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勉強とは、癒やしなり。スタディは、リトリートなり。

月水金、朝5:30に集まって、それぞれがひとりで30分、本当はやってみたいことをやって、その後に気づいたことをみんなでシェアする、という謎の試み、「スタディ・リトリートのリズム」。

毎日のように酷使している"あたま"を、敢えて"からだ"ファーストとかではなく、"あたま"ファーストで癒やすことは可能なのか。勉強は本当に癒やしにつながるのか。

思いついた自分にとっても半信半疑でしたが、お試し期間だった最初の1ヶ月を終え、「ひとりで」→「ふたりで」→「みんなで」という流れの中で、あれとこれがどんどんシンクロしていく、勉強家としてたまらない時間であり、30分間の多彩なスタディのアイデアに唸らされる時間でもありました。

何より、このリズムが終わると世界がより輝いてみえたり、「これでいいんだな」とホッとしている自分がいたり、ネイバーズ(一緒に場をつくるご近所さんたち)のおかげで、自分自身が調っていたことに気づく。

果たせるかな、勉強とは、癒やしなり。スタディは、リトリートなり。ジョルジュ・ペレック的にいえば、それはエピナル版画のような、ホッとする、勉強家のための空間。


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30分間のスタディのアイデア

このリズムをやってみて気づいたのは、"勉強"というと、本を読んだり、テストをしたり、みたいなことが想像されるけれど、"スタディ"と呼び、それを「内に秘めた情熱に火を灯すこと。自分が本当にやりたかったこと、"本来の自分"を思い出すこと」とアクロバティックな定義をしてみたとき、朝の空白の30分が、何か、解放されたような自由さを帯びること。

しばられるのでもなく、ただ、ゆるいわけでもなく、背筋が自然と伸びながらリラックスしているような。

本を読む。その本も、枕元に置いてあったものでもいいし、ずっと積ん読だった本を開けてあげるだけでもいい。数十年ぶりにピアノを弾きたくなったら、ハノンで練習してもいいし、絵を描いても、刺繍をしてもいい。

時には、カメラの説明書を読み直してみてもいいし、顕微鏡を持って散歩にでかけて、目に入った苔をまじまじと覗いてみてもいい。

そんな、シンプルに「今日何をしていたのか」、それぞれにとってのスタディのあり方をシェアするだけで豊かな気持ちになるし、世界がさらに愛すべき場所のように思えてくる。

そして、それを一度きりのスペシャルなものにするのではなく、月水金、隔日で、確実に、積み上げていくこと。セレンディピティに敏感な、開いた状態から一日をはじめていくことが、いつもの当たり前になっていく。

それぞれのスタディは、そのときどきの興味関心でありながら、もっと大きな流れのなかで、あるいは大きなつながりの中で、そのひとが引き受けようとしている使命のようなもの、進もうとしている道、それぞれの人生のテーマの静かな発露でもある。

だからだろうか。スタディ・リトリートをしていると、自然と合掌してしまう自分がいる。30歳のときに「勉強家」と名乗ったように、40歳のときに名乗ってみた「沙門(見習い)」である自分が、自ずと立ち上がる。

朝6:30。すでに、もう、いい日だ。


スタディ・リトリートを覗いてみませんか?

ということで始まったスタディ・リトリートですが、さっそく7月7日(水)の朝には、オープンルーティンといって、誰でもスタディ・リトリートの様子を覗き見できる機会もあります。


※2021年7月12日追記
 オープンルーティンの様子が公開されました◎


(Nestoの他のリズムの様子も月イチでみることができます、くわしくはこちらを)


オープンルーティンはどうしても「ひとりで」の時間だけが切り取られているので、「ペアで」、そして「みんなで」への気づきの広がり、大きなものとつながるような一体感という、Nestoならではの不思議な喜びは味わえないかもしれませんが、それでもなお、僕の"スタディのためのインストラクション"を聞いていただいたり、思い思い、すごしていただいて、大切な何かを思い出すような時間になればうれしいです。



そこの記事をきっかけに、2020年代の最大の社会実験のひとつだと勝手に期待しまくっている(盛りすぎかな。でも、本当にそう思っている)、ウェルビーイングのためのプラットフォーム「Nesto」に興味をもった方は、ぜひこちらの記事をみてみてください。

掃除、いけばな、ランニングから、弦楽器、祈り、ぬか床まで、ウェルビーイングのアイデア帳としてもおすすめです◎




はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