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従兄弟のKちゃんの葬式で

従兄弟のKちゃんが亡くなった、と父親からLINEが送られてきた。なんだかよくわからないままANAのチケットを予約し、翌日、一人で伊丹へ向かう。
単身での帰省は久々だ。空港内のゲコ亭でサバの塩焼き定食を食べる。高級レストランでもないのに照明が暗くて落ち着かなかったことを覚えている。

宮崎空港に着くと父親が出迎えてくれる。

「急やったね」「じゃかいよ」「びっくりしたわ」「父さんもよ」「子供たちはどげんね」「しっかりしちょっよ」「そうね」

空港から地元へ向かう高速道路の両脇には等間隔にフェニックスの木が植えられていて、ここだけ切り取ったらまるでカルフォルニアにいるみたいだよな、ということをこの道を通るたびに考える。

実家に到着すると母親が出迎えてくれる。

「ただいま」「おかえり」「びっくりしたね」「ほんとにね」「母さんは元気ね」「元気よ」

家に荷物を置いて、近所を散歩する。2ヶ月前に妻と子供と一緒に帰省したばっかりだったので、懐かしくもなく、かといって懐かしくなくもなく、なんだか不思議な感じだ。

僕のGoogleMapには、帰省したら行きたいお店のピンが無数に刺さっている。18歳の時に親元を離れたのだが、それまではどこに行くにも親と一緒だったので、地元にも関わらず自分の意志で通ったお店というものがほとんどない。大学生になってお酒が飲めるようになってから父親が連れて行ってくれた飲み屋街にある居心地のいい焼き鳥屋は、もう無くなってしまった。

夕方になると、これでも食べとかんね、と、鳥のたたきとレバー刺しを出してくれた。口から地元が入ってきて、体が一気に地元に戻る。

翌日の朝、ネットで頼んでおいた喪服のセットが届く。スーツ上下、シャツ、ネクタイ、靴下、革靴のセットだったが、スーツは僕の体型に合ってなくて、革靴は先っぽが異様に尖っていて、なんだかしっくりこなかったので、結局自宅から持ってきたカジュアルなスーツを着ることにした。借りなきゃよかった。

その後、父親がスーツのズボンが見つからないと慌てていたので、レンタルした分を貸してあげた。借りてよかった。ジャケットとちょっと色が違っていて少しへんてこだったけどけどそのことは父には黙っておいた。

父親の運転する中古のアクアに乗り、葬儀場へ。昔は赤いハイラックスや黄色いフェアレディZに乗っていたが、そういえばどっちも家族向けじゃないな。母にそのことを確認すると、「じゃかいよ」と笑っていた。

葬儀場への道は、昔その従兄弟の家に遊びに行く時に通った道路で、それ以外ではあまり使わない道路だったから、もうこの世にいないKちゃんの葬式に向かうためにこの道路を走っているなんてなんだか不思議だな、と思った。

式場に到着し、受付を済ませる。たくさんの人が来ている。そこにDちゃんを見つける。DちゃんはKちゃんの弟で、僕の1つ上で、子供の頃は毎週のように一緒に遊んでいた。会うのは何年ぶりだろう。Dちゃんが僕を見つけ、「ようすけやがね」と表情を崩す。抱き合って涙を流す。

「びっくりしたがね」「じゃかいよ」

そして制服を着た男の子が3人。Kちゃんの子供たちだ。高校生と中学生と小学生。Kちゃんは離婚しているから、今はDちゃんが3人の面倒を見ているらしい。何か少しでも気の休まるような、労いの言葉をかけてあげたかったが、向こうからしたら「いきなり現れたよくわからない親族」なので、「しんどいよな」と肩を叩くことしかできなかった。

僕はKちゃんの訃報を聞いた時からこの3人のことが気になって仕方がなかった。さぞ悲しいだろう。さぞ寂しいだろう。食事を摂る気にもならず、笑う気にもならず、夜は寝れないだろう。

そのことをDちゃんに聞いた。

「あいつらね、大丈夫よ」「ずっと携帯でゲームばっかしちょっし、飯もてげ(たくさん)食うし、夜もすぐ寝るもん」

そうか、と思った。もちろん、僕が想像できないくらいに、とても寂しくてとても悲しいのだろう。それでもゲームもするし、ご飯も食べるし、眠くなったら寝る。悲しみでいっぱいの葬儀場の、その足元が、少しだけ暖かくなったような気がしたのを覚えている。

葬儀が終わり、Dちゃんの車で火葬場へ向かう。ホンダのフリードの車内はクレーンゲームの景品やガチャガチャサイズのフィギュアで溢れていて、こういうところは全然変わってないな、と思った。あの3人ともよくゲームセンターとか行くんだろうな。どこのゲームセンターだろ。駅前に新しくできたイオンかな。昔ダイエーだったとこ。そのダイエーの敷地内にドムドムがあって、KちゃんとDちゃんの家族はそこで新発売のテリヤキバーガーを買ってきてくれたな。初めて食べたテキヤキバーガーは嘘みたいにおいしくて、みんなで夢中になって食べてたな。

そんなことを考えてるうちに火葬場に到着する。じいちゃんとばあちゃんの葬式以来だから30年ぶりだ。それにしても焼くってなんだよ。葬儀場でも、もちろん生きてはいないんだけど、まだそこにはっきりと体があるから、あまり死んだという実感はなくて、もしかしたら生き返るかも、というわずかな希望もある。けど骨になっちゃったらもう無理だよな。

準備が整って、職員に促されるままに子供達がボタンを押す。それでおしまい。

葬儀場までDちゃんが送ってくれる。車の中で窮屈にハグをして、またね、次は一緒に飲みに行かんとね、と言葉を交わす。

Dちゃんにカメラを向けてシャッターを押す。Dちゃんはワンテンポ遅れてピースをする。「ちょっと遅かったね」と笑うDちゃん。

Kちゃん大丈夫、君が残していった人たちはとてもたくましい。

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