葉っぱ

#44 好きなことば、書き続けている理由

短いことばに、ハッとする瞬間が好きだ。
長い間こころの中でじっと時を待っていたような感情に、輪郭をつけてくれることば。

ことばを声に出してみる。音が引き金となって、感情がじわりと滲み出てくる。記憶と結びついていくのを待ってから、もう一度読む。
すると、私なりの物語が生まれてくるのだ。

それは、広告コピーであったり、Twitterに流れる誰かの一言だったり、小説の一文だったりする。日々、様々なかたちで出会う。

出会えたことが嬉しい。
誰かに伝えたくなって、Tweetしてみたり、LINEしてみたり、友達に喋ってみたりする。やりとりが生まれて、ことばの意味が深まる。
こころの中で大事に残る。

ここ最近、朝日新聞朝刊の一面「折々のことば」に、ハッとさせられることが多い。だから、誰かと共有したくなった。

ハッとした「折々のことば」について、書いてみることにした。
良かったら、こちらから。


実家では、朝日新聞を購読している。
小学生の頃は、天声人語を毎日読んでいた。とても面白くて好きだった塾の国語の先生が、「世界が広がるよ」と言ったからだった。

中学高校では、新聞なんて興味がなくて、大学生の頃はネットニュースが流行りだして、読まなかった。社会人で実家を出たから、さらに遠ざかった。

ある日、石田ひかりさんのinstagramで「折々のことば」の記事を読んだ。
ハッとした。
日々感じている少しの違和感やしんどさ、歓びや希望が書かれていた。紹介されていることばが、鷲田清一さんの解釈と物語によって、時に身近に引き寄せ、時に遠くに連れて行ってくれる。

ショートトリップ。面白くて、愉しい。

2年半前に実家へ帰ってきてからは、仕事から帰ってご飯を食べながら「折々のことば」を読むのが、ささやかな楽しみになっていた。

約1ヶ月、ほぼ毎日noteを書いている。なぜ書き続けているのだろうと考えてみた。

一つは、楽しいから
考えていることを文章としてアウトプットして見ることで、心を観察している感じがする。読み返すたびに新しい発見があるから楽しい。そのとき感じた想いを、ことばにする練習でもある。誰かから見た「私」を教えてもらうチャンスを増やすために、続けていきたい。

もう一つは、好きだな、素敵だなと思うことを共有したいから
ハッとしたことば、素敵なお店や景色、愛がつまったプロダクト。それを自分のスマホの中にだけ留めておくのは、心底もったいないと思った。たったひとりでも誰かに届いたら、その人の「好き」になるかもしれない。そうすれば、いっしょにそれを楽しむことができる。自分だけで楽しむより、ずっと心がホクホクするから。

今回、「折々のことば」に想うことを書いてみるのも、この二つの理由からだ。

「折々のことば、やっぱり好きなんです。」このあいだ、ある人と書くことについて話をしている中で、気づいたら口にしていた。
やっぱり好きだから、書いてみます。
ことばを求めている人に、届いたらいいなあ。

photo by ui
葉っぱが似合うと言ってくれた彼女の撮った素敵な葉っぱの写真を、カバー画像で使わせてもらうことにした。「ことば」という葉の重なりに、出会いや気づきが咲いている一枚。

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