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下手くそが甲子園を目指した話 ①覚悟

この記事は、自分の高校野球の経験を物語風にまとめたものです。3本構成で1本あたり5分~10分で読めます。拙いですが読んでくれると有り難いです。
【目次】
①覚悟
②転機
③葛藤

【第一章 覚悟】

右投げ右打ち。身体はヒョロナガ。
ポジションは、小学校は捕手。中学から外野手に転向し、高校も同じ。
そもそもの野球のきっかけは、小学一年生から始めたソフトボール。気づいたらソフトボールの練習に参加していたという感じで、それまでの記憶は全然ない。親に聞いたら自分がやりたいと言ったらしい…

思い出すのは、練習にいくのが嫌で適当にやっていたということ。他の友達と遊んだり、ゲームしたりといったことに興味がいっていた。それなのに、リーグの選抜チームに選ばれ、全国大会に出場してしまった。

そしてそこでの選抜チームの半数で、近くの中学に進学することになった。そこから野球に対する情熱が少しずつ出てくる。自主練をしたり、野球の本を読んだり。チームに恵まれていたこともあり、県内で3位になることができた。

高校進学のきっかけは、この頃。その高校が甲子園で大活躍しているその姿を見て「すげーカッコいい!」と思った。おれもそうなりたいと自動的に思った。

そこから、何回も試合を見に行ったりするようになったりした。監督も厳しく、練習も相当大変だということは分かっていたが、やはりこの高校で頑張りたいという想いが強かった。

そして無事、受験を経て、そこそこ強豪とされる野球部の門を叩いた。憧れの高校。憧れのユニフォーム。そして憧れの監督との対面。

そこで集まった新入部員は33名。自分たちの青春はここからはじまった。


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試合を外から見ていたときにいたレギュラーの人たち、そして監督が近くにいる。ずーっと外から見ていた部活の一員になれたということもあり、最初は参加しているだけで、充実感や満足感を感じていた。
コーチも何人もいて、部員も多い。マネージャーもそこそこいる。
いかにも強い高校っぽい。

そうこうしているうちに、最初の夏の大会を迎えた。

応援スタンドで、皆で応援するのは楽しかった。

普段自分らを抑圧する監督やコーチがいないため、お祭り騒ぎでドンチャン騒ぎをやっていた。
まだ1年。
はじめての大会だということもあったし、まだ上手い下手関係なく、皆まだ同列で、気楽で楽しむことができた。
すると、あれよあれよのうちに、甲子園出場を果たしてしまった。

甲子園に出場を果たすと、学校中で注目されたり、市役所へ挨拶をしたり、たくさんのOBが集まったり、企業から野球用品をたくさんもらったりした。
部内の雰囲気もかなりよくて、普段とは違う空気に包まれて、その非日常な感じが楽しかった。

甲子園では、アルプス席で、慣れないテレビカメラを向けられて、挙動不審な顔つきをしながら、見事全国テレビデビューも果たした(笑)。

しかし、チームは初戦で敗退。

新チームが発足する。それが合図かのように、一年生へのお客様待遇は終わり、この高校の一員としての本格的な練習に参加するようになっていく。

この高校にいるかぎり、甲子園を狙うというのは暗黙の了解。そして甲子園を目指すためであればどんな苦難やキツい練習だろうとやりきる、ということも。

だから、皆、覚悟の上だった。

しかし、やはり質・量ともに小中の野球のレベルとは大きく差があり、ついていくだけで必死の日々が続いた。
練習中でも細かいところで立ち止まり、全国を目指すチームの姿勢を肌で感じる。そして練習設備をフル活用し、練習がグルグル回っていく。

休みは大晦日と元旦の二日だけ。でもそれに対して不満を言わず、それが当たり前かのように練習は続いていく。

だから、自分らにとっては、学校が憩いの場となっていた。
学校ではずっと寝れる。
先生の目は盗み、練習までの体力温存という理由をつけて、全部の科目を寝て過ごしていた。
そのため、ほとんどの人が寝るような寝るためにある「家庭科の授業」で寝れず、逆にマジメに受けるみたいなことをやっていた(笑)。

シーズンオフになると、名物の冬のランニングがはじまった。冬の練習はとてつもなくキツかった。先輩から事前にめちゃくちゃ脅されて怖かったが、それが全く大袈裟ではなかった。

昔ながらのランニングを中心にした、気合いと根性だけを鍛えるためだけの練習。

そんな練習をしているので足もずっとどこかしらおかしかった。

そして、そんなランニングのせいで身体もおかしくなっていた。なぜか、ウンコが出る(笑)。多分、身体が生命の危機を感じ、軽くしておきたいからなのか。冬になると、大袈裟ではなくウンコしてないやつがいないくらい、練習前orランニング前のどこかのタイミングでウンコをかましていた。

