秋田cheersだった①

久々の更新です。12〜2月まで3ヶ月間、ほとんど毎日更新していたのに何の前置きもなくぷっつりと途絶えさせてしまったので、友人から生死確認の連絡がきました。noteにはそんな使い方もあることがわかりました。佐藤は元気です。



更新できなかった言い訳は置いておいて、ずっと文字として残しておきたかったことを綴ります。


私には、自分の今を考える上でどうしても切り離せない経験があります。それがタイトルの「秋田cheers」です。アキタチアーズ、と読みます。

2015年夏から2017年12月31日まで、私は秋田cheersでした。


いまさら過去の出来事にすがるんじゃないよ!平成は終わるんだよアンタ!と言われてしまいそうですが、今になっても秋田cheersの経験について聞かれることがとても多く「情報をください」と求められたときにびっくりするほどまとまっていないので、筆を取るにいたりました。(キーボードだけど)


秋田cheersとは、簡単にいうと、秋田のお菓子をきっかけに東京の人に地元を知ってもらうゾ★的なイベントを開く女子大生2人組のことです。



はっ。説明がおわってしまいました。なんということでしょうか。なにも過不足がありません。私の2年間は68文字で簡潔に説明できることがわかりました。無念。


そんな秋田cheersでしたが、2年間で本当に色々な経験をさせていただいて、そのとき出会った人たちや考えたこと悩んだことが、すべて今につながっています。

まわりの方々にこれでもかというほどに助けられて、思い出すと今でも身が引き締まります。最近太ったけど。精神的に引き締まります。

ここからは、秋田cheersの軌跡です。とっても長くなります。佐藤に「見とけ」と脅迫された人や、大型連休の渋滞に巻き込まれて時間が有り余っているひとなどにおすすめです。





2015年夏 秋田cheers発足

発足したのは、地元のファミレスでした。ドラえもんがハンバーグを割るあのファミレスです。大学3年の夏、たまたま帰省したタイミングが合った中学・高校の同級生とごはんに行きました。当時、ふたりとも20歳でした。会うのは1月の成人式ぶりだったので約半年ぶりで、きちんと時間をとって話したのは約2年ぶり。私は秋田から東京の大学に、友人は北海道の大学に進学していました。

仲の良かった20歳の女の子2人が久しぶりに会う場面で起こることは、想像にたやすいと思います。それはそれはすごいスピードで喋り、2人ともまるで佐藤二朗さんでした。卒業してからの話、大学の話、アパートの愚痴、サークルの話、恋愛の話、将来の話。そして、近況報告が終わった頃、自然と秋田の話になりました。


将来子育てするとしたら秋田でしたいけど、そしたら自分たちの仕事はあるかな?
生活は刺激があって充実しているかなあ?
戻るとしたら、旦那さんは秋田の人でなければいけないのかな?
戻りたいけど、戻りたくない気もするのはなぜ?
というか、30年後には地方消滅ってほんと?
なくなっちゃうのかな?
こんなに大好きなのに……


気がつけば閉店までの5時間、ピチピチギャル女子大生とはとても思えない「秋田の今後について」というテーマで夢中で話をしていました。

話しているうちに、お酒も入っていないのにすっかり盛り上がってきた私たち。「なにかやってみよう」という話になり、閉店時間まで5時間滞在しました。ファミレスの店員さん、すみませんでした。

これが秋田cheersのはじまりでした。


その後はお互い東京、北海道に戻り、秋田の情報をひたすら発信するSNSとブログを開設。そのときに名前をつけたのが「秋田cheers」です。顔出しはせず、秋田の情報を自分たちなりに柔らかく発信するのみでした。語尾は「~~あき」でした。知り合いにはダサすぎるとよくツッコまれましたが、それが狙いでした。嘘です。

そんな少々のダサさを含んだ「地元を離れた秋田美人(笑)女子大生、秋田cheersあき★」という打ち出し方をしたSNSでしたが、秋田から離れつつもいろいろな情報を集めたり、興味を持ってもらえるような文章にしたり、時間を工夫したり、画像を必ずつけたり(頑なに顔は出さない)、関連ツイートをお気に入りしまくるなど試行錯誤しているうちに反応が増えてきて、「秋田のためになれている」とすごく嬉しかったです。


