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お着物1年生が考える、織物とパートナーシップ

着物(織物)とパートナーシップを考えるよ!

みなさんこんにちは、立ち上がる母さんです。

私はお着物1年生。着付けを習ったり、リサイクルの着物を買ったりすることを始めて、もうすぐ丸1年。
着物の世界は奥深くて、まだまだできないことや分からないことがいっぱいありますが、着物を着るのはとっても楽しいです!
今回は、お着物1年生のワーキングマザーが着物を愛でながら考えた、「パートナーシップのモヤモヤ」をお話します!

人生で2度着物に惹かれる?女性のライフサイクルと着物熱の波

私と周囲を見ていると、着物熱は女性の人生で波が2つあるように思います。そう、007は2度死にますが、女の着物熱は2度来るんです!

着物熱 第1波 社会人数年目の20代の半ば頃

自由に使えるお金ができ、少し仕事にも慣れ、休日やアフターファイブを充実させたいと思うお年頃ですよね。
着物に限らず、仕事以外の趣味や学びを考え始める時。
実は私もこの時期に、無料の着付け教室に通ったり、フリマサイトで何も分からないまま着物を眺めたり買ったりする時期がありました。

「日常生活に仕事以外の刺激を持ちたい」と思うのは、社会人数年目あるある!着物の道に足を踏み入れる人もいれば、資金や時間などの関係で「憧れで終わってしまう」人も多いのがこの第1波です。

というのも、その後の20代後半〜30代は、少しずつ大きな仕事を任せられたり、結婚・出産といった人生のビッグウェーブを迎えることに伴って、いつのまにか着物熱がどこかに飛んでいってしまうことも多いんです。

画像:なのなのな

着物熱 第2波 アラフォー以降

社会人は場数を踏んで経験値を上げ、子育てをする人は乳幼児の阿鼻叫喚期を脱し始めるのがこの時期。
数年ぶりに手にしたわずかな自分の時間を使って、再びなにかにチャレンジしたくなるお年頃。
つかみ食べでベタベタの手で抱っこをせがまれることが少なくなると、着物熱の第1波に今ひとつ乗れなかった人たちが、再び着物を目指し出す…これは必然なのかもしれません。

現代のアラフォー女性が着物に惹かれる理由とは!?

着物って、着る前の準備・着付け・着ている途中・脱いだ後、とゆとりと時間が必要なんです。社会人として家庭人として、多忙を極める現代女性が、そんな着物に惹かれるのは、なにゆえでありましょう?
時間と情報に圧倒される現代人にとって、着物は格好の癒やしアイテム!だと私は思います。
現代の日本女性は求められる役割が多すぎて、日々時間に追われ、朝から晩まで1年中マルチタスク&倍速生活になりがち。私はひとり親になってからタスクが更に増え、日々の行動速度が指数関数のごとく高速化しました…。
そんな日常から離れ、絹という心地よい素材に体を包んで、強制的にゆったりとした時間を過ごせるアイテム、それが着物。
美肌効果が謳われる絹の質感に包まれる、肌感覚の心地よさ。裾がつぼまり長い袂を持つ形状の着物は、駅の階段を一段抜かしで駆け上がったり、自転車をかっ飛ばして目的地に急いだり、大きなトートバッグにしこたま荷物を詰め込んで移動したり、ということにはまったく向いていません。荷物は手に持てる範囲(→身軽)、小股でゆっくり(→急がない)という着物スタイルは、強制的に忙しさ(忙しいとは心を亡くすと書きます 金八先生風)から脱却する現代の癒やし、着物セラピーともいえましょう。こうした効果が最大の魅力なのでは?と私は思います。

着物 特に大島紬 のここが好き!


