言い訳が得意だから

夏休みの宿題は始まる前に終わらせる派だった。

休み明けのテストの時には何も覚えてないけど。


私は期限が設定されているのもとか、時間に制限があるものになぜかすごく怯えていて、余裕すぎる余裕を持って終わらせないと不安になってしまう。
それを言うとよく褒められた。自分でもよくやったとちょっと思っていたりする。

私は絶対できない、と友達にはよく言われるけど、私は多分、そういう終わりがある課題をこなす、ということに関しては得意な部分があるのだろう。

なぜかというと、私は言い訳が得意だから。


私だって課題は好きじゃないし、できればやりたくない。でも終わないと安心できない。そこで私は言い訳を考える。自分をごまかす言い訳だ。
これが終わったら○○できる、とか、そうやって自分をコントロールする。目の前の嫌なことを別の問題にすり替えるのだ。これは高校時代、先生に怒られた時にも使った。
言わば屁理屈。私はそういう時だけ口がよく回る。


今まで、それは自分の特技だと思っていた。でも、何度も言うけど私は最近人間になったわけで、以前とは毎日に感じる情報量が全然違う。前よりずっと多くのことを知った私は、もう自分の屁理屈で自分を騙せなくなってしまった。
そして自分の都合のいいように、(私の目指す方とは逆に)屁理屈をこねるようになってしまった。


○○しなきゃ、でもどうせ○○だし。
結局○○だから、やりたくない。やらなくていい。
といった感じに。


今まで自分の武器だと思ってたものが自分に牙をむいた。
底なし沼だ。自分の作った沼はどこよりも居心地が良くて、抜け出せない。
また今日も抜け出せなかった失敗は誰かのせいにする。


でもこれは急に私が変わったんじゃない。
元から私はそういうずるくて怠けたところがあって、でも今まで見ないことにしていた。そのことに気づいてなかっただけで、私はずっとこうだった。


防弾少年団のファンのツイートから30日チャレンジなるものが流れてきた。
その名の通り30日間、自分の好きなメンバーについての自分の思いを日替わりのテーマに沿って語るらしい。
一番初めのテーマは、「そのメンバーを好きになった理由」。

私は最終的に推すことになったメンバーとグループを知って最初に好きになったメンバーが違う。
誰もがイケメンというメンバーを好きになって、グループに興味を持って、いろんな映像を見ていくうちに今の推しを好きになった。気づいたら目で追っていて、推しが変わってることに気づく。
その火花が散ったみたいな瞬間が始まりだった。目の前でぱちっと弾けて、世界のスイッチが入った。


ような気がしていた。


私はその瞬間に人間になったと、今だって思っているけど、私がまるきり変わったわけじゃない、とようやく気付いた。
見える景色も感じる世界も変わったけど、人格が変わったわけじゃない。
怠けるようになった、甘えるようになった、ダメになった、と思っているのは飛んだ勘違いで、それが今、やっと問題視できるようになっただけだ。
人間になったとかなってないとかじゃなくて、私はただずっと自分を甘やかして生きてきただけなんだと。これがその結果なんだと。


なんでこの人?とよく聞かれる。私の推しは人気な方じゃないらしい。
改めて推しの動画を見て、なんでこの人が好きなんだろうと考えていた。私を変えてくれたこの人の、どこが好きなんだろうと。
愕然とした。
メンバーを見てると、みんなどこかしら直視できないところがある。恥ずかしくて。私は自分と似てる人はあまり得意じゃない。そういう、ビデオに映った自分を眺めてる時みたいな恥ずかしさのようなものを感じるのが苦手だ。
それが推しには一切なかった。
そこでやっと、私はずっと、この人を好きになる前からずっと自分が好きじゃなくて、自分にないものを求めてて、それに気づいた時、世界が変わったように感じたんだとわかった。

防弾少年団が私に始まりをくれたのは事実だった。
でも私の中身を変えたんじゃなくて、彼らに気づかされて私の視点が変わっただけ。
変わった変わってないと、人間だ人間じゃないと、そういう風に考えても意味がなかった。
どうせ私は私のままなんだったら、そんな鈍臭い私でも登れる小さい階段を作ればいい。

そういうのは得意だ。

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