そして1ヶ月後、私は北海道に行きました。

目的は、とにかく友人と話すことでした。
そうなのです。「あの日の話の続きをしようじゃないか」という、まるで生き別れの兄弟のようなロマンある目的で北海道に行ったのです。初めて飛行機に1人で乗りました。方向音痴かもしれないという疑念があったので、かなりドキドキしました。無事に到着し、北海道滞在中は2人ですこぶる話して、食べて、話して、食べての繰り返しでした。

そんな北海道旅行の最後、私が東京に戻る飛行機に乗る2時間前に会ったのが、友人の先輩です。わざわざ時間をとって、会ってくださりました。


先輩が私達にくれたのは、愛のこもった本気の叱咤激励でした。

「そんなんじゃ何も変わらない。お前らは全然、本気じゃない」


先輩は笑顔で送り出してくれましたが、その後空港までの私たちはお通夜状態でした。



2015年秋 バレPイベント実行の決意


私たちのやっていたことは自己満足なのか?

私たちって、本気じゃないのかな?

悩んでいることに酔っていたのかな?

秋田のためにできることって、本当にないのかな?


東京に戻ってからは、友人と長電話の毎日でした。
今思うと、悩んでいる自分たちに満足している状態だったのかもしれません。それでも結構本気で、悩んでいました。

そんなとき見つけたのが、東京スカイツリーで秋田県庁が秋田の物産展をするという情報。「これだ!」と思いました。
今思い返すと、なにが「これだ!」なのかまったく理解不能ですが、とにかくなんだか行かなければいけないような気がしました。
善は急げ!!!と思い、さっそく県庁に「手伝わせてください」と電話しました。

今思うと、とても怪しかったです。我ながら怪しすぎます。顔も見えない女子大生を名乗る2人が、突然電話をかけてくるのです。いたずらと思われてもおかしくないです。中身はオジサンかもしれません。普段はTwitterでかわいい女の子の写真に「◯◯チャン、おはよう❗」とリプライしているかもしれません。

しかし、たまたま電話で変わっていただいた担当の方が同じ高校出身の方で、真剣に話を聞いてくれました。電話越しに緊張しつつも熱意を伝え、特別にお手伝いをOKしてもらいました。本当にラッキーだったし、ご厚意には感謝してもしきれません。

そんなこんなで今度は友人が、イベントに合わせて北海道から東京に来てくれることになりました。


スカイツリーのイベントでさせていただいたのは、簡単なアンケートとインタビュー調査です。来場者の方々に、秋田県に行ったことがあるか、印象はどうかなどを聞きました。
結果、多くの方が秋田に好印象を抱いているけれど(嫌いという人はいない)、秋田の具体的な魅力や位置さえも知ってもらえていない現実を目の当たりにしました。来てくれたことがある県外出身者も、本当に少なかったです。
来てもらったり、アクションを起こしてもらったりするためには、知ってもらわなければいけないと思いました。


じゃあ、どうやったら知ってもらえるんだろうか?

そもそも興味を持ってもらえないことには、知ろうと思えない。
自分たちはSNSを運用してはいるけど、フォロワーは既に秋田に興味がある人たちばかり。
そうでない人たちに興味を持ってもらうためには、きっかけが必要だ。
地域活性とか、観光とか、堅苦しくてハードルが高いものじゃなくて、もっと多くの人が楽しめる何か。


そして、たどり着いたのが「お菓子」でした。

お菓子だったら多くの人が好きだし、「美味しい」という感情は人を幸せにするポジティブなものです。プレゼントに使うこともあります。そして、「◯◯で作られた」と場所を訴求することでさりげなく秋田をアピールできます。さらに、それが美味しくて可愛いものだったら、人にその感情をシェアしたくなるはずだと思ったのです。


「美味しくてかわいい」だったら、きっと広まる。興味を持ってもらえて、そこから秋田を好きになってもらえる!
じゃあ、お菓子を買ったり、プレゼントしたりするのはいつ?

