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「選ばれなかった私」という意味

 最近このタイトルについて考えることが二、三度あった。
 一回目は「いちばん好きな花」というドラマで。「二人組を作るのが苦手」「集団は個の集まり」「いつも仲間外れにされないように気を遣っていた」「いつも都合の良い人」そんな悲しくてもどかしくて、でもどこか当たり前のようなセリフの数々。あのドラマは見た後心の奥で会議が始まるような感覚だった。暗い気持ちにも、腑に落ちてすっきりする気持ちにもなれる。見る人捉える人次第だ。
 二回目はbacknumberさんの新曲?「冬と春」最近MVがあがったばかりの曲だ。この曲の歌詞に「選ばれなかっただけの私」「私じゃなくてもいいなら私もあなたじゃなくていい」というフレーズがある(漢字の表記は所々間違っていてもご容赦ください)。でも最後に結局「あなたが良かっただけの私」で終わるのだ。
 選ばれる、選ばれないの根っこはまずいくつかあってここでは「恋愛」「友人」この二つに分けて私の考えを書いていきたいと思う。

 まず「恋愛」これは表面上は簡単で、告白して付き合えたら「選ばれた」、告白してもらって(ここですでに「こちら側は選ばれている」)それを受け入れたら「選んだ」となる。付き合った時、その瞬間はわかりやすいのだが、そこから冷めたり遠距離になったり、心が離れたり、浮気したり、振ったりするからその先はとても複雑だ。ただ、「選ばれなかった」と決定されるのは相手に他の誰かができた時、他にいるわけではないけれど振られた時。浮気された時、を選ばれなかったときだと私は考える。付き合う前段階で「選ばれなかった」を指すのは、好意を受け止めてもらえなかった時であろう。私は何度も経験した(ちなみに受け入れてもらえたことがない笑)。
 King&Princeさんの「愛し生きること」という楽曲に「誰かを愛し生きていくことは 違う誰かを遠ざけること」という歌詞がある。これが私の中で最も腑に落ちた回答だった。自分がその人の特別になれなかった、選ばれなかったことを痛感させる一番の出来事だと思う。

 次に「友人」これは判断が難しい。ドラマ「いちばん好きな花」で言っていた通り「個の集団」という見方が強いが、たった一人のかけがえのない友人や親友と呼ばれるよう人はやはり「選ばれている」のだろう。私にはそのように安定して関係を継続し、私のわがままを聞いてくれて相手のわがままを聞き続けられる人がいないので、親友がいる人の気持ちはわからないが、反面選ばれなかったことに対する気持ちやその気持ちの消化方法には長けているという自負がある。そもそも私はどうしてお互いに揺るがない感情を持ち続ける親友ができるのか理解できない。人はその時その時で変わる。これは悪い意味ではないし、自分自身も変わるからだ。なのにどうしてずっと価値観を通わせられる親友でいられる?自分が困っていてそれどころではない時に親友の頼みなら聞けるのか。じゃあなぜ親友ではない友人の頼み悩みは聞けないの?差別?いや、そんな大きなことではなくて、「選ばれなかっただけ」だ。ただそれだけ。人間は取捨選択をして生きていく生き物だから仕方ない。「いつか貴方にも出会えるよ!」なんて言う人がいるが、私はそういう人に一生出会わない人もいると思っている。でもそれだけが幸せじゃないし選ばれなかったからといって人生全部が不幸って訳じゃない。
 
 読んでくれた皆様へ。まず、私が私を選んであげて。私だけはいつでも私を優先して私を可愛がってあげて。そうすれば「選ばれなかった私」でも「私が選んでいるから」ひとりぼっちじゃない。私はそう思っている。
 そんな流れで生きている中で、人に感謝されたり異性が寄ってきたり友人が親友になりかけたりするかもしれない。
 
 もうひとつ、欲を言うならば私のほかにもう一人が二人くらい選べるといいね。そしたらきっと、もっと切なさが緩和されそう。

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