リサイクルの大島紬 焦げ茶に2種の蔦模様

私は、大島紬に代表される、絹のつやっとした質感の織物が大好きです。
近代の女流作家、幸田文は着物好きだったことで有名ですが、彼女の随筆の中に、着物の質感を「すぺっとした」と表現しているところがあります。
すぺっとした」…その言葉がぴったりの、ひんやりとしてなめらかな手触りと、「つやつや」だけどギラギラではない、奥ゆかしい光沢感。
それに包まれて過ごすことができるのが、着物。あぁ、ラグジュアリーなローブである着物って実にファビュラス!!(叶姉妹風)

接写 タテ糸一本、ヨコ糸2本で、Tの字のような絣模様が特徴の片ス式

大島紬の製法についてはこちらのサイトがとても詳しいのでオススメです↓

一般的に着物の生地は「染め」と「織り」の2つに分けられます。「染め」の面白さが描かれる図柄(意匠)であるのに対して、「織り=織物」の面白さは生地。多様な質感を作ったり、繊細かつ豪華に図柄を作り出したりすることができます。
私の好きな大島紬の他にも、佐賀錦、西陣織など全国に特徴豊かな織物の産地があります。佐賀錦や西陣織は、リサイクルでも私のお小遣いで買える代物ではありませんが(お金持ちになりたい…)、布の宝石と称されるような豪華な織物は、見ているだけで贅沢な気持ちになれます。海外では美術品としても評価が高いんですよ!

ところで、着物第2波は、パートナーシップ問題を抱えたままの人がわんさかいる

着物から日常生活に目を戻すと、着物に惹かれる第1波と第2波の間に、結婚・出産・子育てといった人生のビッグウェーブが女性のライフサイクルに登場します。それらは、女性の人生を大きく変化させ、時に命がけ、時に転覆の危機すらある、大きな波。
押し寄せるそれら大イベントの、全てに多かれ少なかれ関係するのがパートナーシップ問題であると思います。
手を取り合い、「病める時も、健やかなる時も、協力して人生の波を乗り越えていきます」と誓ったはずの愛するパートナーが、いつのまにか闘う相手、乗り越えるべき障壁になっていた…なんてことも多いはず。

画像:くろすまる

かくいう私も15年の結婚生活の後、子ども2人を連れてパートナーシップの解消を選んだ人です。※わが家の場合はモラハラ気味な夫婦のコミュニケーション途絶が原因でした

着物(織物)と縁が深いあの名曲、「糸」にモヤモヤする~~~~!!

パートナーシップの門出を公に宣言する「結婚披露宴」で、長く歌われている曲と聞いて、みなさんはどの歌を思い浮かべますか?

画像:なのなのな

私の脳裏に浮かんで離れないのが、ド定番の名曲。
 中島みゆきの「糸」 です。
実は私、ずっと「糸」の歌詞にモヤモヤしていました。着物を着るようになり、着物の素材を調べたりするうちに、そのモヤモヤをさらに深掘りしたくなった、というのがこのnoteを書くきっかけなんです。
そのモヤモヤとは??
「糸」の曲のサビ部分に、

経の糸はあなた 横の糸はわたし

中島みゆき「糸」

というキーワードがありますよね。

この部分に、どうしても違和感を覚えずにいられないのです。
ズバリ。
「経の糸はあなた」でいいの?経の糸こそ「わたし」では???
というモヤモヤです。

このモヤモヤをお着物1年生、織物大好きな私が、織物のしくみを説明しながらお話しましょう!

織物のしくみは、経の糸が「主」、横の糸が「従」

織物、編み物、不織布など、布は構成する糸の集まり方で種類が決まります。中島みゆきの「糸」の歌詞に「織りなす布は」という言葉があるので、この歌で想定されるのは「織物」で間違いないでしょう。
(参考:トヨタ産業技術記念館 モノづくりQ&A https://www.tcmit.org/reading/kids/fiber05-a/

織物は平行に並べた「経の糸(縦糸)」に直角に「横の糸」を組み合わせて平面に作る布のことで、このしくみは世界的にもほぼ同じなのだそうです。(参考:藤岡糊付所)

ここからは、ハンドクラフト界のレジェンド!?懐かしのおもちゃ「おりひめ」(80年代90年代に小学生だったみなさん、覚えてますか?)を使いながら織物とパートナーシップについてご説明します!

