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#43 やっていなかったことは諦めていたことではない

失敗が失敗となるのは、「諦めた瞬間」だという。「諦める」とは、どうすることを指すのだろう。
途中で辞めること? 目標やゴールに達することができないと決めること?

あきら‐める
1.【諦める】 《下一他》とても見込みがない、しかたがないと思い切る。断念する。 「夢を―な」
2.【明らめる】 《下一他》事情・理由をはっきり見定める。

「断念すること」であり、「明らかにすること」でもあるのか。

先日、ふと思いたって花火大会を観に行けたことをきっかけに、有給休暇に入って気づいた変化をnoteに書いた。
今の日常は、働いているときには無意識に諦めていたことだと思っていたが、そうではないかもしれない。過去には大事だと思っていなかっただけ、優先したいことが確かに他にあっただけだと思う。

「諦める」に「明らかにする」という意味が含まれているように、決められるだけの条件を出して、進むか進まないかを決める。その際に、進まないことを選んで初めて「諦める」ということなのではないか。
やっていなかったことを「諦めていたこと」だとするのは、過去の自分に失礼だと思った。

今やりたいのであれば、やり始めれば良いだけなのだ。

昨日、大学時代の友人に卒業ぶりくらいに二人で話をした。働くことや、恋愛・結婚に対する考えを言葉にしてみると、お互いに想像と違った部分があった。相違の内容は、数年の体験による変化でもあり、自身の想いに気づいたからでもあったのだけれど、過去の自分との比較によって今を確かめられた時間になって、有意義だったなあと感じた。
今後、挑戦することがはっきりした。それは、今まで選んでこなかった選択だったし、「諦めた」気がしていた道だったけれど、そうではないと分かったのだ。

諦めていたことを始めるのは、パワーが必要なイメージがある。
大概のことは、そのときもっと優先したい何かがあっただけで、「諦める」というほどの決断をしていないのではないだろうか。

だから、今の気持ちを紐解いてそれだ!と思えば、今から始めればいいし、そこに行けばいいのだ。

明日は、五山の送り火。
いつからか儀式のように、必ず観ることにしている。誰かと観に行くことは「諦めた」(だから、誰も誘わなかった)が、観に行くことは「諦めない」。うーん、ちょっと違うかなあ。


★ 有給休暇中に気づいたことを書いたnoteです。よかったら。

photo by 写ルンです│
ツバメには「諦める」という概念がないような気がするのは、何故だろう。諦めない人は強いというイメージを持っているのも、何故だろう。

サポートいただき、ありがとうございます! 有料noteを読んで、学びにして、また書きたいと思っています。