りすたーと

帰りたくない、あーあ、帰りたくない。

昨日は雨。外に出るような用事もなく、革の育成に励んで、昼寝をしていたら1日が終わった。そして今日は晴れ。折角だから、使ってなんぼの革製品、外に出てみることにした。

昔から人と一緒に何かするのが好きだ。ひとり遊びよりも誰かを巻き込んで遊ぶ。飽き性であるが故に、迷惑をかけることもしばしば。結局は、根っからの寂しがり屋なのかもしれない。でも最近、どこかふとひとりになりたいと思うことが増えている気がする。もう3ヶ月も友人には会えてないし、人に会いたくてたまらない、という気持ちと、ひとりになりたいという気持ちが仲良く同居している。いや、仲良くしてくれていないから、帰りたくないのか。

昼過ぎに家を出てもう5時間。用事を済ませて、家まで10分の距離までは来たが、なんだか帰りたくない。あーあ、帰りたくない。正直、おなかは空いている。本格的におなかが空いているし、家に帰ってやらないといけないことは山積みだ。それはわかっているけれど、なんと言っても帰りたくない。近くのコーヒー屋に寄ると、席が空いていた。特に何も考えずにコーヒーを頼んで座った。

帰りたくない理由はいくつかある。まず、家に帰ったらひとり、の空間がないから。気休め的にひとりの空間を作ってくれる、ノイズをキャンセルのすごく有能な相棒イヤホンが先日壊れた。修理から帰ってくるまで残り2週間。涙が出そうだ。2つ目、放置していた課題が待っているから。これはただの現実逃避。そして3つ目、なんだかよくわからないやるせなさで人に当たってしまいそうだから。何が原因なのかもわからない特に意味のないやるせなさがぐるぐるしている。イライラとも言い難いこの気持ちを表す標準語にまだ出会ったことがない。地元の方言だと、「わじわじする」という。今の私はとてもわじわじしている。とても感情的に、出てきた言葉をそのままパソコンに打ち込むだけの時間。これを自分だけが見えるところじゃなくてnoteに書き込むあたり、性格の悪さが滲んでいるような気がしてならない。まあいいんだよそんなこと、あーあ、帰りたくない。


まあ、座っていてもやることはない。

大好きな星野源のエッセイ「いのちの車窓から」の電子版の配信が始まった。単行本で持っているが、ふとした瞬間に読みたくなる欲求に対応できるように電子版も買った。多分文庫で出たらすぐに買う。やっぱり紙が堪らない。

そんなことをふと思い出して、アプリで本を呼び出してみた。なんというアクセスのしやすさ。今日のなんとなくの気分で、目次から目当てのページへ飛ぶ。最近再放送も始まってまた話題になっている「逃げ恥」の主題歌、恋のエピソード。


営みの街が

暮れたら色めき

風たちは運ぶわ

カラスと人々の群れ

意味なんかないさ

暮らしがあるだけ

ただ腹を空かせて

君の元へ帰るんだ


オールナイトニッポンの初解禁でこの曲を聴いた夜を多分一生忘れないが、このエッセイを読んでこの曲を聴いた時の気持ちも一生忘れない。

このエッセイをなぞった後だと、踊り出したくなるような、あのMVのような色のイメージの曲から、急にどこか日常の香りがするようになる。美味しそうなご飯の匂い、我が家の匂い、季節の匂い。浮かんだ景色は、帰りたい場所だ。

結局、今日も私を生かしてくれているのは自分が拠り所にしている好きなものなのか、なんてことを思った。気づけば1時間が過ぎている。なんだかふと、誰かとおしゃべりがしたくなった。相変わらずわじわじしているけれど、そろそろひとりぼっちに飽きてきた。やっぱり寂しがり屋なのかもしれない。帰ろっかな。


コロナで止まっていたいろいろが、少しずつ忙しなく、意味もわからないまま動き始めている。自分だけが置いてけぼりな気がして、わじわじしているのかもしれない。きっとそんなことはないのに。

私の、4月にぷつっと止まってしまった時計も、明日から動き出す。それが怖かったのかもしれないな、だから帰りたくなかったのかもしれないな。何かがすとんと腑に落ちた。おなかが鳴った。

もうすっかり冷めたコーヒーを飲み干して。さ、帰ろう。明日が今日より、少しだけいい日でありますように。

20時前のコーヒー屋より。

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