ヤフオク!でゲットしたわが家の「おりひめ」で実演!

https://room.rakuten.co.jp/room_79d47929c6/1700177801930186 
↑ちなみに現在入手できる織物のおもちゃはタカラトミーの「オリーナ」です

「糸」のパートナーシップ観は、前時代的!?

「経の糸」はなぜ「私」ではないのかという疑問

夫婦のパートナーシップは「自律した大人同士が協力し合って作り上げる関係性」だと私は思っています。そこで、男女を問わず、「私」という主体は「経の糸」なんじゃないか、どうして中島みゆきは「私」を「横の糸」になぞらえているんだろうか。そこに何らかの意図が(糸だけに・・・w)あるんじゃないか?とずっと疑問でした。
織物のしくみを調べても「経の糸」は私なのでは?と思わずにはいられないのです。

前時代的性役割を彷彿とさせる「横の糸」の危うさ

織物は、織り機に最初に「経の糸」がしっかりと張られ、土台となります。
「横の糸」は、あらかじめ張られた「経の糸」に対して、左右に往復して走ります。
「経の糸」同士は平行に並び、互いに関連しないのです。それを、「横の糸」が繋ぎ、織りなすことで、面としての布に仕上げる。未完成な「あなた(男性)=経の糸」を、「横の糸=わたし(女性)」が走り繋ぐことで布として成立させる、という構造は、前時代的性役割を彷彿とさせませんか。

また、織物の「主」である「経の糸」は、最初に織機に張り(整経)固定されるため、途中で足したり切ったりという変更が難しいのです。一方、「横の糸」は糸を継ぎ足したり、替えたりと、自由度が高い。男性の人生は柔軟性に欠け、女性のライフキャリアは変化に富んでいると考えると、中島みゆきが「経の糸」と「横の糸」のそれぞれを男・女になぞらえるのは、社会的実状を表したものだと思います。
「横の糸」は簡単に別の糸に繋ぎ替えることができ、それは柄や風合いとして織物の価値を高めます。
でも…私が「横の糸」である前提での「パートナーシップ」として考えると、異なる横の糸の存在は、面白みでは片付けられない重要な懸念、紛争の種になったりするのでは?と私は心配してしまうのです。

「私」である横の糸は、「あなた」である経の糸に織り込まれる、ほんのひと時のアバンチュールかもしれない…

身も蓋もない話ではありますが、
パートナーシップを誓った愛する人が「織りなす布」の前半部分に登場する横の糸の「私」が
       ↓
最初はコンスタントにしっかりと織り込まれるものの…
       ↓
そのうち漆黒の艶っとした、いかにも高級そうで良い香りのする「横の糸」が交じるようになり…
       ↓
その艶っとした糸がやけに頻度高く織り込まれるなと思っていたら…
       ↓
突然私である「横の糸」が切られ、別の横の糸(それも艶っとした糸ではなく、私が思うに「なぜその糸がよいのか分からない」と首をひねるような…以下略)に繋がれた日には、
たまったもんじゃないよな〜、と思ってしまいます。

別の色糸に変えることで、横の縞(ボーダー)柄を出すことを「よこしま」というのは、布から来ているんだろうなぁと「おりひめ」を見つめながら思う私なのでした。

横糸をグラデーション毛糸にしてみました。時がたつにつれ、同じ人でも変化します
ビロードの質感を持つ艶っとした糸、登場!のデモ(DAISOで110円だった…)

織物の仕組みをふまえて、人生を「経の糸」と「横の糸」のパートナーシップとして考えると「主であるあなたに、(繋ぎ替えが容易な横の糸の)私が従として寄り添って、人生という布を作っていきましょう」と読めてしまうのです。
自分の人生の主体を〜他人に任せていいんか〜い! (せやろがいおじさん風)
お着物1年生で、自分軸手帳(https://jibunjiku-planner.com/)ユーザー2年の私がモヤモヤするのは、こうしたわけなんです。

パートナーシップを結ぶ2人の人生を「織りなす布=織物」として考えるならば、「私」という主体は織り上げる最後まで織り機に土台として張られる「経の糸」でありたい、と私は思います。
みなさんは、どう思われますか?

