満月のFREEKIRTAN

先月28日 満月の晩にMANOSでキールタンを久しぶりに開きました。今回の西日本を襲った豪雨で大変な状況に迫られた人たち。被災した人を取り巻く様々な場面を目にする度、そして、それ以外にも時々感じる地球のこの先について。何とも言えない気持ちで悶々としながら、ある朝、暗い気分でなかなか弾こうとしていなかったギターを久しぶりに手にとりました。ポロンポロンと爪弾きながら、なんとなく鼻歌まじりにmantraを唱えていた時、わりとシンプルな事を忘れていた事に気がつきました。「祈り」はシンプルですが、とてもパワフル。

私たちはいつでも、どこでも「祈る」ことができます。

キールタンを私が時々シェアしているのは、とてもシンプルだから。ただ、「祈り」のことばを声にして、唱えるだけ。伴奏があるから音楽的な要素も入って、修行のような詠唱とは違って楽しさが加わる。そこに唄の上手い下手はなく、楽器の上手下手もなく、みんなで声を響かせて、単純なコード進行に合わせて、ただただ短いサンスクリットのフレーズを何度も何度も繰り返す。そうしている内に、どんどん「今ここにいる」という自分と空間が一体になる。何故だか分からないけど、涙が溢れ、言葉にならない胸いっぱいに湧き上がるものをただ体感する。

私たちはそんな「瞬間」を生きている時間の一体どれほど味わっているんだろう?

aloha💛