そうやって考えてたどり着いたのが、バレンタインでした。

バレンタインに地元の銘菓をギフトセットにして売ろう!
場所は、秋田ではない。東京だ!
売れる理由は、美味しくてかわいいからだ!
そして、秋田美人の女子大生が直接手売りするからだ!!!!!!!(迫真)

ここらへんで、さらに勢いづいた私たち。謎の根拠のない自信を無理やり作り出して、勇気を出してSNSで顔出しを始めました。秋田美人を名乗っていたことを少し後悔しました。めっちゃこわかった。語尾「あき」だったし。ダサいです。なんだ、あきって。発案者の顔が見てみたいです。(私です)



2015年冬 営業スタート

バレンタインイベントをやろう!と決意してから、お互い試験やアルバイト、サークル活動などの合間を縫いつつ、昼間はLINEで、夜23時からは電話会議の毎日が始まりました。


まず始めたのはお菓子会社のリストアップです。自分たちが本当に美味しいと思っていて大好きなものたちをエクセルにまとめて、メールや電話で企業に連絡を取りました。これまたすごく怪しいご連絡をしていたと思うですが、みなさんすごく温かい言葉をくださりました。

実は、あまり公表していなかったのですが、何社も断られています。理由は様々でしたが、それでも本当に真摯にご対応いただきました。


ある小さな会社の担当者の方は、こんなことをおっしゃっていました。

「実はもう後継者不足で、このままでは店がもたない。もっと未来ある会社にお願いしたほうがいいだろう。応援しているから頑張って」

地元の現実を突きつけられて、切なくて、悔しくて、絶対に成功させなくてはと思いました。


結果、5社が受け入れてくださりました。
それが私たちの人生初のクライアントとなる、かおる堂様、お菓子のくらた様、菓子舗榮太楼様、かなえや菓子工房様、天鷺ワイン様です。
バイトの10分休憩の合間に折返しの電話をして、OKをいただけた瞬間は嬉しくて嬉しくて飛び跳ねて、急いで友人に連絡しました。


次に決めたのは売り場です。場所を借りるというのが、なにかを売らせていただく機会を得るというのが、こんなに難しいのかと挫折しそうになりました。どこを調べても、祝日含めた4日間は大学3年生の私たちには高額すぎました。

泣きそうになっている矢先、品川の秋田アンテナショップ「あきた美彩館」を思いつき、藁にもすがる思いでご連絡しました。


直接店舗に連絡してみると、管轄は県庁だから県庁に連絡してみてくれ、ということでした。

県庁の担当者の方に最初に驚かれたのは、「法人ではない」ということ。「これまでに例がなくて、売らせてあげられるかどうかわからない」と言われてしましました。そりゃそうかもしれません。まず、秋田美人を名乗っている君たちは誰なんだよ状態です。たしかに、ずわいがに。

しかし、もう後に引けない私たち。お菓子会社さんにはご了承を得ていたからです。なにがなんでも売らせていただける場所がほしかったのです。

売りたいんですううううう、としつこくお願いした結果、書類審査をしてもらえることになりました。

パッケージも決まっていない、お店のレイアウトもわからない、お菓子になにかあったときの住所も連絡先もどうしていいかわからない。そんな状態で無理やりかきあげた書類。
1週間後にメールで結果連絡するから、と言われて待ち続けて、待ってる間も物事はどんどん進んでいって。これで決まらなかったどうしよう…と不安で仕方なかったです。

そして、1週間後に届いたのは「よろしくお願いします」の文字。
秋田県庁が大好きになりました。


さらに私たちが売らせてほしいと思っていたのは、秋田をテーマにした居酒屋さんでした。秋田の食材を東京在住者に召し上がっていただくことで東京から秋田にお金を流し、文化発信と流通のどちらも担っている居酒屋たちを、女子大生ながらに勝手に尊敬していたのです。ビジネスのビの字もわからないけれど、確実に秋田県にすごい貢献をなさっている…!と尊敬していました。今でもその尊敬の念は変わりません。本当に、本当にすごいです。

