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いじめを解決した、小学生のクラスの話

Twitterで話題になっている芸人のいじりや、その先にあるいじめや、いじめに加担する人や、傍観者の話から、とある、小学校の高学年の男の子が、クラスメイトといじめを解決した話を思い出したので書いてみることにします。

クラスは、いくつかのグループに分かれていて、休み時間には、個々のグループで過ごしている、どこにでもある小学校の風景です。

ところが、ひとつのグループの中で、一人をターゲットにした、いじりがはじまり、いじられている男の子は、対応に苦戦しては、また笑われる、無理強いされるといった状況でした。

日に日にエスカレートしていく様子に、目が離せなくなり、同じように気にしている人はいないかと周りを見渡してみたら、そわそわしている様子の女の子がいました。「あれ、どう思う?」と尋ねると、「いじめだと思う」とはっきりと答えてくれたことから、どうしたら「いじめをやめさせられるか」を、男の子は考えるようになります。

「担任に相談しても、小学生なんて、その場で握手させて終わりにされる。それが、後々どうなるかは、自分の役目を果たしたと思っている担任より、当事者の方が分かっている。担任に話したことを、「チクられた」と言われたり、いじめは誰にもバレないように隠れたところでされるようになる。そうなったら、もっと厄介だ。だからといって、自分のグループで注意でもしたら、口喧嘩になってしまい、いじめをやめさせたいという本来の目的から外れていく」(というような悩みを、小学生の言葉で、男の子のお母さんは相談されたそうです)

そこで、自分のグループや女の子に相談し、クラス内で、いじめをやめさせたいと思っている人を探し、協力を求めることにします。自分たちで解決することにしたのです。これまで余り話していなかった人も、いじめに気づいていた人は、協力者になってくれたそうです。

作戦はこうです!いじりがはじまった瞬間に、その場にいた協力者で駆けつけ、「それは、いじめだと思う。こちらの人数は多いから、場所を変えても必ず見つける。いじめはやめて欲しい」と『宣言』する!これを、いじめが無くなるまで繰り返す。

そのタイミングはすぐにやってきました。そして、いじられてる男の子に、「嫌なら嫌って言うこと。言えるのが友達」「楽しそうな笑いには思えなかった」と伝えた人もいたようです。発言が多い人が次の標的になるから、なるべく皆で発言しよう、喧嘩にならないように注意しようと決めておいたらしいです。そして、いじめっ子やいじめられっ子のレッテルも貼らないことを。

これを聞き、褒めた私に、男の子は、「いじめを無くすことを勇気があるとか特別扱いする大人も間違っている」と言いました。大人はいつも矛盾している、子供に、いじめは悪いことだ、やってはいけない言うのなら、何故、無いことを当たり前として語らないのか?と、小学生の言葉で聞いてきました。

勇気がないとできない、特別なことだと感じた理由を自問自答してみれば、自分が諦め、その場をやり過ごしてきたことが何度も何度もあることに気づきました。「嫌だ」と言えない自分が悪いのでしょうか?それとも、環境が立ち場がそうさせるのでしょうか?甘んじて受け入れた方が、何かを守れるのでしょうか?それに付け込まれているのでしょうか?

また、いじめる側に回れば、いじめる側に加担すれば、傍観者に回れば、自分は守られ傷付かなくて済む。罪悪感を持たないためには、いじられて上手く返せない方が悪い、今はそういう場だから空気を読んで振る舞えない奴が悪い、お前が悪いんだから、こちらから何を言っても構わないだろう、こちらから何をしてもいいだろうと、自分を思い込ませればいい。

そうした人々に、何故、「嫌だ」と言えないのでしょうか?こちらが一人で、向こうが大勢だから?むこうに地位があって、こちらにないから?むこうは何かに守られていて、こちらにはそれがないから?そんなことが理由にもならないことを、子供の方が知っていて、「嫌って言ったらいいよ」って、当たり前のようにアドバイスしてくれるかもしれませんね。

子供たちから学ぶとしたら、『周りが声を上げることの大切さ』なのかなと思います。それこそ空気を読んで、いじりやいじめの空気を、大人の対応で遮断できる人が大勢いたらいいですよね。

すっかり成長した男の子に聞いてみたら、「そんなことあったかな?いじめなんてなくて当たり前なんだから、わざわざ思い出さなくていいんじゃない?」と言われたとか、言われなかったとか。

松本寛子



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