とけない

夏だ!

随分長居してくれた梅雨のおかげで、8月がきてやっと夏!って感じがやってきた。外に出るとひどく暑くて、玄関の扉を開けた瞬間にもわっとしている。溶けてしまいそうだけど、それはあくまで例えであって。汗は流れても溶けはしない。夏休みが始まったとはいえ、変わらずに家にいる日々。ちょっと物足りない。

夏の風物詩といえばラジオ体操の音だったが、上京してからは聞こえてこなくなった。海は近くにないし、蚊取り線香もあまり薫ってこない。そんな中で変わらずにあるのが蝉時雨。暑い気持ちを倍増させてくれるやつ。ノイズをキャンセルするイヤホンをぶち破って入ってくる彼らの大合唱も、夏始まりたての今はなんだが心地よく楽しく聞こえる。

昨年の夏、ちょうど1年前の今頃。家のエアコンが壊れて、クソ暑い中、日中は30度超えの部屋でドラマや映画を観ていたのを思い出した。テレビで放映していたのは『犬神家の一族』。市川崑の遺作となった2006年版。麗しの松竹梅に、美しき松嶋菜々子、時が止まっている深キョン。エアコンの壊れた33度の部屋に流れるあの有名なテーマ曲。なんだかとてもマッチしていた。ちょうどタイトルが出た時に、蝉が鳴き始めた。エアコンのない今、網戸の我が家は外の音がダイレクトに聞こえる。それにしても近いので外を見ると、網戸にぴったり、蝉が張り付いて鳴いていた。窓が閉まっている状態であれば、そのまま放置しておいてもいいのだが、今は犬神家の謎を解明しないといけない。蝉の声はいいBGMになりそうもないので、網戸をピンと弾いてやると、そのままどこかへ飛んでいった。

急にそれを思い出したのにはしっかりと訳がある。今年はエアコンも好調であるし、相変わらず蝉はあちこちで鳴いている。

昨日の夕方、バイトから帰ってくると、あの日と同じ場所に蝉が止まっていた。夕方、陽も落ちて少しずつ涼しい気はしてきたが、蝉時雨はまだ止まない。そんな中、網戸に止まっている蝉は静かに、ただ止まっているだけだった。窓越しの網戸だから声が聞こえないのか、と思い、窓を開けてみたがそれでもやっぱり静かだった。窓は閉まっているし、犬神家の謎を解明しているわけでもないし、私はこれからお風呂だし。何より蝉は鳴いていないのでそのまま放置することにした。

風呂の中でもやっぱりあの蝉が気になる。もしかすると、あの蝉は、ミンミンするのに疲れたのかもしれない。うるさいくらい蝉の鳴くあの木のあたりではなく、わざわざここに止まっているのは、周りと一緒にいるのに疲れて、ひとりになりたくてきたのかもしれない。そんなことを考え始めると、なんだか親近感が湧いてきた。意思があろうがなかろうが、集団に入れば協調性が求められる。個性、個性という割には、周りに合わせることが求められて、いつの間にか、できるだけはみ出さないように、浮かないように、馴染めるようにと動いている自分がいる。たまに、もう全部いやになって全部放り出してひとり現実逃避をすることがある。目的もないのに散歩に出たり、電車に乗ったり、黙々と折り紙をしたり。きっとこの蝉も、なんだか嫌になって、鳴くのをやめようと思ったけれど、集団の中で止まると周囲から変な目でみられる。だから離れて、うちの網戸に止まっているのだろう。蝉があそこにいる理由はわからないけれど、風呂場まで届く蝉時雨は、やっぱり夏の音がする。

風呂から上がって蝉を見ると、そこにはもういなかった。「蝉は?」と聞くと、「落ちたんじゃない?」という言葉が返ってきた。蝉がいつの間にかいなくなったのか、目障りに思ったうちの誰かが昨年の私みたいに弾いたのか、気になったが聞かなかった。寿命が7日と言われる蝉。死に際だったのか、それともまた蝉時雨の中に戻っていったのか。私は金田一耕助ではないので、謎は解けそうもない。

暦の上では立秋を過ぎて、秋が始まったというが、私の夏は始まったばかりだ。ひとまずかき氷食べたい。口の中で溶けてなくなるやつ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?