気が付けば旧車を好きになって早40年

私が、旧車を好きになったのはいつ頃だろう・・・少なくとも「旧車」という言葉が一般化する前から好きになっていたのは間違いない。生まれてすぐ興味を持つクルマは父親のクルマで、最近はそのまま幼少期の父親のファミリーカーを免許を取った息子が最初の愛車に選ぶという話も耳にする。中には1台のクルマを親子二代にわたって愛用するというケースもあるという。クルマの耐用年数が10年を超えて久しい現代ならではの話だ。

さて私が最初に興味を持ったクルマはなんだろうと古い記憶を手繰り寄せていくと、まず最初に挙がるのは、昭和52年RX30型トヨペットコロナマークⅡ2000GL、今どきの旧車好きの諸兄には「ブタメマークⅡ」といえば通りがよいだろう。もちろん例のごとく自分記憶にある最も古い亡父のクルマである。生憎、我が家のマークⅡは量販グレードの4速MTのGLのため、オーバーライダー付きのバンパーにパワーウィンドーやデジタル時計、オートマチックトランスミッションが装備された上級グレードの「グランデ」が羨ましくて仕方がなかったものだ。機会があればX30・40系コロナマークⅡ、いわゆるブタメマークⅡは乗ってみたい一台である

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こちらは後期型のコロナマークⅡグランデ。当時は上級グレードのグランデが羨ましかった。ちなみに後期型から「トヨペット」コロナマークⅡから「トヨタ」コロナマークⅡとなる。

ところが、正確には昭和51年(1976)自分が生まれて数か月間まで、亡父は昭和48年RA25型セリカLB2000STに乗っていたという、生憎こちらは自分の記憶になく、後から「マークⅡの前に乗っていた」と教えられただけなのだが、それでも自分が生まれて最初に乗ったクルマが、のちに国産車史上における伝説の名車の一つに数えられることになる、ファーストバックスタイルのスポーツクーペのセリカLBだったという事実のインパクトは計り知れないものがあったというのは言うまでもない。そして、色とグレードこそ違えど父と同じ昭和48年型の、セリカLBは私の愛車として手元にある。このクルマについてはいずれ別の機会で書こうとと思う。

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縁あって自分の愛車となったセリカLB、このクルマについてはいずれ別の機会に

もう一つ幼少期から異様に固執していたクルマがあるVWタイプⅠ、いわゆるフォルクスワーゲンビートル、カブトムシだ。今はVWビートルと言えば数か月前に生産中止になったブラジル生産モデルのスーパービートルもしくはその前のニュービートルを指すことが多いと思うが、もちろん私のいう「ビートル」は正真正銘(?)空冷水平対向エンジンが車体後部に搭載されたオリジナルのビートルだ。今となっては、なんのきっかけで「フォルクスワーゲン」を知ったのか知る由もないが、まるで絵本かマンガにでも出てくるようなあの丸いボディはクルマに興味を持った幼少期の私の興味の対象になるには十分だったことだろう。また、自宅近所にはヤナセのサービス拠点があり、実際に路上で目にする機会も多かったことだろう。

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他にもちょうど生まれた時期がスーパーカーブームとあって生まれた時に最初に見たクルマの玩具がスーパーカーという状態だけあって、まずランボルギーニカウンタックは言わずもがな、VWとゆかりのあるポルシェ911も興味の対象だ。当時はまだアメリカ車が訴求力を持っていた時代でポンティアックファイアバードトランザムにリンカーンコンチネンタルマークⅥ、フォードマスタングマッハ1なんかもお気に入りだった。あとR107型メルセデスベンツSLシリーズのロードスターも興味の対象だった。

