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モヤモヤをしっかり受け止めるヒントとしての「アクティブ・ホープ」

私の場合は、「なんで、こうなっちゃうの?」という疑問やいらだちから物事がスタートすることが多いんです。(...)ネクタイもリサイクルも、誰もが知っている、世の中の普通にあるもの。なのに“残念なこと”になっているのはもったいない。

遠山正道さん『日本をソーシャルデザインする』グリーンズ編、p94


ソーシャルデザインの多くは、モヤモヤから始まります。

そして、そんな日々の煩悩を〈ほしい未来〉に転じる力を身につけるためには、「何が気になる?」「何を断ち切る?」「何に応える?」「何を願う?」という4つの問いがヒントになる、と僕は考えています。

まずは、何にモヤモヤをしているのか吐き出し、しっかりと受け止める。そして、モヤモヤに振り回されないように現状を正しく理解して、本当のニーズを探る。さらに、カラダとココロの声に耳を傾けて、自分にとって大切なテーマを見極め、最後に自分がコミットできそうなことを言葉にしていく。そんなプロセスが必要だと思うのです。

そこで今回はひとつめの問い、「何が気になる?」と向き合うための一冊をご紹介したいと思います。キーワードは「アクティブ・ホープ」です。


「アクティブ・ホープ」って?

著者のジョアンナ・メーシーさんは、仏教哲学者であり、社会活動家でもあるというまさに菩薩道を生きている方です。”生命持続型の社会”への大転換を目指し、アクティブ・ホープという考え方を提唱しています。

(希望とは)何かを望む、ということである。(...)そうあって欲しい、と胸が痛むほどに願う世界である。こういう意味での「希望」によって私たちの旅路が始まるーそれはつまり、自分が望むもの、こういうことが起こったらいいと思うこと、ぜひ起こって欲しいことを知る、ということだ。こうした希望に対して何をするかによって、その後の状況は大きく変わってくる。パッシブな希望とは、自分が欲するものを自分以外の何者かがもたらしてくれるのを待つ、ということ。アクティブ・ホープとは、自分は望むものを実現する過程に積極的に参加する、ということなのである。

『アクティブ・ホープ』ジョアンナ・メーシー、p6

その中心となるのが、「つながりを取り戻すためのワーク」です。

私たちの内側にある資質を伸ばし、外側では他者とのつながりを構築するのを助けることで、このワークは、心をかき乱すような情報をしっかりと受け止め、思いもよらなかった粘り強さでそれに対処できるよう、私たちの能力を高めてくれる。

『アクティブ・ホープ』ジョアンナ・メーシー、p10

メーシーさんが提唱する「つながりを取り戻すためのワーク」は、次のようなスパイラルをたどっていきます。


①感謝の気持ちを感じる
②世界に対する痛みを大切にする
③新しい目で見る
④前に向かって進む


このシンプルな流れの中には、仏教で語られている菩薩道の叡智がふんだんに含まれているように思います。ここでは「何が気になる?」という問いを深めていくために、特に「②世界に対する痛みを大切にする」という部分にフォーカスしてみます。

ちなみに、いきなり「②世界に対する痛みを大切にする」前に、「①感謝の気持ちを感じる」があるのは示唆的です。信頼と寛大さを育む感謝は、モヤモヤ=煩悩を観察するための大切な土台となるんですね。


気づいていても行動しない、私たちの"言い訳"

「②世界に対する痛みを大切にする」の章では、聖杯伝説のパーシヴァルの物語が引用されています。それは次のようなものです。


ある王が魔法によって苦しんでいる。しかし「権威ある者に向かって問いかけるのは失礼だ」というこれまでの慣習により、誰一人その恐ろしい状況について言及するものはなく、パーシヴァルも何一つ問題がないように振る舞ってしまう。

そんな様子をみた悪魔はこういう。「なんてことだい!何が起こっているのか尋ねる勇気もないなんて。それでも騎士のつもりかい」その糾弾と挫折感によってパーシヴァルは鬱になってしまうのだが、最後の最後にやらなければいけないことに気づく。

向かったのは王の前。そしてパーシヴァルは王に尋ねた。「王よ、どこが悪いのですか?」その勇気ある思いやりによって魔法は解け、荒野には再び花が咲き始めたのだった。


この物語を読み返すたびに、僕はドキドキしてしまいます。なぜなら気候変動や戦争など、大きすぎる社会問題と出会ったときの、自分には何もできないという言い訳や、そんな自分自身への欺瞞をえぐり出されたような気がするからです。

正直、僕はこの本と出会うまで、“痛み”という感覚にフタをしていたように思います。苦しいことには目をつぶって、楽しいことだけをするばいい。その思い込みは、苦しいことに引っ張られてしまう僕の弱さから生まれていました。でも、そうした無関心によって、「これまで通りでいい」というストーリーを、自覚もないままに下支えしてしまっているのです。一方で、「この世界の状況を考えると、これからますます…」という漠然とした不安は募り続けるばかり。

メーシーさんはそんな私たちの言い訳には、いくつかのパターンがあるといいます。

たとえば「そんなに危険だとは思わないから」、対岸の火事がまさか自分のところにやってくるとは想像しにくいでしょう。他にも「この問題を解決するのは私の役割ではないから」とか、「目立ちたくないから」とか「自分にとってデメリットがあるから」とか。あるいは「あまりにも気持ちが動揺するので考えたくない」とか「どうせ何の効果もないのだから、何をしても無駄なことだ」とか。

日々のニュースには見たくもない映像が流れ、本当に気が滅入ります。とはいえ、無関心でいるわけにもいかない... どうすれば... 


