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自分の音楽遍歴

自分の音楽遍歴を語ろうと思います。記憶が曖昧だったりするので多少、時系列がおかしかったり、フィクションもあると思います。
加筆修正しまくると思います。

小学編

ちっちゃいころ聞いてた音楽はバンドサウンドよりファミコンとかのゲームミュージックや小室哲哉とか打込み系のサウンドが好きだった。
小学生のときに吹奏楽部にはいる。(パーカッションをやってました)
中古屋でたまたま安くて買ったダンスマニア等のコンピレーション聞いてクラブミュージックにハマる。特にダンスマニアスピードに入っているハッピーハードコアというジャンルが好きだった。
同時にbeatmaniaやDDR等の音ゲーにもハマる。
パラパラブームもあり、スーパーユーロビートとかも買ってたと思う。

中学編

中学生になって吹奏楽を辞める。
姉のケータイが着メロを打ち込める機種だったので耳コピをしたり、オリジナルの作曲をしはじめる。音ゲーはIIDXにハマり、そこからいろんな音楽のジャンルを知る。
中2くらいのときに友達からPSのソフトで音楽ツクール3をもらい、それで打ち込みをはじめる。(天空の城ラピュタのダンスアレンジとか作ってた気がする)
ハードコア、トランス等にすげーハマる。
globeのトランス曲にハマり小室哲哉のサウンドにハマる。
兄がノートPCを持っていてそこからMIDIの存在をしり、ネットでいろんな耳コピやアレンジのMIDIを集めまくる。
また同人音楽に興味を持ち始めDJ SHARPNEL、M-PROJECT等、日本でハードコアを作っている人たちに興味を持ち始める。
中3の頃に親戚から古いPC(windows98)を貰い、MIDIを打込みをはじめる。(たしかMusic Studio ProducerとかいうDAWつかってたと思う)

高校編

高校生になってまた吹奏楽を始める。
WindowsXPのPCを買ってもらいACIDシリーズというDAWを使い始める(当時はループ素材を切り貼りする機能ぐらいしかなかったと思う。)
DJはできないけど自分の好きな曲でノンストップミックスを作ったりしてた。後にニコ動にあげたのがこちらのハピコアのミックス


大学編

神奈川県にある大学に進学し、都内のクラブに遊びにいく。
ハードコアタノシー、ハッピーダイナマイト、X-TREAM HARDなどのハードコア系のクラブイベントに遊びいってました。
以下当時遊びにいってたイベントフライヤー

たぶん、初めていったクラブイベント
Kors K VS Ryu*を初めてみた。トイレでDJ TAKAさんいて写真とってもらったりした。
あこがれのDJ BRISKを見に行った

自分もDJしたくなり、若手DJイベント(STEP.)でDJデビュー。当時はperfumeとかのテクノポップをかけてたと思う。

自分がDJデビューした時のSTEP.のフライヤー


アダルトな円盤やブックやトイが売ってるお店でバイトしてDJ機材を揃える。(当時、pioneerが高すぎて買えなくてDENONのCDJとVestaxのミキサーをそろえて15万円くらいした気がする。)
大学では軽音楽系のサークルに一瞬、所属していたけど自分でDJサークルみたいなのを作って学際で教室を借り外部からDJをよんだりした。

当時、DJ490氏が適当に作ったフライヤー

ある日、youtubeで謎の音楽に出会う。(後にインドネシア発祥のクラブミュージックのFUNKOTと知る)
こんな音楽は聞いたことねぇ。日本で誰もやってないなら俺がDJでやるかぁと思いひっそり音源を集めてDJMIXをmixiとかでアップする。
同じ音楽を同時期に発見したDJ JETBARON(高野政所)がネットで紹介してるのをみて交流が始まり、自由が丘で初のFUNKOTイベントでDUGEM RISINGの前進となるS.T.D.Kが行われる。

たぶん、日本で一番最初にネットにアップされただろうFUNKOTのMIX


そんな感じでFUNKOTのDJ/Remixer中心の活動をしはじめる。
名義もsuamaからJMBS(Jockie "MASTA BASS" Suama)という名義を使うようになる

大学生活も終わり卒業式の最中にラウンジだけどX-TREAM HARDでDJしないかというお誘いをいただき学生最後にX-TREAM HARDに出演する。

FUNKOT編

大学卒業後、地元の秋田の田舎町にもどってきながらもちょくちょくFUNKOTのDJで東京、江ノ島、札幌、盛岡、仙台、山形、京都、大阪、岡山等で日本各地でDJをしてまわる。
S.T.D.Kは新メンバーを追加しDUGEM RISINGとなる。

個人のDJで使うように作ったFUNKOTトラックのシングル集をJMBS SINGLE COLLECTIONシリーズとしてリリースし始める。
DJ JETBARONのメジャーデビューCDに参加したり、一般流通のCDにもちょくちょく参加するようになる。

HMVでperfumeを超えた瞬間

全国のFUNKOT DJを渋谷に集めた大イベント、MEGADUGEMに出演し、MEGADUGEMコンピレーションMIXのCDも制作する。

また、ちょくちょく、同人、企業かかわらず依頼でFUNKOTをちょくちょく作るようになる。

たぶん、自分が作ったトラックで人生で一番最初に全国流通したCD。
ビレバンとかで売ってました。
MEGADUGEMのフライヤー
これはVol.3だけどクラブのシャンパンがなくなって、系列店からもってきてもらたりといろいろ伝説的なパーティーでした。
MEGA DUGEMのコンピレーションCD。


自主制作したCDのリリースしたがタワレコ等で置かせてもらってポップとかも作ってもらった

タワレコで自分のコーナーつくっていただいた。

MEGADUGEMのアフターパーティでのB2BをきっかけにRichiterとアニソンFUNKOTユニットのメグデミナ(megudemina)を結成する。またVJ yoshiの協力のもとにリアルメグデミナとしての出演も行う。


バッタマン編曲、ボルテ公募採用編

自分の初のオリジナル歌モノFUNKOTのJMBS - カレイドスコープfeat南波志帆(臨時職員平山あやの日光ソムリエ課(仮)というテレビ番組のテーマ曲にもなってた)がリリース直前にDUGEM RISINGの代表だったDJ JETBARONが逮捕され幻の曲となる。

そんな落ち込んでるところに超特急のバッタマン(前山田健一プロデュース)の編曲の依頼をいただく。

ヒャダイン氏に紹介してもらった。

また、KONAMI社のサウンドボルテックスのRyu☆リミックスコンテストにて3y3s (JMBS FUNKOT RMX)が入賞しゲームで採用される。
嬉しいこと収録直後は選曲1位を一時的にキープする人気曲だった(と思う。)
またBEMANIシリーズ全体のスキ!ランキングで2位になる。

一位だった過去の栄光

hy4_4yhをはじめ、様々なアイドル、アーティストの特典CDの曲やMIXの依頼をうけはじめる。

また、この頃に長年の夢だったagehaでDJ出演する。(BOXエリアだけどね)

agehaでDJしたときのフライヤー

秋田アイドル編

秋田のアイドルのサウンドプロデュースをしたり、
マネージャーみたいなこともやったりした。

今はFunkot以外、特にアイドル関係の依頼はどこにも所属せずフリーで音楽をやっている。

最近では楠井まりかの曲を作ったりした。


サポートしてもらえるとCD等の制作費・交通費的にもモチベ的にも助かります。