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悪(ワル)のカリスマ

こんばんは👋 針でぶっ刺すステューです(ハチだから)🐝

今日は俺の中学時代(昔)の話をしようと思う
若い頃、いい子ではなかった俺
学校の成績はよかったが、学校では嫌われまくってて
ほとんど友達はおらず

友達と言えばバチバチに気合の入ったヤンキーばっかり
いつも捕まる寸前、スレスレの悪事を働いてたクソガキ時代
持ち検は日常茶飯事で事情聴取も度々されてた

居場所

俺は中1の頃から、反抗期が強烈で、家族との仲は非常に悪く
いつも家の電話が鳴ることに怯えるような生活をしていて
夜遅くまで外に出ちゃ、悪友と遊びまわって
いつ捕らえられてもおかしくない日々を過ごしていた

学校も環境があまり良いとは言えず、
毎日 授業参観を学校が保護者に依頼しており、警備員が配置される寸前、クラスの先生は鬱で自殺未遂をしたという噂が流れる程、酷い状況だった

俺はそんなに学校を荒らすことはしていなかったが、
放課後に外で、他の中学のワルい奴らと仲良くしてた
オーバーサイズの服を着て、改造したバイクに乗って、黒いバンダナで口を覆うようなスタイルだった
俺はバイクに乗ったら即死すると心配されて、いつも誰かの後ろに乗ってた
バイクも原チャから、MBX、マグナとか色々あったな。

なぜワルなのか

学校に通う同級生達のことは、
ほとんどが、誰と仲良くするかを他人の評価で決めていたり、
つまり自分に軸がない?
二枚舌で成績も俺より悪い人が多かった
そして当たり前だが、家庭にも学校にも守ってもらえる存在なので自立さえしてない(14歳ぐらいの話て考えるとすごいね)

彼らは自分も持ってなければ頭も悪いし、自立もしてないので付き合うに値しないと思ってた
それが態度に出ていたのですごく嫌われてたんだろうな
一方で、仲良くしてたワルの仲間達は、片親が多く、夜も親がろくに家にいないとかいう状況が普通だった
自分のケツは自分で拭く。みたいな感覚、
誰にも守ってもらえないから自分でどうにか解決しないといけない状況に幼い頃から置かれている。

俺の性格は有言実行を大切にしていて、言ったらやる、
約束を反故にしたり、脅しはなし、たとえ何があっても言ったことは通す
当時俺はこんな奴だった、気がするんだ
そんなこんなで、学校の学生よりも、仲間達は何倍も自立して大人に思えたし、刺激的で遊ぶのが面白かったから一緒にいた

彼らは家庭に愛を感じず家にも居場所がない、当然学校もほぼ行ってないから学校にも居場所がない。
夜な夜な外に出てきて「仲間」という本当にあるのかどうかもわからない居場所を心の拠り所にするしか、生きる意味すら見い出せないといった状況の人間が多かったんじゃないかな
俺たちはいつだって互いの問題を共有し、励まし合い、何日も寝ずに遊びまわってた
皆、ここにしか居場所がなかったんだよな

乾きはどこからくるのか

何かよくわからないが、あの時期は本当に全てがつまらなかったんだ
学校も家も退屈で、面白いと思えることはほとんど仲間の誘いだった
スリルがあることに突き動かされ、リスクをとって刺激を得る
この頃は一体、俺達に何が起きていたのか?

今となっては思い出せないが、、
虚無感、焦燥感、飢え、感覚の麻痺、怒り、色んなものが渦巻いていた
そして互いの傷を舐め合うように、同じ痛みを持つもの同士、俺たちは俺たちを「仲間」たらしめていた

乾きの本質は、無関心だろう。
誰も、例え家族でさえも、俺たちに興味がなかった
俺たちは市民の脅威になることでしか、誰かの気を引く手段がなかったのかもしれない

解散の危機

相手が警察だけならまだいいが、本職の人を相手にすることもあった
俺は直接関わってないが
本職相手に詐欺、ツレが住み込み中に”何か”やらかして追い込みかけられたり、常にブリってたり、事件は常に起き、日々エスカレートしていった
やらかした奴が逃げるように急に音信不通になり、いわゆる「飛ぶ」ってやつだが、一人また一人と消えてくんだ