そんな居酒屋さんたちは東京にあるということで、メールと電話でご連絡をとってお願いし、6店舗にOKをいただきました。後にバレンタインイベントのポスターと初めての企画書を持って、直接6店舗にお願いしに行きました。とっても緊張したし、方向音痴を恨みました。銀座ってなんであんなに複雑なのでしょうか。有楽町駅から銀座駅があんなに近いなら早く言ってほしかったです。無念。



2015年末 怒涛の日々

年末といえば私の誕生日…ではなく、帰省です。
YES。帰省isチャンスfor秋田cheers。

そうなのです。東京と北海道でバラバラな私たちが、地元に集合できるのです。あんたら付き合ってるの?と言われるほど、毎日会いました。

この1週間の帰省でしなくてはいけなかったのが、次の3つのことでした。


① お菓子会社5社へのご挨拶

お菓子会社へのご挨拶は、本当に緊張しました。人生初の商談というやつで、緊張して胃が小さくなってしまうかと思いました。拙い企画書を用意して、人生で初めて名刺も作って、何度も説明を練習して。早起きして電車を乗り継いで(秋田広い)、多くの時間と、大学生にしては高額な交通費をかけて各社にご挨拶にいきました。

私たちは運良く、それぞれの社長にあたる方と直接お話させていただくことができました。


あのとき感じたことは、今でもはっきりと覚えています。

優しさのなかにある、ビジネスの厳しさ。
どの会社も商品を愛していて、秋田を愛している。

経営を担うという覚悟を持ったこの方々が、作られてきた商品が、これまで秋田にどれほど貢献されてきたのか。のらりくらりと生きてきた自分には到底計り知れない、気が遠くなるようなことをたくさん考えました。

ちなみに、バスを外で待っている間、超寒かったです。「ペーパードライバーの叫び」という歌ができそうなくらい、寒かったです。



②お菓子パッケージ決定

これには、本当に悩まされました。

最初はしっかりとしたパッケージを発注しようと思っていたのですが、ここで初めて「ロット」という恐ろしい言葉を知りました。
1つのデザインを発注するには、最小個数があります。それを最小ロット数というのですが、数十個だと1個あたりの単価がかなり高くなってしまいます。そして、パッケージ費を抑えられるだいたいの目安の単位が1000個〜でした。
1個あたりにかけられるパッケージ費は抑えたいけど、私たちが売るのは4日間。売られるのは長くても1日8時間。ということは、1時間あたりに何個売れなくてはいけないの…?

ここで1000個に挑戦することも、もしかしたらできたかもしれません。でも、そうなるとお菓子を1000個買い取らなくてはいけません。頑張る、頑張る、なにが何でも頑張る。それでも、売りきれなかったらそのお金はどこから出せばよいのか。

親には秘密にしようね、と2人で学生ローンなどを調べましたが、調べれば調べるほどにやっぱりこわくなり、挑戦することができませんでした。そして、パッケージを手作りすることになります。

短い帰省のなかで、何個も箱のサンプルを発注し、あーでもないこーでもないと試行錯誤。2人で決めるにも意見が割れ、第三者を挟んだらさらに意見が割れます。どんどんカオスになり、自宅は画用紙やリボン、印刷物だらけになり。毎日わちゃわちゃと作業して家族には大変な迷惑をかけましたが、それでもなんとか決めることができました。



③クラウドファンディング

急いでパッケージなどのビジュアルを決めた理由がこれでした。
今でこそ有名なクラウドファンディングという仕組みですが、当時無知だった私たちには「なんだそりゃ?」という存在でした。ただ、なにやら事業に対してお金を投資してもらえる仕組みがあるらしいということを、たまたま地元新聞の広告で知っていました。

クラウドファンディングにもたくさんの種類があって困惑しましたが、どうやら成功額の何%かのマージンと呼ばれる仲介手数料を、運営会社に払わなくてはいけないらしいことを知りました。
「どうせお金を落とすなら、地元の会社が良いよね。」
そんな理由で、私たちが選んだのは秋田魁新報社が運営する「FAN AKITA」というものでした。マージンは25%、成功しないと全額返金。自分たちのやりたいことを発表して、共感いただいた方に出資してもらうという、人生初の経験でした。

