、無意識のうちに無理をしてしまったり、結果に期待しすぎて焦ってしまったり、心や身体のバランスを失ってしまうこともあるからです。

ハリファックスさんも、誤った共感や結果へのこだわりは、自分自身のキャパシティを歪ませてしまい、病的な利他主義、共感疲労や道徳的な苦痛、燃え尽き症候群といった悪影響を及ぼす、と警鐘しています。

「誰かのために役に立ちたい」と思ったとしても、それが「心からの利他心」なのか「病的な利他心」なのか、しっかり見極めることが大切なのです。


慈悲を育むGRACEモデル

コンパッションに基づくリーダーシップを育むために、ハリファックスさんが提唱しているのが「GRACE」というワークです。

マインドフルな状態をつくり、自分と相手の心身に波長を合わせることで、自分がとるべき行動が自ずと立ち上がってくる、というもので、僕も体験させていただきましたが、全身に鳥肌が立つくらいとてもパワフルな内容でした。

まずGはGather attention=「注意を集める」です。呼吸に集中するなど、今の瞬間にマインドフルに落ち着いていきます。コンパッションが立ち上がっていくには、注意力が必須条件となります。

RはRecall our intention=「意図と価値観を思い出す」です。あなたはなぜここにいるのか、どんな貢献をしたいと思っているのか、奥深い自分の内なる声に耳を傾けていきます。地に足をつけていく感覚といってもいいかもしれません。

AはAttune to self and then other=「自分と相手に波長を合わせる」です。波長を合わせる、というのは、しっかり味わうように注意を向ける感じでしょうか。最初に自分のからだ(ざわついているところ、温かくなってきたところはないか)、次に自分のこころ(そのからだの感覚はどんな感情からきているのか)、そして自分のあたま(その感情によって、どんな考えを生み出しているのか)の順番に注意を向けていきます。それが終わったら、相手のからだ、こころ、あたまの順番に波長を合わせ、相手の立場に立ってみて、相手がどんな経験をしているのか、を感じていきます。(僕自身の体験としても、このプロセスによってモヤモヤで霞んでしまって相手の存在を受け止めることができ、モヤモヤがリフレームされていきました)

CはConsider what will serve=「何が本当に役立つのかを考える」です。G→R→Aという歩みを経てみると、自分がさまざまな思い込みや前提を持ち込んでいたことに気づきます。それらを手放すことでいったんゼロになったとき、思いもつかなかった創発的なアイデアを静かに受け取る準備が整うのです。(僕の場合は「相手の話をしっかり聞こう」というシンプルなものでした)

そして、最後のEはEngage and End=「関わり、完了する」です。何かしら動いてみての結果が思い通りにならなくても、起こったことをはっきりと認めること。そして、次の出会いへと進むために、今の出会いをしっかりと終わらせることが大切なのです。


究極の〈ほしい未来〉としての慈悲の瞑想

何かを始めるよりも、実は何かを終わらせることの方が難しいのかもしれません。「どうして変わらないんだ!」という憤りや、「あのときこうすればよかった」という後悔を感じてしまうこともあるでしょう。

そのとき大切なのは、ただ相手の幸せを願うこととハリファックスさんはいいます。相手はもちろん自分自身のことを許すことで、深い感謝が生まれてくるのです。それはまさに"慈悲の瞑想"の実践です。

私は幸せでありますように
私の悩み苦しみがなくなりますように
私の願いごとが叶えられますように
私に悟りの光が現れますように
私は幸せでありますように(3回)

私の親しい生命が幸せでありますように
私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように
私の親しい生命の願いごとが叶えられますように
私の親しい生命に悟りの光が現れますように
私の親しい生命が幸せでありますように(3回)

生きとし生けるものが幸せでありますように
生きとし生けるものの悩み苦しみがなくなりますように
生きとし生けるものの願いごとが叶えられますように
生きとし生けるものに悟りの光が現れますように
生きとし生けるものが幸せでありますように(3回)

慈悲の瞑想 | 日本テーラワーダ仏教協会 より

〈ほしい未来〉とは、「何に向かってソーシャルデザインをするの?」という問いに答えるものでした。そうすると、この慈悲の瞑想こそ、すべての根っことなる究極の〈ほしい未来〉なのかもしれません。

そして、大きな"つながり"の中のそれぞれの現場で"ひとりひとり"が役割分担をしているとすれば、そこには心からの願いとしてのバラエティ豊かな〈ほしい未来〉が共鳴しあっていると思うのです。


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*1 feeling genuine concern about the suffering of another and desiring to improve that one’s welfare

*2 the wise and compassionate path / an appropriate response

*3 Compassionate Action emerges from the field we have created of openness, connection, and discernment. Our action might be a recommendation, a question, a proposal, or even not doing anything.

*4 When we recognize that there is no separate self, and that all beings and things are interconnected, we are ripe for universal compassion

*5 To have non-referential compassion is to have a heart and mind that are open to the suffering of all beings and ready to serve in an instant. It is universal, boundless, pervasive, and without bias. As the illusion of the small self falls away, we remember who we really are.

*6 Sometimes we have to forgive ourselves or the other person. Or this can be a moment for deep appreciation. 

はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