仲間といるのは楽しかったが
俺はもう
追いかけられるのも、仲間が飛んでいなくなるのも、警察から実家に電話がかかってくるのも、嫌で嫌でしょうがなかった。

学校や家のことなど小事すぎて、目の前で起きている日々の問題の深刻さは年齢(15歳)に見合わないものだった。
警察にも本職のやべー人にも呼び出されることが何度か続き、
マークされていたらしく、俺を庇ってシバかれたり捕まったり。。。
活動の先行き悪さと、解散の危機を感じる。

悪(ワル)のカリスマ

俺が所属する名もなきチームにはBというワルのカリスマが束ねてた
いつも10名前後で活動していて俺を含む4名が発言力があるコアメンバーで
残りは賑やかしだ
Bは複数の中学から出てきた俺たちを束ねられる唯一のカリスマだった
仲間想いで、ファッションセンスがよく、毎日Bの呼びかけで集合していた
俺たちは、モバスペで自分等をPRするためのWEBサイトも運営していたアホだ(世代を感じるだろう)
カワイイ話だと1回の祭りで、暴動事件を3度起こして警察を出動させたり、警察署にバイクでロケット花火を打ち込みに行ったりしていた
かわいくない話は公の場では言い難いので割愛させて頂く
俺たちには特定のルールがあるわけではなく、ただ楽しいと思えることをやるだけなんだが、
この頃になると、エスカレートしすぎていて
俺はそろそろ楽しくなくなってきてた。
アホじゃないから本当にヤバい線は超えてなかった。俺はね

Bとの会話はあまり覚えてないが、
あまりにもクレイジー過ぎて、自分達では本当に収集が付けられない状況が続き、
俺も含めたB意外のコアメンバー3名でBを説得するようになっていく

コアメンバー「おい、B!これ以上やると俺達もう普通の人生に戻れなくなるぞ。お前、ほんとにそれでいいのかよ?」

B「普通の人生って何だよ」

コアメンバー「お前今の状況を、自分が親になった時、子供に胸張って言えるのかよ?俺たちはもう抜けるぞ!」

B「まあ言いたいことはわかるよ」

誰が言ったか覚えてないがこんな会話だった記憶がある
いつもの溜まり場にBを呼び出して4人で話したんだよな。

結果、Bは変わらずなんだよね、そこから俺はもう無理だと悟った
自分の人生をどう生きるべきか考え直すきっかけになった
帰ってこれない場所の境界線まで行ってた
その先に行ってしまえば、仲間以外の全てを捨てることにもなり兼ねない

「俺はこいつらとずっと遊んでられたら、
別に悪事に手を染めることも、リスキーな活動も必要ない」
と思うようになってきていた

仲間の存在が自分の心を満たしていってた
そして、悪事を働くことと比例して、しがらみが増えて
生き辛くなってきていた、毎日押しつぶされそうな思いだった
俺だけならまだいいが、それぞれの家族に迷惑かけたらと思うと
流石に笑えなくなってきていた。
そろそろ大人にならないとな、俺たちはやり過ぎた

家庭はいいものだろ?

俺たちはB以外の人間が皆、事の深刻さを理解しており
普通の生活に戻れないBと距離を置くようになった
俺たちに異常な刺激はもう必要なかった
俺達には強い絆がある。これ以上はいらない
Bは後からわかったことだが、”あれ”になってしまったらしい
その後も服役したことを風の噂で聞いた。

ずっとBのことを、後ろ髪引かれる思いで長年過ごしてきた
なぜあの時、Bは一緒に元に戻ることができなかったのか。。。?

数年経った後気付いたんだ、
Bは家庭環境があまりよくなくて、愛に飢え続けていた
俺たちとBの決定的な違いは
Bは「家庭はいいものだ」という経験がなかったのではないのか

だからあの時
俺たちの説得にBの心は揺らぐことがなかったんじゃないか?

だから昔から
誰よりも俺たちのことを大切に思ったんだろう

Bの頭ひとつ飛び抜けたカリスマ性の原因はここあったのかもしれない。

家庭はいいものだ
B以外の連中は、片親だったとしても愛を受けて、親を大事にしてるはずだ
俺ももちろんそうだ

映画JOKERを見た時、実はJOKERとBが重なり
昔の思い出がフラッシュバックした。完全に同じなんだよね

家庭をいいものだと思えるってだけで
こうも人生を大きく変えるものだなんて
世間一般にとって当たり前のことも、当たり前じゃない人もいる

Bに今更会いたいとは思わないが、いい思い出として
お前が居たから、今の俺が居る。


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