着物(織物)と、パートナーシップ問題を深掘りしてみる

織物は「経の糸」と「横の糸」が常に協働して、交錯することで初めて成り立つものです。つまり、互いのパートナーなしでは、織物=パートナーシップは生まれません。夫婦であっても人間関係において、価値観の違いをはじめとするトラブルはつきものです。
そこでトラブルの側面から織物的パートナーシップを考えてみましょう。

「織物的パートナーシップ」をリスクマネジメントの観点から考える

◯関係継続中のリスク「共倒れの危機」
家計面→どちらか一人だけが働いている、いわゆる大黒柱1本のパートナーシップは、病気や事故の際に経済的なリスクを受けやすくなります。共働きでも共同経営の場合は、何らかの理由で経営が悪化すると、共倒れの危機に遭いやすくなります。

子育て面→パートナーの二人が一枚岩のスタンスでいることはよい面がある一方、子どもは逃げ道がふさがれるために息苦しさを感じる、ということに繋がります。

◯解消時のリスク「複雑さと困難さ」
財産面→購入した不動産を共同持ち分にした場合や、住宅ローンをパートナーローンにする場合、パートナーシップ解消時に権利問題で揉めがちです。パートナーシップの解消を両者が望んでいたとしても、ローンの残債や持ち家の処分等の問題で、解消そのものを諦めざるを得ない場合もあると聞きます。

◯当事者以外によるパートナーシップ観の押しつけ
親族関係→当事者以外(特に姻族関係)から、心理的・物理的に密接なパートナーシップを期待される場合は、更に問題が複雑になりがちです。
「私の親は、あなたの親でもある」という考えは、介護などの際、心理的・物理的な高負担となります。「息子の嫁(娘の夫)は、息子(娘)の代替者(同義務)である」という当事者以外からの役割期待による葛藤は、超高齢社会の日本のあちこちで、今まさに起こっていること。
夫婦の「経の糸」「横の糸」だけでも、みっちり織り絡まると身動きが取れないのに、「実の親の糸」「義理の親の糸」「子の糸」などが絡んだ立体縫製になると、問題が3D化してさらに厄介になります。

余談 編み物と比べてみた

修復可能性
ほころびが生じた時、織物は糸同士がしっかりと絡んでいるため、糸でかがったり当て布をしたりして、修復がしやすいです。編み物は1本の糸で構成されているため、一目落とす(切れる)と数十段ほどけてしまう、という特徴もあります。人間は成長する生き物、パートナーシップは問題が発生するのが前提と考え、修復がしやすいのは、大事な視点です。
サステナビリティ
織物は、染め替えや仕立直しによって帯や羽織などに再生することができます。一方、編み物は、ほどいて1本の糸に戻ることができる可逆性があり、究極のサステナブルといえましょう。いずれにしても人間の一生はやり直しがきかないわけではありますが…。
編み物は「ソロ活動」
編み物は一本の糸を編み上げる、「ソロ活動」なので、サステナブルで素朴な味わいのよさがありますが、人生が単調になりやすいともいえそうです。

自分とパートナーシップを見直そう!