今思い出すと、トイレに代わる代わるユニフォーム姿のやつがとめどなく出入りする姿は、完全に異様。急いでし過ぎて痔になったやつもいた(笑)。

そんな練習だから、毎日雨を祈ってた。
「おい、来週の水曜と木曜、雨50%やぞ!」って(笑)。
常に1週間先の天気予報を確認してた。
雨でその練習がなくなり、雨天練習になったときは、ありえないくらいの歓喜だった。抱き合ってた。

雨が降ったときは、明日にも響くように、グラウンドに強烈なダメージをより強く与えるため、水道にホースをつなげてグラウンドに水をまく係がいた。たぶん、今もやってる(笑)。

とまあ、そんな日々で、最終学年になるまでは、練習についていくだけで一杯一杯だった。上から与えられた試練を、一緒に愚痴を言い、時に励ましながら、全員で乗り越える。自分はあまり結果を残せずにいたが、日々の忙しさにまみれながら、それなりに充実感をもっていた。

しかし、先輩たちの夏が終わり、自分が最終学年になった高校2年の7月から、厳しい現実を突きつけられることになる。

新チームになると、それなりの体制がとられる。

そこに自分のポジションがないという現実。なんとなく入れると思っていた?いや、入れるとまでは思ってはいないが、なるべくそのことについて深く考えないようにしていた。

でも否応にでも現実は迫ってくる。

バッティング練習にも入れないという現実。
下級生と同じ練習メニュー。

そこでようやく、厳しく、辛い現実をマジマジと認識する。

自分達は何しにここの高校にきたのか?
それは、甲子園に出場するため。
自分たちの可能性を試しにきたのだ。
一緒に辛い練習を乗り越える仲間ってだけじゃない。
皆、ライバル。
仲良しこよしでやってるわけじゃない。
みな、甲子園に行きたいと目標に掲げ、色んなものを犠牲にしながら、1つのポジションを勝ち取り、活躍するために、ここにきたのだ。

そういう当たり前のことを、最終学年になり、猛烈に痛感させられる。

しかし気づいたときには時すでに遅し。そこから秋の大会へメンバーが絞られていったが、当然のごとく、自分は18個ある椅子にすら座ることすらできなかった。自分はファウルボーイとして参加し、チームは県で優勝。しかしその後の大会でこの試合勝てば選抜(甲子園)というところで、敗退した。

ここから(10月)、夏までが勝負。あと10ヶ月。

一気に下克上を起こさねば。

そんなとき、ある日のことをふと思い出していた。

まだ先輩が引退する前の夏頃のことだった。
フリーバッティングの練習の時、いつも通り外野を守っていたときのこと。

そこに名も知らないOBの先輩が、自分と同じ守備位置にやってきて、話しかけてきた。その人は、甲子園出場をした世代の人の、ベンチ入りができなかった人だった。その人は俺に、試合に出られているかを聞き、自分に後悔の念を打ち明けてきた。

「スシュンくん?(ユニフォームに名前が書いてある)、何年?」

「2年っす」

「そっか。試合とか出れてるの?」

「いや、そういうレベルじゃないです。」

「ならさ、今頑張った方がいいよ、マジで。おれ、○○世代なんだけど、メンバーに入ることができなかったんだよね。でさ、チームがどんどん夏の大会で勝ち進んでいく姿を見てさ、おれももう少し頑張ったらこの輪の中に入れたんかもなって思って、その時になってめちゃくちゃ後悔したんよね。だから、スシュンくん、おれみたいにならないように後悔しないように、頑張った方がいいよ。」

「押忍。頑張ります。」

そのときはなんとはなしに聞いていたが、急にこの話が思い出されてきた。

多分、このままの感じでずーっとやっていたら、奇跡なんて何も起こらず、普通に何も変わらず夏もベンチ外になる。そして、あの人みたいに後悔しながら、指をくわえながら、グランドを見つめるだけになる。

後悔してアドバイスをしてきた先輩のようになる姿が、大体想像ついた。

これ、絶対後悔するやつ。

しかもクソじじいになってもずっと残るやつ。

だから、おれはあの人みたいに後悔しようように、やりきってやる。
絶対おれはやりきった、誰よりもやった。

それくらい全部やってやる。

それでダメだったとしても後悔はしないだろう。

やってやる。

覚悟を決めた。  




「第二章の転機」へつづく)

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