これらが未就学時に「推し」だったクルマであるが、こうして改めて列挙してみると我ながらずいぶんませた趣味をしていたものである。しかしその一方で未就学児当時の自分の「推し」に至らずとも妙に引っかかる国産車があった。それが、今や国産車史上最高傑作、日本初の本格的自家用車と名高い「スバル360」である。当時はVWが大好きで免許を取ったらVWを愛車にするものと思っていたくらいであるが、(生憎、今もVWタイプⅠには縁がないがこちらもまた縁があれば乗ってみたいものだ)VWと全く違う生い立ちのはずの国産軽自動車でありながら、なぜか外見がVWにそっくりなこの珍妙な国産軽自動車はなんとも不可解な存在であり、またどうしても気に掛かる不思議なクルマだった。そして、成長するにつれて次第に私の関心はVWからスバル360へと移ってゆき、いつしかスバル360をいつの日か自分の愛車にすることを夢見るようになった。スバル360生産中止から6年後の昭和51年生まれの私が一体いつ何をきっかけにスバル360というクルマを知ったのかはVWと同様今となって走る由もないが熱心なスバル360愛好家ならご存じの方も多いであろう福音館書店の寺島龍一作「じどうしゃ」という絵本を幼稚園に入る前に買ってもらった時既に「スバル360」と認識した記憶があるので3~4歳のころにはスバル360を知っていたようだ。

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所で、どこの誰にでも「子供のころからの自分だけの信仰の対象」とでも言うべき精神的な支えになるような存在というのが一つや二つあることだろう、それはおとぎ話の主人公であったり、あるいはマンガ・アニメ・特撮・ゲームの主人公であったり、あるいはアイドル歌手であったり様々だと思うが、私にとって「スバル360」はまさにそんな存在だった、もしかしたら諸兄の中にも私と同様、クルマや鉄道機関車、船舶、飛行機など乗り物がある種の信仰の対象という人がいる事だろう。私のように内気で、古いクルマのことばかり考えて周囲から浮いている子供というのは概していじめの対象となる。時折、いじめの辛さ、学業の不信から自ら命を絶つ少年少女もいると聞くが、かくいう自分もいじめの対象になることもあり、学業と自分の性格の折り合いも上手くゆかず、自殺を考えたことがなかったわけでもないが、多感な年齢であり免許取得年齢の近づく10代のころは、スバル360こそが生きるためのエネルギーのすべててであり、スバル360がいつも心の片隅、いや心の一番大事なところに鎮座していたからこそ早まることがなかったと言っても過言ではないだろう。

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就学当時に話を戻そう、就学し自分なりに本が読めるようになると当然、手元にある物はもちろん書店、図書館、図書室で自動車の書籍を見つければ読めるものは片っ端から読み漁るようになり、スバル360のに関する記述はどんな小さなものでもむさぼるように読みふけたもので、最初は愛らしいVWビートルにそっくりな不思議なクルマという興味から入ったのものが、それがただ面白い形をしたクルマというだけでなく、世界有数の自動車生産国となった日本における最初の本格的大衆車であり、当時すでに日本の自動車史上に燦然と輝く名車であることを知ると、そんなクルマを好きになったことが誇らしく思えたものだった。しかし、私が少年時代を過ごした1980~1990年代は、まだまだ古い国産車に対する社会の認知度は低いもので、どの自動車雑誌でもほぼ毎号必ず往年の国産車の特集記事が組まれ、玉石混交世界中のあらゆる情報を瞬時に閲覧できるインターネットが普及した現在と違い、古い国産車の情報にアクセスするのは非常に困難であり、それこそ自動車雑や新聞記事の片隅に白黒写真1枚と説明文数行程の昔の国産車に関するの記事を見つけただけでも昂ぶる気持ちを抑えつつ何度も読み返し、数ページに及ぶスバル360特集記事でも見つけようものならもはや金脈でも掘り当てたかのように狂喜乱舞したものである。

それでも、当時の媒体から入手できる情報は断片的な物で、自動車雑誌でも伝聞や憶測に基づく内容にすぎない情報も少なくなかった。当時の自分では情報を精査するスキルもなく、スバル360はその外見からVWを模倣したものであると信じて疑うこともなかった。しかし、ある本を手にした日を境にその認識を一変させる事になりますますスバル360に傾倒して行く事になる。

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