ここまで読んでくださったみなさん、長らく私のモヤモヤに付き合ってくださってありがとうございます!
中島みゆきが「糸」で表現する男女の関係にずっとモヤモヤしていた私ですが、最近は「『糸』を歓迎する人々の思考」に関心が移り始めています。
(パートナーシップに関する世代間意識がこれほど異なるにもかかわらず)この曲が「公式なパートナーシップの門出(結婚披露宴)」で新郎新婦に贈られる歌として、どうして幅広い層で支持されているんだろう、ということが気になって仕方ないんです。

「糸」に込められたひそかで巧妙な仕掛け

「糸」の歌詞を見てみましょう。

織りなす布は
いつか誰かを
暖めうるかもしれない
(中略)
織りなす布は
いつか誰かの
傷をかばうかもしれない

中島みゆき「糸」

サビで2回登場するこの部分は、どちらも文末が「かもしれない」となっています。
「かもしれない」は、断定はできないがその可能性がある、という意味です。

パートナーシップの行く末など、当事者だって、当事者以外だって、誰も分かるはずがない、と中島みゆきは表現したかったのだろうか。そう解釈したとき、
一見軽く、無責任にも思える「かもしれない」がどれほど重みを持っているか、私は驚き「中島みゆき…神!!」と叫んでしまいました。

1998年の楽曲リリースから、四半世紀近くにわたり、パートナーシップを公式に宣言した人々に贈られる歌であるという文化的現象…。
この大ヒットを作詞の時点で中島みゆきが想像していたかは分かりません。でも…

「パートナーシップは当事者のもの」という、「糸」に込められたエールを受け取ろう!

この歌が、上司・年長の親族・恩師といった「当事者にとって目上である人生の先輩=前時代的なパートナーシップ観を持ちがちな人たち」から訓示的に贈られているということ、これってすごく意味があることだと思うんです。

多くの関係者の前で、前時代的パートナーシップ観を贈る→受け取るという公式な合意の裏で、それらはすべて「かもしれない=その可能性があるにすぎない」ということを年長者に笑顔のまま宣言させるという超絶技巧
つまりこれは、パートナーシップを新たに結んだ二人への「あなたたちのパートナーシップは、当事者以外からとやかく言われるものではない」という中島みゆきからの巧妙なエールと考えることはできないでしょうか。

中島みゆきの真意は分かりませんが、世に神曲といわれる「糸」は、摩擦が起きがちな現代の「パートナーシップ」を当事者に考えさせ、異世代間で揉めがちなパートナーシップについて、円満合意を取り付けるという神業を成し遂げた、「現代の神曲 かみきょく であり しんきょく」といえましょう!。

私たちは中島みゆきの「糸」を通じて、「パートナーシップ」の有りようを考え、「糸」の歌を贈られることで、価値観の相違を乗り越えて、当事者以外から口出しされない免罪符を受け取ることができるんです。
TPP(環太平洋パートナーシップ協定)ならぬ、
パートナーシップ世代間不可侵条約 の調印なのであります。
恐るべし、中島みゆき!

【宣伝!】みゆきさんを《もっと》楽しみたいあなたに

  1. 中島みゆき「劇場版 ライヴ・ヒストリー 2」 
    2022年12月から全国ロードショー決定!!(中島みゆき公式サイト

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角川書店が2022年から刊行をスタートしている、代表的な近現代詩人の詩集シリーズに、中島みゆきがラインナップ入りしています!

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そして、私は週末に着物を着る


夕方から着始めて、近所のコーヒー屋さんに(自撮りなので左右反転してます汗)

私の着物の楽しみ方は実にゆるいものです。たいていは近所の美味しいコーヒー屋さんに娘と行くときに。ときどき美術館やイベントに。
夏の間は綿絽や有松絞りの浴衣で暑さをしのいできましたが、いよいよ単衣や袷の時期がやってきて、大好きな紬の「すぺっとした」肌触りが心地よい季節になりました。
着物は私の忙しい脳内の動きを、物理的に緩慢にしてくれます。そして着物は日頃左脳ばかり使っている私に「心地よさ」という感性を呼び戻してくれます。
これからも、着物仲間とゆるく繋がりながら、自らと関わる人とで織りなす関係性について考えていきたいと思う私です。

ではまた!


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