このとき、リターンの設計や文章など、本当になにもわかっていませんでした。ただただ、お菓子会社への振込の日から逆算して、クラウドファンディング発表の日を決め、その納期に向かって急いですべてを決めることになります。私たちが「なんだか申し訳ないし、集まらないだろう。でも、これくらいなら…」と設定したのが、10万円という額でした。担当者の方には本当にお世話になりました。

ちなみに、この10万円。貧乏女子大生2人にはとても重い額でしたが、後になって計算するとまったく足りないことが発覚して大慌てすることになります。クラウドファンディングをする方は、そもそもの事業に必要な額ももちろんですが、リターンにかける額、おおよその人数、その送料も入念に計算した上で募集することをおすすめします。私たちは、、赤字でした。笑

ちなみに、この文面だけを見ると「担当者はなにやっとるんじゃ?インドダンスでも踊ってたんか?」とお思いになる方がいらっしゃるかもしれませんが、そんなことはありません。すべては私たちがしっかりと計画・計算できなかったことで起こったミスです。担当の方には大変お世話になりました。きっと日本語の通じない2人で手を焼かれたと思います。モンキーかなにかと喋っている気持ちにさせてしまったかもしれません。そんなモンキーズにも真摯にご対応いただき、感謝してもしきれません。


このころ、FAN AKITAつながりで新聞にも何回か載せていただいていました。危うく二重あごが写ってしまいそうなほど大きく載せていただきました。また、この帰省中にご依頼いただいてラジオ番組にも出させてもらいました。人生初のラジオ番組出演で、とってもドキドキわくわくでした。


そんなふうにメディアに登場していると、地元に根づいた発信媒体であるということや年末で帰省中の方々が見やすいタイミングだったこともあったのか、たくさんの知り合いから応援の連絡をいただけました。
家族はもちろん、親戚、母校の先生方、地域の知り合いにまで「応援してるよ」と言っていただけました。
友人には、「自分も実は秋田のために何かしたいと思っていたけど、今まで何もできなかった。なにか協力できないか」という旨の連絡をいただけました。すごく嬉しかったです。死ぬほど嬉しかったです。


人前に出る機会が多くなるに連れて、「就活のためにやってるよね」とか、「さほどかわいくないのにアイドルぶってるよね」とか、「意識高いね〜」という嘲笑のような言葉とか、色々な声をいただくことも多くなっていきました。
気にしない気にしない、聞こえない聞こえない…と思う反面、いちいち傷ついたり落ち込んだりしていました。だって、女の子だモンっ。
だからこそ、純粋に応援していただけることがとても救いになりました。苦しいときは、「戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう」という中島みゆきさんの曲中の歌詞で自分たちを鼓舞していました。シブいです。

そんなこんなで、いよいよクラウドファンディングが始まりました。


始まる前日は緊張して緊張して眠れなかったです。集まらなかったら、協力していただいた企業や応援していただいている方々にどんな顔を見せればいいのだろうかと不安でした。


しかし、いざ当日になってみると、私たちが設定した10万円は、数時間で到達していました。



たった10万円かもしれないけれど、とてもとても重みのある10万円でした。出資してくださった方々の名前や寄せられたメッセージを見て、成功もしてないくせにまだ泣くのは早いよねと笑いつつ、泣きました。

達成後にもご支援いただき、結果的に総勢51人のみなさまにご協力していただきました。


プロジェクト中は本当にたくさんの方々に支えられました。
中でも家族にはすごく救われました。家族からするとただただ何をしているかわからず、怪しい動きをしていたと思うけれど、私が起きる時間に合わせて朝ごはんを作ってくれて、夜も暖房つけてくれたり、友人と2人でドタバタと騒いでいるときにも昼食やお菓子などを持ってきてくれたり、雪道のなか駅まで送り迎えをしてくれたり。絶対的な味方でいてくれることにどんなに救われたかわかりません。ありがとう。

画像1

(鍵付きアカウントでの投稿)



たくさんの方々の思いをのせて、いよいよバレンタイン企画通称バレPができることになりました。





※備忘録で詳細に書こうと思ったら、暇が功を奏して想像以上に長くなりすぎたので、分けることにしました。笑
ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます!スキです。


つづき

秋田cheersだった②


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