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そっと きゅっと。

この記事のタイトルが決まらず、大好きなSMAPの曲を聴いていたら『そっと きゅっと』で泣いてしまったので今回はそのままタイトルに使わせて頂くことにします。

―本文ここから(※重いです注意)―

2020年6月19日。
約14年半お付き合いしている彼氏が亡くなりました。

倒れたのは6月6日。
緊急事態宣言中の後半はお互い外出を控えており会えていなかったのでこの日は1か月ちょっと?(1ヶ月半?)ぶりくらいに会えるはずでした。

大きな施設の人目に付く場所。
私が来た時には救急車が到着しており、救急隊が心臓マッサージをしているところでした(AEDも使おうとしていたみたいですが心室細動ではなかったので必要なかったようです)。
目の前で何が起こっているのかすぐには理解できず、頭は真っ白。
誰が発したのかわからない「心停止!」の声はやたらと遠くに聞こえ、所持品から身分証を確認している様子は違う世界の出来事のように映っていました。
震えが止まらなかったことだけは鮮明に覚えています。

新型コロナウイルスの影響もあり、付き添い者であっても容体はおろか搬送先さえもわからず、戸籍上繋がりの無い私のところには病院や警察から連絡がくることもないので無事であることも含め、血縁者の方からご連絡を頂けることを祈るしかありませんでした。
時間があっただけに昼も夜もすぐに考え込んでしまい、何度も何度も最悪の事態を想定しては不安に押し潰されそうになり打ち消すことを繰り返し、眠れない日が続きました。

ご家族(彼は一人暮らしでしたがご兄弟がいらっしゃることは聞いていました)からご連絡を頂いたのは倒れた日から3日後。
伺ったお話によると救急搬送後、病院に着くまで心臓の動きが戻らず、脳の細胞が大きなダメージを受け(低酸素による不可逆的な状態)一命はとりとめたものの意識が戻ることはないと。
私も過去に救命講習を受けて得ていた知識と当日の現場の状況からそうなることもある程度覚悟はしていたので、聞いたときは「ああ…やっぱりそうか…」と思いました。
ICUから一般病棟に移るのでいますぐどうこうということはないですがあとは本人の生命力次第です、と聞き、心を決めなくてはいけなくなりました。

コロナ禍で病院の面会も厳しく制限されており、基本行くことはできない状態でしたが、容体が容体でもあるので会いに来てもらって大丈夫だそうです、とご家族からご伝言頂き、ありがたいことに何度か面会に行くことができました。
面会といっても意識はないし戻ることもないのでただただ点滴と人工呼吸器に繋がれている状態の彼の手を握り話しかけるだけでしたが…。
それでも倒れた日にそのまま…という可能性もあっただけに、生きている顔を見られるということは何よりも安心できることではありました。
彼の身の回りのお世話をしてくださっていた(意識がないので床擦れ防止から下のお世話までありとあらゆること)担当看護師さんにも親切にして頂き、メンタル面も救われました。

心肺停止⇒蘇生後の経過は残念ながら良くないようで(酸素が回らない状態が長時間続くんだからそりゃあ臓器もダメージ受けるよなぁ…)調べまくった情報を頭に入れ、おそらく2週間から1か月くらいだろうと考えて心の準備をしていた約2週間後の6月19日。
ご家族に見守られ(連絡を受けご家族が病院に着いた時には心臓は止まっていたそうですが人工呼吸器を繋いで待っていてくださったそうです)、彼は旅立っていきました。
私は看取ることはできませんでしたが(それでも亡くなった連絡を受けてからすぐに病院には駆けつけさせて頂きました)寂しがり屋の彼のこと、最期を迎える瞬間にひとりだったらツライな…と思っていたのでそうじゃなくてよかったな、とほっとしました。

家族葬で行うことになっていた葬儀にもご厚意で参列させて頂き、棺をしめる前のお別れの時にもご参列の皆様が見守る中ふたりの時間を頂き(葬儀屋さんに「触ってもいいですよ」とお声掛け頂いて額を触ったら涙が止まらなくなってしまいました…私が棺から離れるまでお待たせしてしまってすみません、ありがとうございます)、収骨の際も近くにいさせて頂き、ご親族の方々も含めた皆様のお心遣いに本当に感謝しています。ありがとうございます。

病院の診断書は【低酸素脳症】でしたが(救急搬送後の処置からするとその診断になるということなのだと思います)見た目だけでも腹水、むくみ、黄疸の症状があったので、おそらく肝臓が悪くなっていたことが倒れる原因に繋がったのではないかと(本当のことはわからないので推測するしかできないのですが)。
お酒が大好きで病院が嫌いで
「お酒が呑めなくなるくらいならそのまま死んだ方がいい」と
言っていたようなひとで(頑固な面があり私が体調を心配しても聞く耳を持たなかったりしたので)本当にその通りになってしまったのである意味、自分の好きなように生きたひとなのかもしれません。
それでも残された側からしたらさすがに早過ぎるんじゃないかなぁ、としか言えませんが…。
幸せな人生であったのであれば良いな…と思うばかりです。

本当はもっと早く書き記しておきたかったのですが、14年半(お付き合いする前からも数えるとトータル22年ほど)という長い月日を共に過ごしたこともありなかなか気持ちの整理がつかず、そのまま四十九日が過ぎ、お盆も終わり、2ヶ月経ってようやくこうして文章にすることができました。

普段言葉にすることはなかったし、もうなんか笑えるくらいふたりの写真もないけれど(旅行の写真は食べ物か景色という…)、彼と出逢えて私は本当に幸せでした。
いつでも「好きなこと(やりたいこと)やりなよ」と背中を押して応援してくれていたからこそ、様々なことに伸び伸びと挑戦し続けることができました。ありがとう。
輪廻転生を信じているので、さよならは言いません。再び出逢える日まで、またね。

倒れてから亡くなるまでの間にもたくさんたくさん、いろいろと考えたことがあるのでこちらもまた改めて書き記せていけたらな…もしよろしければお付き合いください。

重めの話を最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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