痛みは健全であり、むしろエネルギーにもなる

そんなジレンマを抱える私たちを目の前に、メーシーさんは「痛みを感じるのは健全なこと」と優しく語りかけてくれます。

仏教とシステム理論にともに見られる、あらゆるものが根本的につながっている、という知見は、私たちが世界の状況に対して感じている苦悩についてとらえ直すのに役立つ。そうした苦悩がどれほど健全な反応であるか、私たちが生き残るためにそれがどれほど必要かということに気づかせてくれるからだ。「つながりを取り戻すワーク」の中心にある考え方は、怒り、不安、悲しみ、罪悪感、恐れ、そして絶望といったさまざまな感情を含む「世界に対する痛み」は、傷ついた世界に対する正常で健全な反応である、というものだ。

『アクティブ・ホープ』ジョアンナ・メーシー、p91

メーシーさんが学んできた仏教とシステム理論は、どちらも「すべてがつながっている」という縁起的な世界観を持っています。そして、その視野を持つことができれば、私たちの痛みは行動しようという情熱へと変わっていくのです。

絶望感、悲しみ、怒り、恐れといった感情の流れに心を開いたとき、人々が肩の荷を降ろしたような感じになるのを、私たちは常々見てきている。痛みの中に入っていく過程の中で、何かが根源的に変化する。転換が起こるのだ。自分の心の奥の方に手を伸ばしてみると、そこは決して底なしでないことがわかる。この世界に何が起こっているかについて、自分が知っていること、目にすること、感じることをあるがままに語ることができるとき、ある変容が起こる。行動しようという決意はより固いものになり、人生に対する新たな情熱が生まれるのである。

『アクティブ・ホープ』ジョアンナ・メーシー、p91

人々の行動を促すのは、「いま世の中がこんなに危ない」という“情報”を共有するだけでは不十分だったのでした。それらの情報を"自分ごと"として向き合い、解き放つような対話の場づくりが必要なのです。


感情をめぐらせるワーク「オープン・センテンス」

では、どのようにすればモヤモヤを解き放つことができるのでしょうか。ここでメーシーさんが紹介しているのが、シンプルながらも奥が深い「オープン・センテンス」です。

「オープン・センテンス」とは、語り手と聞き手に分かれ、未完の文章の始まりを読み、その後に自然に口から出てくることを2分ほどかけて話すワーク。準備がいらないのがポイントで、言葉につまったら何度でも最初から繰り返すことで、滞っていた内なる声を吐露する手助けをしてくれます。

その一例が「不安についてのオープン・センテンス」です。聞き手はインタビュアーとして質問する必要はありません。ただそこにいて、しっかりと耳を傾けるだけです。


1. この世界の状況を考えると、事態はますます…
2. 私が懸念を抱いていることは…
3. それについて考えるとき、私の中に沸き起こる感情は…
4. 私がこういう感情についてどうするかというと…


実際にやってみると、思ってもいなかった言葉を吐き出して、驚くことがあります。そして、吐き出した途端、すっきりしている自分を発見することもあります。モヤモヤを貯め込むと、眼鏡が曇ってしまったかのように、目の前のものをありのままに見れなくなりますが、吐き出してしまえば、そのモヤモヤをヒントとして、自分が心から求めていたことに気づきやすくなるのです。

ここでメーシーさんは、「言葉にするのが難しければ絵で表現するのでもいい」といいます。大切なのは、言葉であっても絵であっても、まずは深い痛みを外に出してみることなのです。

私たちが世界に痛みを感じるのは、世界が私たちを通して感じている、ということなのだ。それこそが、私たちのアプローチの核となる考え方であるーもしも世界から私たちへと感情が流れ込むのならば、それが再び外に流れ出すことも可能なはずで、それは私たちの中で滞る必要などまったくないのだ。

『アクティブ・ホープ』ジョアンナ・メーシー、p100

こうした深い気付きこそ、仏教の真髄といえるのかもしれません。そしてそれは現代の菩薩道といえるソーシャルデザインにとっても、とても大切なあり方だと思うのです。



はじめまして、勉強家の兼松佳宏です。現在は京都精華大学人文学部で特任講師をしながら、"ワークショップができる哲学者"を目指して、「beの肩書き」や「スタディホール」といった手法を開発しています。今後ともどうぞ、よろしくおねがいいたします◎