見出し画像

誰かを傷つけるかもしれないことに覚悟を持つ

noteが書けません。書けませんというか、書き進められません。n日ぶりn回目です。

ネタがないネタがないと毎日騒いではいるのですが、本当のことをいうと書きたいネタ自体はすこしずつ溜まってきています。それでも書けないのはなぜかと考えたときに、ある自意識の上での理由があることに気が付きました。

それは、「これを書いたら誰かを不愉快にさせてしまうんじゃないか/怒らせてしまうんじゃないか」という気持ちです。

+++++

普段から気が弱く、すぐに相手の顔色を窺ってしまいがちの僕は、どうやら文章を書くにあたっても同様の癖を発揮してしまっているようです。

すなわち、これを書いたら怒る人や悲しむ人がいるんじゃないか、不愉快になる人がいるんじゃないか、だったらもっと表現を和らげたほうがいいかな、いやもうそれなら書かないほうがいいかな、というような目に見えない相手への配慮です。

いや、「配慮」というきれいな言葉で誤魔化しているものの、その奥にあるのはたぶん、自分自身が傷つきたくない、他者からの攻撃を受けたくないと思っている弱い気持ちです。

自分の書いたもの、自分の行動によってマイナスの感情を持つ他者がいることに耐えられない。それによって誹りを受けることにはもっと耐えられない。気弱の皮を被ったワガママと言ってもいいかもしれません。

+++++

しかし、おそらく文章を書いて何かを表現していこうしている以上、誰も傷つけずに、誰の心も刺激せずに、一切の波風を立てずにやっていくということはおそらく不可能です。

ましてや不特定多数に向けたものとして文章を出している以上、受け手がどのような感情を持つかなど、最終的にはコントロールできません。僕の考えていることや大事だと思っているものがどうしても受けつけられない人に、僕の文章が届いてしまうこともあるでしょう。

そうなってしまったときに、僕自身がどのように評価されるかということに、腹を括らなければいけません。いつまでも怯えた子供のように、ジャッジされることを避けていてはいけないのです。

いたずらに人を傷つけたり、露悪的にならないような努力はした上で、それでも耳が痛い意見や誰かの悲しみ、さらには悪意が自分の元に届いてしまう時がきっとあります。それでも、今の自分ならきっと受け止めて次に活かせると信じて、やっていきたいです。

+++++

そんなわけで、これからは抑えていたギアをちょっと一段上げて、誰かに怒られそうなことも書いていこうかなと決意を新たにしています。

これからも弊noteにご期待ください。

いただいたサポートは貴重な日本円収入として、日本経済に還元する所存です。