贅沢なガラクタの四畳半で夜に溶ける。
私たちには、色を識別する能力が付与されている。
なんでだろう。
なんで、色の識別ができるんだろう。
もっともっと、この世界を創造するときに、ごちゃごちゃさせずにシンプルに作れたはずだ。
色という概念を、
生まずに成り立つ世界はあったはず。
でも、
空は青いし、海はもっと青いし、
水は色がないから、つまり全色だ。
この文章を文字で読む私たちには、
毎瞬反射で変わる水の色の微細な変化までも見分けることができてしまう。
この世界は、
合理的に創造することが最も求められていたならば、あまりにも無駄で氾濫している。
無駄への嫌悪と愛着を
同居させながら、
突き詰めれば非合理に見えて
もっと突き詰めれば、それまで全てまとめて合理的な気がするこの世界。
全て無駄だから全て無駄じゃないこの世界で
昨日も今日も世界平和を探している私たち。
非合理な不協和音に潰されないように
鈍感というギフトを授かって。
それでも、感じたくてしょうがなくて
「普通なんで。」という絆創膏を大切にしながら、
色を識別できてしまう残酷さから逃れられない。
そんな人間がつくった、
美しくて汚くて、どうしても不完全で、愛おしい、
ガラクタが
大好きだ。
世界がガラクタで溢れているから、
私だって生まれたと思う。
寝にゆく自分が、
完全な自分を奥にしまって今日も不完全でいてくれて、それが愛おしい。
どんな場所で寝てもいいのに、
あえてこの四畳半に寝る私の小さな想像力が今日を溶かして明日という今をつくる。
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